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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年08月28日

 私なりに感じた「京都パリ類似論」(?)は次のようなものです。もちろんこれは私の一方的な感想であり、かつ、私は東京もNYも京都もパリも好きであると断って(弁解して?)おきましょう。
  • 文化的中心地という意識が強い(京都でも年配の方はそうなのでは?)
  • 文化の新興地への対抗意識、優越感、そして憧れが複雑にからみあっている
  • 概して閉鎖的だが、一度中に入ると異様なほど親切
  • 観光客の受け入れは手慣れたものだが、転居者には冷ややか
  • どこかのんびりとしたところがある(良く言えばせせこましくない)
  • 保守的なようでかなり進歩的、しばしば前衛的
  • 街全体にけだるい雰囲気が漂っている(これは「活力はあまりない」と同じ内容だと思います。私は何となく悠久の時の流れを感じましたが)。

 だいたいこんなところです。  東京NYは簡単に言えば、経済活動でも遊びでもエネルギーが充満している、せせこましい、空が狭いという3点だけですが、これだけでもNYにいた時は東京と変わらない印象を受けてしまいました。確かにステレオタイプという点では、パリはNYと同じですが、それ以外の点では京都との共通点が多いと思いました。  まあ、東京でも昔からの江戸っ子と戦後流入住民とでは全く気質が違うと言いますから、このてのテーマは所詮印象を論じるしかないですね?この続きはパリでゆっくりやりませいか(笑)。

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