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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年04月08日

 手紙の書き方はかなり違うと言って良いでしょう。以前コミュニケーションの授業で依頼文の演習がありまして、アメリカン・スタイルで(これは昔会社で使っていたフォームがあったので)手紙を作って課題を提出したことがありました。そうしたら、「このような形式だと内容は分かるがあまり良い印象を与えず、結局目的を果せない可能性がある」と指摘されました。フランスにはフランスのスタイルがあるということです。
 結局、話しの切込方とか展開、そして無論表現にもフランス独特の「常識」があるため、「手紙が自由に書ければ立派」ということになるでしょう。これは日本語も同じで、「手紙」を書くという行為はコミュニケーションでも最も難しい部類でしょう。実際、会社でもきっちりしたビジネスレターを書ける人は少ない。コミュニケーションの見地からすると、「手紙」は極めて儀礼性の強いメディアですから。
 反対に、手紙の書き方を教えるというのは、恐らくフランス語、あるいはフランス文化圏固有のテクニックを教えると考えていいような気がします。商業系グランゼコールだとこのようなことを授業できっちり教えています。
 まあ、間違いなく言えることは、「手紙」にはかなり文化的背景が反映され、万国で一番共通していないことの一つのように思うのです。実際、翻訳の仕事をしていて一番たいへんなのは手紙、それも独特のレトリックに満ちた役所の手紙ですね。「拝啓、時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。貴下におかれましては云々」なんて、逐語訳しても無意味でしょう?

 講座だけを受けて1年でMemoireを書けるようになる、というのはかなり厳しいような気がします。商業系グランゼコールでもMemoireの書き方は指導されますが、これは書き方を教えるというよりも、書く時の注意事項を教えるという感じ。個人的感想としては、この辺の注意事項はそれこそ万国共通という気がします。まあlisibiliteは各国語それぞれですが。
 実際にMemoireを書くとなると、常日頃から専門書になるべく目を通し、専門分野に応じたレトリックを覚えるなど、場数を踏んでいかないとどうしようもないように思います。だから講座だけに頼ってMemoireを書く文章力をつけるというのは基本的に無理があると思いますよ。かく言う私も秋までにMemoire
(指定枚数70頁)を書かにゃならんのですが、逐次友人に添削してもらわざると得ない。これはドイツ人をはじめ留学生共通の宿命。


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