この月のエントリー
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

過去の日記一覧

月別アーカイブス



この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年08月31日

 今日から引越をぼちぼちと始めました。明日には2ヶ月間住んだこのアパートともお別れです。思えばLes Halles界隈というのは本当に便利な所で、夏の間、実に気持ち良く住むことが出来ました。
 同時にアリアンスの集中講座も明日で終わりです。2ヶ月間コースを供にした連中は、一部は既に帰国し、一部は明後日帰国し、そして一部はそのままパリに残ります。皆順調にコースを消化し、アリアンスに残る人は無事最上級コースに進級できたようです。
 アリアンスは確かにクラスの人数が多すぎる(上級で平均25人くらい)という致命的とも言える欠点はありますが、メディアなどの施設の充実度、毎日のように行われる講演会、そして各国から集まる様々な生徒達と、時間を有効に過ごそうと思えばいくらでも出来るだけのポテンシャルがあると思いました。ただ、そのためにはやはり上級のレベルが必要だし、また、初中級は日本人生徒が極めて多いため、日本人には基本的に上級向けの学校という気がします。他の人の意見でも、初中級者にはもっと小人数で丁寧な指導を行う学校の方が効果的だとのことです。
 2ヶ月間の授業で感じたことは、我々東洋人は二重のハンディを背負っているということです。第一が語彙力、そして第二が本場に接する機会です。語彙力で言えば、スペイン系やイタリア系は殆ど単語を覚える必要がない。スペフラ辞書やイタフラ辞書を見ると、同じ単語が左右に並んでいるだけのようなものです。これでは土台勝負に成りません。まあ、彼らにはディクテに問題有りということはありますが(実際、スペイン系は「Il se posait.」と「Il s'est pose.」を判別できない)、我々より遥かに有利である点は事実でしょう。
 第二に、ヨーロッパの学生は夏休みなど実に気軽に本場の語学学校に行ってしまいます。それもほとんど国内旅行のような手軽さです。特に、イタリア人やドイツ人など、結構週末は家に帰ったりしていたようです。
 まあ、これらの問題は何も昨日今日に始まったものではないのですが、一在留邦人としては、何らかの対策を施さねば永久に日本人は語学のハンディを負ったままになりかねないと危惧する次第です。第一の問題は言語系統の問題だから抜本的解消は無理にしても、だからこそ小学生の内から外国語教育を行う必要があるように思います。
 第二の問題については、国なり自治体なり企業なりが欧州主要都市に寮を作り、そこを夏休み期間中は日本や他のアジア諸国の大学生、高校生に利用させ、他の時期は欧州に留学するアジアやアフリカの学生に利用させるような仕組みがあればかなり状況は変わると思います。そうすれば、アジアの学生が欧州を知る機会が増えるし、また、同時に「国際貢献」にもなるという一石二鳥だと思うのですが。
 私は「国際化」という言葉が大嫌いだし、そもそも「語学力がある=国際人」などとは毛頭思いません。実際、自国の歴史や文化を知らないないで語学だけ達者な外国人は、ヨーロッパ社会では極めて軽く見られるそうです。議論で重要なのは語学力でなく教養で、また、他国の人間とのコミュニケーションで本質的に重要なのは、他の文化に対する寛容性と、日本人なら日本人としての根っこであるように思うのです。この点、語学はまさに「技術」そのものです。
「技術」としての語学がコミュニケーションの領域を飛躍的に広げることは事実であり、その重要性は今更申すまでもないでしょう。問題はその技術修得が日本の現状ではあまりに労多く、多くの場合その修得だけで力尽きかねない点です。
 前述のように、やろうと思えば出来ることが結構ありそうなのに、何で状況が変わらないのか?語学でまさに苦悩している私には苛立ちを覚える次第です。


Copyright (C) Masayuki ESHITA
サイト内検索

カテゴリー(archives)

最近のエントリー(RSS)