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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1992年10月27日

 昨夜の風で紅葉していた木々もかなり葉を落としていた。今日も相変らずダウンジャケットの必要な気温である。ただ、今月上旬のように太陽が全く姿を現さないという日はさすがになくなり、空気は冷たいとはいっても時折差す日差しはまだ多少は温い。
 今日は帰国売りを漁りに在仏日本人会を訪ねた。目ぼしいものがなかったので、即図書室で新聞と週刊誌を読み漁った。1時間半ほどしてから外に出て、いきなり凱旋門やFouquetが目に入ると、「そうか、ここはパリなんだ!」と今更ながら気づいた。日本人会に来る前は例のごとくJUNKUで漫画の立ち読みをしてきたので、頭の中はすっかり「日本」にスイッチされていたらしい。パリにいることを認識してからも、誰かに話しかけられたらどうしよう、というもの凄い不安にかられてしまった。そして、自分がまがりなりにもフランスで生活し、多少の会話なら不自由しないことを思い出すのに結構時間がかかった。
 どうも世の中が便利に成り過ぎて、「ワタシハドコ?」という自問をしばしば繰り返してしまう。何しろ通信で日常的に日本の友人達と接しているし、一昨日の夕食はギョーザにタクアン、小魚の佃煮にワカメの味噌汁である。しかも出不精の私は昼まで寝過ごしてしまったのをいいことに、一日外出せずに三島由紀夫の「不道徳教育講座」をパラパラと繰っていた。本当に東京の生活とどこが変わっているのだろう?
 便利になると疎外感や孤立感からは無縁となるが、時々変な錯覚に陥るのが困りものである。


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