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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年08月22日

 必ずしも一般論とは言えないかもしれませんが、おおよそ数学者(特に日欧)は自分の仕事が何に役立つかなんて意識は希薄でしょう。先般、フィールズ賞を受賞された京大助教授が「100年もすれば何かに役立つかも知れませんねぇ」と応えていたのが、まさしく数学者の一般的反応だと思います。数学者は自己満足の美学に浸っていると言われており、何のためにと問われても回答不能かも知れませんね。
 一方、最近は数学の細分化・専門化が著しく進み、特に20世紀半ば以降の体系を理解するためには多くの「常識」を学ぶ必要があります。巷の数学の教科書は基本的に「用語解説」であり、私も担当教授から「教科書なんて雑誌や論文を読むための基本単語帳のようなものだよ」と諭されたことがあります。こんなわけで、一般の数学の教科書が定理や公理の目的を明示的していないのも、やむをえないような気がします。それと、物理や経済で利用する数学は数学者や数学科生には「過去の遺物」ですから、両者の要求にギャップが生じるのは無理からぬことと思うのです。そうなると、物理学者なり経済学者なりが執筆したほうが、遥かに目的志向のテキストができるということになりましょうか。
 そうそう、ブルバキは現代の数学を全てゼロから再構築(当然、自然数の定義から)しようとするもので、フランスの若手数学者複数が執筆し、セールやグロタンディックといった大御所が評議するというものです。日本では「原論」というタイトルで膨大なシリーズが翻訳されています。数学科生には必携ですが、これははっきりいって相当難しい!私が学生の頃は、ブルバキは一通り勉強をした後の整理に読むものだ、という雰囲気があったように思います。ぼちぼち勉強するためのテキストにはちと不適ではないかな、って気がします。まあ、それでも20代で助教授になったバケモト達は、中学・高校のころからブルバキに親しんでいたというから驚きですが。


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