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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
レンヌを出たのは夜11時に近い時間だった。日中こそ雨が降ったり止んだりであったが、夜になったら雲一つ見えなくなった。フランスに住み始めて初めて見る澄み切った星空である。
稚内でも感じた事だが、緯度が45度以上になると北極星が空高く輝いているという感を受ける。ましてや稚内より遥か北に位置するレンヌともなると、北極星を「見上げる」という感覚だ。空低くにカシオペア座の姿も認められたが、この緯度になると1年中地上に姿を見せている。カシオペアがこの位置なら、北斗七星は天頂付近であろう。木星の圧倒的な輝きも見えた。
ずっと運転しっぱなしのパトリシアには申し分けなかったが、後部座席で体を大きくのけぞれせ、リアウィンドゥからしばし星空をながめた。窓越しでもかなりの星の数が見えた。アブデルに「星を見るのが好きか?」と尋ねたら、即座に「オレは詩人じゃないから寝るほうが好きだ」という応えが帰ってきた。
この日泊めてもらうことになっているパトリシアの両親宅に着いたのは、夜12時頃であった。家の途中にライトアップされた古城の姿があった。運転疲れにもかかわらず、パトリシアはその周りを1周してくれた。封建時代のものとしては一番古い城だということだ。明日帰る前にゆっくり見物しようということになった。
旅行に出ると、初日こそ寝つきが悪いものの、第2日目からはどんな場所でも寝られるのが特技であった。しかし、ブルターニュ3泊目のこの日はなぜか寝つきが悪かった。頭を洗っていないからだろうか?
朝9時頃アブデルが起こしにきた。寝ついたのが2時過ぎと思われるので、カナッペのベッドから出ても足元がフラついた。下に降りるとパトリシアの両親は勿論、アブデル達も朝食を終えた後だった。
アブデル達は近くに住むパトリシアの祖母に挨拶してくると言って出かけていった。残った我々2人はまだぼっとする気分のままで、パンとコーヒー、チーズだけの朝食を取った。パンを簡単に浸すことができるよう、小さなボールでコーヒーを飲んだ。パトリシアのお母さんは我々の昼の弁当として、サンドウィッチを作ってくれているところだった。
アブデル達が帰ってきた。みやげに鳥や魚の形をした中空のチョコレートを買って来てくれた。イースターの週間だということだ。子供達はこのチョコレートを庭に隠すという習慣もあるそうだ。鳥の形をしたチョコレートには、ひよこや卵の形をしたチョコレートが入っていた。魚の中は魚であった。
パトリシアの両親の見送りを後にして、我々は帰路に向かった。途中、昨夜レイトアップされた姿だけをぐるりと巡った古城に足を止めた。城そのものは戦災のために外壁と見張り台が残るのみであるが、堀や町並みはまだ昔の面影を留めているようだ。
駐車場に戻ってさあ城を1周しようという頃、突然パトリシアの両親がやって来た。何事かと思ったら、昨日我々が買ってきた牡蛎を冷蔵庫に忘れて行ってしまったのだった。城に寄ってから帰るということを知っていたので、わざわざ車で追いかけて、届けに来てくれたのだった。
城の裏側に回ると、旧市街とでも言うべき古い町並みが残っていた。城自体が11世紀のものなので、この町並みが成立したのも900年前ということになろう。源氏物語の時代と大差ないのだから驚きである。一番古そうな建物は半ば倒れかけていたが、衛星通信のパラボラがちゃんと立っているところが「現役」であることを示していた。ちょっと古い建物には壁に聖マリアのミニチュアがはめ込んであった。雰囲気としてはドイツの町に近い。
城を後にして、我々は4日前に来た道を逆に辿った。フジェールを出るころ曇りだった天気も途中から晴れてきた。ル・マンを過ぎ、再び北海道のような風景を何となく眺めていた。渋滞に出くわすころには、モンパルナスタワーの姿が見えてきた。
パリに住み初めて10ヶ月経ちました。この時期をフランスで迎えるのは3度目の経験なのですが、パリ及びパリ近郊以外の土地を訪れるのは初めての経験でした。果たしていつまでフランスに滞在できるかは分からない(実際、10月で帰国という可能性もあります)のですが、これを機会にまたどこか訪ねてみたいものだと思っています。
因みに、昨年9月より流通が始まった20フラン硬貨の裏は、今回訪れたモン・サンミッシェルがデザインされています。
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