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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
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■ 1992年07月 アーカイブ

1992年07月31日

 今日、朝一でPrefecture de Policeに行き、滞在許可証を貰ってきました。ただし、最初の1年目なのでCarete de Sejour Temporaireというシールをパスポートに貼られて終わりです。3枚必要と書いてあった写真も、結局1枚使っただけでした。もろもろの本に書いてあった健康診断もなしです。まあ、話しと実際は大違いという典型的な例を経験したような気がします。
 一応、一通りの申請が終わりましたので、こうしたら良かったと思うことをまとめてみました。
  • 書類は完璧に揃えるべし。ま、こりゃ当然ですが。ただ、具体的に何が必要かについて、入国後すぐにCentre Etudiantに行って案内書を貰うのが賢明でしょう。
  • フランス人同伴者は万能の神!頼める人がいたら、絶対ついてきて貰うべき!
  • 朝一か遅くとも1時半頃までに行くべし。役人も人の子、訳のわからん連中相手では自ずとストレスがたまるもの。自衛のためには彼女達がリフレッシュされている時間を狙うしかありません。
 有効期間は1年なので、本当ならこれで縁が切れるはず。しかし、私の場合9月に引越があるので、約1ヶ月後再び地獄の地階を訪れねばならないのです。ふう、今から気が重い。
 なお、急用のため日本に一時帰国することになりました。8月6日のAOM便でパリを発ち、13日まで滞在しています。従いまして、書籍、雑誌、パソコンソフト等で購入希望ものがあれば、可能なかぎり持ち帰りますので、ご希望の方は詳細を日本時間の8月4日いっぱいまでにメールでお知らせ下さい。直接手渡しを希望か国内での郵送希望かも明記して下さい。
 愛しいPowerBookはパリに残してきますので、この期間はアクセス不能となります。

1992年07月29日

 JR中野の丸井の少し先にある「カルタゴ」は私の家に近かったものですから、非常に親しみのある店です。クスクスはまあスタンダードな味かなぁ、という感想を抱きました。ここはトルコ、地中海料理等を幅広く扱っているので、料理のバラエティに富んでいます。店の雰囲気はなかなか良い。
「ローズ・ド・サハラ」はいつも満員の店ですが、味はそう悪くないと思いますよ。ただ、ここの名物(?)はクスクスよりもワニ料理。私は2度ほどくらいましたが、これは極めて美味でした。あとモロッコなんとかというカレー風味のスープも絶品でしたね。コースより単品で頼んだ方がコストパフォーマンスは圧倒的に良いと思います。ちなみにこの店はカミさんを始めてメシに誘ったところでもあります(関係ないか)。
 全然関係ない話しですが、今日はANTENNE2でオリンピックの男子バレーボール日本対フランスを中継していました。なかがいちのスパイクがたびたびきまるため、アナウンサーが「Bon attaque! Oh, Nakagaichi! Nakagaichi! Toujours Nakagaichi!」と叫んでいるのが妙に印象的でした(結局負けて残念)。


 玄人さんが並んでいた地区って、多分ST.DENIS通り界隈、それもSTRASBOURG St.DENISとREAUMUR通りの間でせう。ここは2区ですけれど、相当きわどいカルチエです。同じ2区でもオペラ座に近い西側とは雰囲気が大違いで、オペラ座からポンピドーを目指し、ちょっと横にそれると途端に、という所ですから。あと、Les Halles 界隈でもST.DENIS通り付近は「やば地区」みたいですね。どうも最近は「St.DENIS」と聞くだけで身構えてしまう(苦笑)。
「ヨーロッパの姓というのは、問答無用で女性側が変わる」のは事実なようですね。クラスにいるスペイン系生徒もそう言っておりました。ただ、女性側の姓を残そうとするときは、両方の姓を並べることが可能だそうです。これは正式な身分証明書等にも明記されます。貴族の家督についてはまだ分かりませんが。


1992年07月21日

 今日は滞在許可申請の2度目の挑戦を行ってきました。感想を一言で言うと、「地獄の地階、天国の1階、ああ運命の螺旋階段...」ということになりましょうか。
 学生の滞在許可証申請先は、前回お伝えしたように15区のCentre d'Etudiantsです。地階で申請書類のチェックや問い合わせを行い、ここを通過すると、1階で最終的な申請手続きをするという手順になっています。前回私は地階で門残払いを食ったわけです。
 さて、今日は授業が終わってから直行したので、窓口に到着したのは1時半でした。チケットを取ると10人待ちです。窓口は2人の担当者がいました。そして、4人に30分ほどかかると、前回私を玉砕に陥れたおばちゃん、もといマダムが現われました。ところが、昼休み明けで気分がいいせいか、驚くほどテキパキと処理し、あっという間に私の順番がやってきました。しかも、皆順調にパスして行きます。
 番号を呼ばれ、私は戦戦兢兢と書類を渡しました。彼女は依然上機嫌らしく、「Hum, Hum」とか呟きながら、あっという間にO.Kのサインをくれたのです。私は胃のつかえがすーっととれるのを感じながら、書類審査(?)にパスしたものだけに許される1階に向かう螺旋階段を昇ったのでした。
 一人一人の処理に時間がかかるため、1階でもたっぷりと待つことになります。待ち時間の間に、地階で渡された必要書類に申請内容を記入しなければなりません。記入が終わると、後はまたひたすら待つだけです。この間がまた緊張するんだわ。
 ところが、暫くすると、雰囲気がだいぶ地階と違うことに気づきました。担当者が申請者に笑いかける声が聞こえてくるのです。それも嘲笑ではなく、極めて親しみのこもった笑い声なのです。しかも、申請者を「Monsieur」とか「Mademoiselle」とか呼びかけてくれるのです。地階のおばちゃん、もとい、マダムは「Bon jour」と言っても無視するし、話す言葉は「Passeport! Domicile! Scolarite! Ressource! C'est pas bon!!」だけ(?)です。全てが違う...
 1時間ほどで私の順番がやってきました。
 窓口の担当者は若い女性です。「Bon jour」というとちゃんと答えてくれました。そして、クリップできれいに整理しておいた書類を渡すと、彼女は「Tres bien!」を連発しながらテキパキと処理を進めてくれました。途中、いくつかの項目について質問があり、特に私の父親の名前と母親の旧姓が同じになっている理由を尋ねられました(私の父親は婿養子なもので)。「結婚した時おやじの方が名字を変えたんや(んな関西便で言うわけないわな)」と説明したら、彼女は笑ながら了解してくれました。うう、本当に本当に全てが違う。
 手続きはほんの10分ほどで終わり、帰るときにちゃんと「Au revoir!」とまで言ってくれたのです。こんなことで感激する自分がいじましい(?)。もしかすると、地階でフランスに悪意を抱く申請者は、1階で再び軌道修正をするのかな、と思いながら、私は天国のようだった1階を後にしたのでした。あとは7月15日以降にくるだけだ...。


 パリの治安なのですけれど、長期滞在の人の話しを聞いたり、自分で歩いた経験などで、ようやくどういう特徴があるのか、おぼろげながらですけれど分かってきました。要点をまとめると、次のようになるでしょうか。

(1)区によって基本的な性格がある。
(2)500m四方ぐらいのブロックでカルチエの雰囲気が変わる。

(1)については概ねガイドブックに書いてある通りです。新たな発見は(2)の方でしょうね。例えば私の住んでいるところは「Les Halles界隈」ですが、ここも危険地帯と安全地帯(?)のモザイクが形成されています。
 私のアパートがある所はポンピドーセンターの正面に当たる一角で、幸い安全地帯に属し、夜中に一人で歩いていてもさほど危険はありません(もちろん、東京の治安とは比較になりませんが)。しかし、ポンピドーセンター正面左側を少し入っていくと、ホモやSM愛好者の溜まり場があり、ちと異様な雰囲気があるという人もいます。また、Forum Des Halles近くの郵便局をよく利用するのですが、ここも郵便局の面している通りが境界線で、その先は延々とセックスショップの集積地帯になっています。ここらへんなどは、門外漢にとって多少の危険があることは事実でしょう。
 先日こんなこともありました。
 電気料金を払いにEDFの事務所に向かったときのことです。地図を見ながら私はカルチエを斜に突っ切ろうと思い、大通りから小道に入りました。ところが50mと歩かぬうちに、建物の陰になにやらくろーとさんぽい人が立っていらっしゃるのです。驚きながらもなお先に進むと、完全にあのテのエリアになっているのです。まだ午後2時でしたがかなり不気味な雰囲気でした。進路を直角に曲げて数分後に別の大通りに戻りましたが、そこは道の両側にごく普通のオフィスが並ぶ「堅気」のエリアに戻っていました。しかし、50m奥は「あのテのエリア」です。
 まあ、だいたいこんな感じですが、やばいブロックさえチェックに入っていれば、今のパリは概ね治安が良いと言っても構わないのでないでせうか。ちなみにヨーロッパで現在治安が悪いとされる都市の代表はナポリだそうです。ナポリのバスツアーは「サファリパーク」と呼ばれているそうです(バスから一歩も外に出してもらえず、ただ車窓から外を見るだけ)。


1992年07月18日

 現在、滞在許可証取得に奮闘している真最中です。新規申請には概ね2〜3回は足を運ぶことになるようです。これからフランスに留学し滞在許可を申請する人のために、基本的な注意事項、気がついたこと等を何度かに分けてアップします。今回は申請場所と必要書類について(なお、場所等はいずれもパリに住む場合のみです)。

1 申請場所
 日本人学生の滞在許可申請場所は、昨年の9月より15区のPrefecture de Policeに一本化されました。住所は次の通りで、ユネスコのすぐ近くです。
 13, rue MIOLLIS, 75015 Paris
 M10:Segur または、M6:Cambronne

 ただし、窓口は県庁庁舎内ではなく、手前の角にある「Centre d'Etudiants」と表示されているところです。入り口から入って少し奥にある整理券発行機のボタンを押してチケットを取り、後は記入されている番号が表示板に現われるのをひたすら待ちます。私は金曜の午後2時過ぎに行きましたが、18人待ちで45分くらい待ちました(尤も7人位帰ってしまった人がいた)。

2 必要書類
 大きく分けて次の4種類が必要です(いずれも公式案内の通り)。
  • A.PASSEPORT(originaux+photocopie)
  • B.ETUDES(originaux+photocopie)
  • C.DOMICILE(originaux+photocopie)
  • D.RESSOURCES(originaux+photocopie)

 A.パスポートは必要ページのコピーが必要です。必要ページとはP2〜P7及び学生ビザの張られているページです。P6〜P7は追記AMENDMENTSで通常は何も記載されていませんが、一応コピーが必要とされています。

 B.大学/大学院なら入学許可証または学生証、各種学校なら更に授業内容、授
 業時間/週、学費納付状況等の証明書が必要です。ここで一番注意が必要なのは、窓口の担当者が知らない大学/大学院だと、無条件に各種学校と同じ書類を要求されます。私の場合、所属先はGrande Ecoleだと主張したにも関わらず、聞いたことがないの一言ではねつけられました。なお、政府未認可の学校は一切認められません。

 C.政府認可の不動産業者の作った賃貸契約書があればそれが使えます。ただ、実態としては大家さんに居住証明を書いてもらうケースが多いと思います。その場合、Attestation d'hebergementはCentre d'Etudiantsに置いてある所定の用紙を用いねばなりません。また、更に大家さん宛のEDF/GDFの領収証(最新)または電話料金の請求書、そして大家さんの身分証明書(Carte nationale d'identiteまたは、外国人の場合はCarte de sejour)のコピーが必要です。私は市長発効のCertificat d'hebergementを持っていきましたが(こちらの方が遥かに証明能力がある)、指定書式でないの一言でパーです。ああ、100Fの印紙代が...

 D.ビザ申請時に用いた送金伝票またはTCの両替証のオリジナルが必要です。送金した金を許可申請前に受け取って銀行口座に入金すると、送金伝票は銀行に渡ってしまいますが、この場合には銀行の残高証明を作ってもらう必要があるそうです。滞在許可申請書類の中でここは一番うるさく、必ず明確な証明を要求されます。因みに私も知らずに口座入金してしまったのですが、口座入金の際の伝票で代用が効きました。
 なお、「金」に関しては、個人的感想として、フランのTC両替で申請を全てこなし、フランス入国後に東○銀行パリ支店で口座を開き、TCを換金してそこに入金するというのが圧倒的に楽な方法だと思います。私はフランス系の銀行に送金し送金先で口座を開きましたが、これは本当に2日がかりの大仕事でした。

 その他:保険について
 海外旅行保険を用いる場合、必ずフランス語のATTESTATIONが必要です。日本では発効してもらえませんので、パリの支店で作ってもらう必要があります。これはその場で5分もあればやってもらえます。パリに支店のない保険会社の場合は、日本大使館または在仏日本人会に法定翻訳を依頼する必要があります。これには約4日かかります。
 以上、第1回目の申請手続きで気がついた点を書いてみました。来週の火曜には再度挑戦です(;_;)。

1992年07月17日

 革命記念日が終わって、パリに突然夏が戻ってきました。一昨日まではサマーセーターなしでは日中も肌寒かったのが、昨日から突如夏の太陽が舞い戻り、Tシャツ1枚でも暑いくらいです。噴水ではガキどもが盛んに水浴びをしています。
 さて、先日町田さんよりお問い合わせ頂いた、小口メール・オーダを受け付けてくれる本屋なのですが、次のところが一応OKということです。この情報は元パリ商工会議所スタッフで、パリで私が何かとお世話頂いている日本人女性から伺ったものです。
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 店名:Interferences(fの次のeにアクサングラーブ)
 住所:33,rue Linne,75005 Paris(Linneの最後のeにアクサンテーギュ)
 電話:(1)47.07.70.06
 ファックス:(1)45.35.58.84
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 扱っている本は、技術・理工系から文学までかなり幅広いそうです。条件としては、絶対に返本しないこと、支払方法を明確にすることだそうです。支払方法についてはカードを扱っているとのことなので、カード会社名、カードNo、名義人氏名、有効期間を明示しておけば十分でしょう。カルトブルーを扱っているので、VISAは確実、マスターも多分大丈夫でしょう。
 時間があれば一度この本屋を尋ねて詳細を聞こうと思いますが、急ぎの方は直接ファックスで問い合わせてみてはいかがでしょうか。なお、もしかすると年に何回という制限が付くかもしれないとのことです。
 マック版仏仏辞典ディスクバージョンの有無はまだ不明ですが、この情報を提供頂いた女性の御夫君は熱烈なマッカホリックゆえ、今後機会があったら尋ねてみます。何でもポリテクニシャンにはマッカホリックがえらく多いとか。
 ちなみに、「Hugo Plus」はfnacでは950Fでした。


1992年07月10日

 6月24日に70kgの荷物をかかえてオデオンのホテルに着いてから、あっというまに半月が経ちました。何だかえらく昔に日本を離れたような気がします。到着後1週間位はえらく暑かったのが、このところずっと肌寒く、サマーセーターは欠かせません。
 7〜8月はポンピドーセンターの近くのアパルトマンに腰を落ち着けることになりました。9月からは13区に引っ越す予定です。近くにどえらく安いEpicerieがあり、生活費は驚くほど安くすんでいます。心配していた通信事情の方も、近くの事務用品店でFrance Telecomのコネクタとモジュラージャックのアダプタを発見し、何ら問題なく接続ができました。会社からのメールをチェックするために、毎日NIFには接続しています。
 大学院の授業が始まるまでは、Alliance Francaiseに通っています(集中コースでもソルボンヌより安かった!)。クラスに日本人は私一人だけで、それどころか東洋系が他にマレーシア人、ベトナム人が各一人づつという、圧倒的にスペイン系優勢の構成です。最近になってようやく「de」「le」「que」を頑なに「で」「れ」「け」と発音するスペイン訛りにも馴れました。
 そうそう、夏なのに何か足りないと思ったら、日本にいるときは呪いたくなるような湿気とせみしぐれがないのです。なんだか早くもなつかしさを覚えます。
 なお、8月までは自由時間がかなりありますので、パソコン関係で何か情報がほしい人は、その旨メールでお知らせ下さい。ちなみに私はMacしか使わないので、DOS関係の知識は既に消失しております。こちらでの連絡先はプロフにアップしておきましたので、パリにおいでの際はご一報下さい。オフ(?)の準備を整えますゆえ(笑)。



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