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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年05月06日

 いきなり過激なタイトルを掲げてしまいました。
 恥しながら、月曜の夜までベレゴボワ前首相が自殺したという話を全く知らなかったのでした。その日は新聞を読んだとはいえ経済欄しか見ず、たまたまクラスの連中がその話題で盛り上がっていた頃は、教室でシエスタしてしまっていたのです。結局、夜帰ってから、M田さんからこのニュースを聞いたのでした。おまけに、氏の遺体は私のアパルトマンから徒歩15分の所に安置されていたそうです。
 その日、帰りのRERがデファンスの1駅手前でストップしてしまったのです。何でもシャトレとリヨンの間で自殺があった影響とか。これで結局帰りが1時間以上遅れてしまったのですが。翌日この話をしたら、皆まず私が知らなかったことに驚きつつ、結構フランス各地で触発(?)自殺があったという話をしておりました。少なくとも共和制に移ってから、フランスで前首相が自殺したなどということがなかったため、相当な衝撃が全土を走ったそうです。直前まで借入金疑惑で散々氏を攻撃していたジャーナリズムも、一転して氏の業績をたたえる記事ばかり載せるようになったみたいです。確かに死んだ人間を攻撃するのはタブーと言っても、複雑な気持ちを抱いている人も多いようですね。


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