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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年01月18日

 古典といふからには時間を越えた輝きを持つものでありましょう。ショーペンハウアー曰く、「ベストセラーは流れ星。世間があれは何だ、と思っているうちに消えてしまう。流行の作品は惑星。しばしば他の星を圧して輝くが、所詮まがいもので、太陽が消えればそれも消える。古典とは恒星。その輝きは永遠である。」と。
 技法的なものに古典の要素を求めるのは、基本的に無理のある考えかただと思う。また、歴史的あるいは記念碑的作品と古典とは厳密に分ける必要があると思う。技法のみに注目するのなら、それはやはり記念碑的と呼ぶべきでしょう。かつてサイレントからトーキに移ったとき、トーキによる最初のミュージカル映画が確かアカデミー賞を受賞しておりましたが、それもエポックメイキングな技法の賜物でありましょう。
 ところで、私は結構SFが好きなのですが、11才の時にエドモンド・ハミルトン「時果つるところ」を読んだ感動が未だに忘れられません。現在に至るまで年に1度は読み返しており、既に30回以上読んでいるというのにその都度新たな感動があります。映画でも本でも人それぞれにその人の古典があると言ってよいでしょう。


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