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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年08月19日

 大数学者ガウスは学生時代に数学を取るかラテン語の道に進むかを散々悩んだそうです。結局、所謂代数学の基本定理(ガウス−ダランベールの定理)を証明したことが、数学者への道を歩ませたそうです。18〜19世紀当時はラテン語が数学者の共通語だったそうで、中でもガウスはその代表挌だったようですね。また、イギリスの数学者ハミルトンも語学ヲタクで、12才までに11ヶ国語をマスターしたことを、4元数の発見よりも自慢にしていたそうです。なお、ガウス自身も晩年ロバチェフスキーの論文を早く読みたいがために、60過ぎてからロシア語をマスターしました。
 まあ、数学もシンボルを用いたコミュニケーション手段ですから、語学との関わりは必然的に強いはずですね。


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