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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年09月06日

 私は奥ゆかしいと感じてしまう。京都びいきだからかもしれませんが。そういえば、三国志の中でも劉備玄徳が徐庶に帰って貰おうとしたとき、家の者に「湯を点ぜよ」と命じる場面がありました。中国でも似たようなメッセージがあったわけですね。
 パリっ子の間にも似た様なコミュニケーションは結構あるそうです。パリ在住12年という方が、以前そんなことをおっしゃっていたように記憶しています。生憎と具体例は失念してしまいましたが、こういう時はああしてくれというメッセージ、あういう時はこうしないでくれというメッセージというものがあるのだそうです。


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