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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
来週はイースター休暇で学校が休みなので、かねてよりモロッコ人同級生に誘われていたブルターニュに旅行してきた。彼の奥さんがブルターニュ出身で、2ヶ月に1回の割合で帰省するとのこと、前回も誘われたのだが日本に帰る用があったので「次の機会に」となったわけである。
メンバーは友人アブデル、その奥さんパトリシア、そしてカミさんと私の4人である。電車で行くより車の方が安くて便利だということで、レンタカーを借りることになった。残念ながら私はまだ法定翻訳もフランス国際免許も申請していないので、運転は専らパトリシアの役目となった。
行きはパトリシアの友人も一人同行した。やはりブルターニュ出身で今はパリに住む女性である。前に一度面識があるのだが、これが中々の美女。こういう美女と対面の度にほっぺにちゅっちゅできるのだから、やはりフランスはいい国である。
イースター休暇前の金曜とあって、パリ脱出には2時間かかった。オートルートはまるで土曜の中央高速のような渋滞である。電光番にはBouchon 10kmとあった。ただ、私は前日ほぼ徹夜に近い状態だったので、渋滞表示を見て間もなく記憶が途絶えてしまった。気がついた時には既に渋滞は終わっていた。
パリの外側は一瞬にして田園風景が広がる。これはパリ・セルジー間でも同じことなのだが、本当に一面なだらかな土地が広がる。北海道の風景がヨーロッパ的だと言うが、本当にその通りであることを痛感した。特にブルターニュあたりの風景は富良野や美瑛の景色そのままである。丘陵の起伏、畑や牧草地の組み合わせ、木の配置、これらはまるっきり2年前にドライブした美瑛そのままであった。
オートルートの途中、24時間レースで有名なル・マンを通過した。私はF1が好きなのだが、カミさんはどちらかというとプロトタイプを好む。これまでもル・マンは結構見ていたし、今年はナマで見たいと叫んでいる。私はあの三葉虫に似た車がのんびりとピットインしている光景に我慢が出来ないので、今のところ完全拒否の構えである。見るならやはりF1のベルギーGPに限ると信じている(さすがに今の財政ではモナコGPとは言えない)。
途中、一度だけサービスエリアに寄った。給油及びPisPisである。皆そろそろたまっていたとあって、私の横に座っていたブルターニュ美女がふざけて「Maman! PisPis!」と叫んだ。
給油後の支払の際、パトリシアがカードをなくしたと言った。レンタカーを借りる際には確かにあったのだから、レンタカー屋に忘れたかもしれないとのこと。店に早速電話したところやはり忘れていた由、スタート早々からトラブル発生であった。
ドライブ・インの雰囲気などは、どこの国も似たようなものだと思った。トイレの数は日本より少ないものの、フランスの方が清潔なように思われた。ただ、男用・女用の区別が結構紛らわしく、女用の方はすぐにわかる「絵模様」だったのだが、男用の方は一瞬「妊婦」に見えた。それに私が入ろうとしたときにオバさんが入ろうとしたので、私は結構うろたえてしまった。5歩さがって人の流れを眺めていると、立て続けにオッさんが2人「妊婦」マークに入って行くので私も即フォローした。中にオバさんが残っていたものの、入った右側に見慣れた男用のトイレを発見した。
パトリシアの両親が住むフジェール(Fougere)には8時頃着いた。8時と言ってもまだ日没の約45分前である。ここで同乗美女とお分れである。到着の5分後に彼女の姉が迎えに来た。
パトリシアの両親宅には9時頃に到着した。実はこの時フジェールがどこにあるのかわからなかったのだが、今日(4/12)地図で確かめたらレンヌの北約50kmのところであった。人口2万人の小さな町だが、ド真ん中に封建時代に建てられたものとしては一番古い城がある。
パトリシアの両親宅はフランスの地方や郊外で良く見かける「2軒屋」であった。中央がガレージになって、ガレージの境界がそのまま隣との境界になる。1階は全てリビングで中央に暖炉があり、いかにもヨーロッパの家という感じであった。彼女の両親は夕食を用意して待っていてくれた。この日はここに泊めてもらった。
ブルターニュ地方とあってメニューは魚料理である。前菜ではボイルした海老をたらふく食い、本菜ではホワイトソースのたっぷりかかった白身魚、そしてデザートは地チーズにグラース・オ・ショコラである。アルコールの飲めない私は彼女の父親が作ったオレンジ酒をほんの一口(これは口当たりがえらく良かったため、私には最も危険なものであった)だけ味わい、あとはVolvicであった。それにしても旨かった(料理も酒もチーズも)。(*^_^*)
12時頃まで雑談の後、ベッドに入った。我が友アブデルの言によれば「俺は雨男だからね」。カミさん曰く「私は晴れ女よ」。この日はパリを出発する時こそ雨が降っていたものの、ル・マンあたりから晴れ間が広がった。取敢ずこの時点ではカミさんが1ポイント獲得したのであるが、肝心なのは次の日以降。そう簡単に毎日天気が良いはずないと思うのであった。
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