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過去の日記一覧
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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
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■ 1993年06月 アーカイブ |
看板といえばこんなものでしょうか。因みにそのまま「Kanban」というと、Just in Time生産管理システム「Kanban Systeme」を指すこともあります。これはトヨタの凄さですね。レギュラシオン学派はそのまま「トヨティズム」と呼んでいます。 パリの看板は街の色相を乱すことがないよう義務づけられています。その点良く言えば落ち着きがあってシックですが、悪く言うと分かりずらい。実は医者や歯医者は全く看板を出しておりません。門の脇のインタフォンの所に小さく札がついているだけなのです。アパートの住民の一人がたまたま医者をやっている、そんな感じですね。私のアパートの隣りと裏側に、合計3件の医者が開業しています。 医者に限らずパリでは映画館もごく普通のアパートの中にあったりします。我家の向三軒両隣を見ますと、それぞれ地階にカフェ、ブラッスリー、レストラン、雑貨屋、そうざい屋そして映画館。1階以上はふつーの住民の住むアパートですから、典型的職住混在環境ですね。 静かな住宅街を思わせるアパート群の一角に突然映画の看板が出てくる、これもパリらしさの一つでしょう。 私が一番気に言っている看板は、モンマルトル広場に向かう途中にある絵葉書屋「Chat Noir」でございます。看板が絵になるのはやはりモンマルトル。 |
先日セルジーのショッピングセンターで時間を潰していた際、本屋でSFのペーパーバックを眺めていたのでした。SFが好きだと言っても、のめり込むようにして読んでいたのは10年ほど前がピークなので、最近の作品はほとんど知らない。
SFにも結構流行がありまして、かつては宇宙船が飛び交っていたいわゆるスペオペ(スペースオペラ)中心だったのが、60年代頃から人間の心理、所謂インナースペースを扱うものが台頭してきたのですね。最近はバイオテクノロジーを扱ったものが多くなったという話しを聞いたことがあります。
SFの中心はアメリカゆえ、フランスのSF作家と言ってもジュール・ヴェルヌしか知らないのです。現代作家となると知識ゼロ。まだドイツの方が多少知っているくらいなのですね。実は大学入学の際、SFを読みたいがためにドイツ語を選択しようと思ったこともあったのです。
セルジーで見かけたSFもあにはからんや、アメリカものの翻訳ばかりでした。尤もフランス人作家が目に入らなかったのかも知れません。見つけた作家と言えば、バラード、ハミルトン、ハインライン、アシモフ等々。バラード以外は皆アメリカ人でございます。でも、時間が出来たらバラードの仏訳版なんぞを読んで見ようと思っています。短編集「時間都市」(原題:Chronopolice)なら数十回読んだので、多少単語が分からなくても読めるのではないかと思って。
因みにハミルトンの「時果つるところ」は英語のオリジナルの方が入手しやすいかもしれません。原題は「City at the world's end」です。
Mac のクロックは日本時間を示しておりまして、このメッセージを打っているのが6月24日の午前11時です。フランス時間で午前4時ですから、昼夜逆転しているのがばれてしまう。
一年前のちょうどこのくらいの時間に、成田を発ってパリに向かったのでした。あの日は朝の5時まで会社で仕事に追われておりまして、完徹の状態で家にタクシー帰り。仮眠の時間もなく風呂にだけざぶんとつかり、1時間で荷物を何とか梱包するという有様でした。成田まではカミさんに車で送ってもらったのですが、途中から雨が結構強くなり、駐車場から荷物を運ぶのがえらくおっくうだったことを覚えています。
しみじみと時間の経つ早さを感じてしまいます。ひょっとしたら9月で帰るかもしれないことを考えると、10年もするとこのパリ滞在が、きっと何かの夢のような非現実的出来事に感じるのではないかと思ってしまいます。まあ、逆に言えば、いろいろ考えてもあっと言う間に終わってしまう経験なのかもしれません。だから、いろいろ思案することも大切でしょうが、一度行きたいと思ったら、チャンスがある限り後はそれに従って行動してしまうのが、何よりも正解だと思うのです。
語学力を気にしていたら留学はできない、と言ってしまうといかにも開き直りに聞こえるかもしれません。しかし、語学で苦労するのは自明なことであり、要は日本にいる間により多く苦労するか、フランスでより多く格闘するかの違いにすぎません。単に効率だけを考えれば、フランスで格闘した方が効果的と言えましょう。前にも書きましたが、実際に問題となるのは語学力と専門知識とのバランスです。場数を踏まねばどうしようもない問題も多々あるのです。
多くの人が留学している現実を見れば、つまるところ多くの人がちゃんと解決しているということでしょう。結局何とかなっちゃっうみたいですね。まるで他人事のようですが。
フランス語圏の漫画といえば「TinTin」(アメリカ人が「ティンティン」と発音するのがおかしい)でしょうが、JUNKUの地下一階のコミックコーナで中・高校生くらいの少年達が夢中になってドラゴンボールを眺めている姿をよくみかけます。実際、日本の漫画を読みたいために日本語を学ぼうとするフランス人も結構いるそうな....。
レ・アールのフナックなどは結構コミックコーナーも大きく、立ち読みならぬ座り込み読みしている人がかなりいます。ただ、フランスのコミック誌はA4版くらいの大きさで、ほとんどがハードカバーですから大の大人が座り込んで絵本を読んでいるように見えます。これ、結構不気味な光景。
余談ながら、例のアブデルには梅肉入りの醤油ドレッシングをかけた海藻サラダが異様なほど受けていました。
実は昨日、突然うなぎを食いたくなりまして、早速「やまに」に行ってきた次第です(一体どこに住んでいるのやら)。
お好み焼きは家で作って良く食べますよ。何しろ小麦が安いですから。それに、ホットプレートも日本から送ってあるのです。ただ、もんじゃだと火力がいまいちなので、残念ながらペケ。 以前、マリー・ピエールにお好み焼きをご馳走したことがあります。うまいうまいと言いながら、あっと言う間に平らげておりました。作り方を教えて、と言っていた位ですから、本当に気に入ったのでしょうね。材料はトルビアックの中華街で殆ど手に入るし、いざとなれば京子食品で全て揃います。
時折話しに出てくるアブデル夫妻に以前牡蛎鍋をふるまったことがあります。モロッコには「鍋を火にかけながら食事をするのはアホ」とかいう諺があるそうですが、牡蛎鍋のうまさにアブデルは完全に「この諺は間違いだ」とうなっておりました。彼らの日本食のイメージはテンプラ、刺身/寿司が中心ですから、郷土色豊かな料理は基本的に受けるようです。特に鍋もの。
6月8日に政治家のユーモア大賞が政治風刺クラブによって選出されました。主な結果は次の通り。
第一位:前環境相セゴレーヌ・ロワイヤル女史
「私は我々が行ったことに誇りを持っています。そしてそれ以上に、残された課題に対しても誇りを持っています」
優秀賞:国会議員ジャック・ゴドフラン氏
「社会党員は貧しい人が好きなものだから、せっせと貧しい人をつくりだしている」
外国人特別賞:英国保守党議員テレサ・ゴールマン女史
「マーストリヒト条約に賛成票を投じるのは、七面鳥にクリスマスに賛成票を投じるよう頼むようなものだ」
私のCGとの出合は約12年前です。ゼミの教授がCGに凝っておりまして、買いたてのApple IIで作成した模様を見せてくれました。この教授、無論本職は数学者でしたが、なんでも某下着メーカーの依頼でブラジャーのデザイン(模様も含めて!)をしたこともあるとか。
前置きは長くなりましたが、この時教授が語っていた「美の奥にはシンメトリーとランダムがある。自然の美はすべからく数学的であるはずだ。」という言葉が忘れられません。依頼、私にとってCGとは数学の視覚的表現手段であり、数学と美術の境界領域という感が強い。
一時期いろいろとCGの資料を漁ったこともあります。しかし、そこに見つけたのは「アトリエ・オートメーション」という現象でした。道具としてのコンピュータはあっても、表現手段としての数学はない。計算は決して数学ではないのに、CGは単なる力づくの計算があるのみでした。
というわけで、いわゆるCGに失望を感じてしまったのでした。
とはいえ、例のフランス人数学者マンデルブローのフラクタルは大量の計算があるとはいえ、私の抱いていた数学の視覚的表現を満たしてくれました。もともと専門が代数でしたので、私は数列を使ったフラクタルに一時期熱中したものです。例えば有名なコッホ曲線は「0,1,5,0」という列を規則的に増殖させたもの、これに乱数をちょっと交えただけで、樹木や山の模様が極めて自然に表現できる。
思うに、単純な数列の展開が、実は自然形成の理に適っているのではないか?だから、数学的な処理を施したものほど自然を忠実に再現するのではないか?などと思う次第です。
数字の記数法に関しては東洋の方が圧倒的に合理的ですから(もともと10進法を用いていたのは東洋圏でございます)、奇妙キテレツなフランス語の数字には私もしばしばうんざりさせられます。一度本当に腹が立って、クラスの連中に「お前達は日頃論理、論理といっているくせに、何であんなバカな記数法を直さないんだ!」と八当たりしたことがあります。
練習としては、鈴木さんの実践されている方法がベストでしょう。反射的に出てくるよう、慣れるしかないと思いますね。ただし一つ注意。あまりフランス語の記数法に慣れると、日常の計算が遅くなってしまうことがあります(経験者談)。ご用心、ご用心。
イメージトレーニングも結構有効だと思いますよ。適当な数字を書いて、それを呟きながら頭の中でアラビア数字をイメージするのです。慣れると例えば
「そわさんとかんず」なんて音が耳に入ったとき、頭に「75」という数字が浮かびますから、把握はしやすくなりますね。
ほんと、「9*10+2」が何で「4*20+12」になるのだらう...。
8月の中頃に3日ほど、下旬に2日ほど旅行するかもしれないだけで、あとはだいたいパリにいる予定です。ただ、9月は中旬か下旬に一時帰国する可能性があり、そうなった場合は10月末まで東京滞在となります。
多少荷物になっても、タオルケットを持って行くといいみたいです。売っているところがえらく少ないみたいですから。私は最初の一時帰国の際に、蕎麦がらの枕とタオルケットを持ってきました。それとアイスマットも正解。麦茶を作りだめするプラスチックの容器も重宝します。
そろそろFL(再)デビュー1年です。この一年、日本語を忘れることなく(?)、また精神を正常に保ちえたのも、やはり日本とのコミュニケーションを保てたことが大きいような気がします。また、日本にいろいろ伝えたくて、クラスの連中とのコミュニケーションが深まった一面も否定できません。Thomasと親しくなったきっかけが、何しろ例の「face d'huitre」ですから。今でもThomasと笑いあうことがあります。
これからもニフティを通していろいろ試したいこともあるのですが、なにしろ来年度がどうなるか未だにわからない状態です。今はひたすら祈るのみです。
私が思うに、話す時の間合いやリズムが大きなポイントではないかという気がするのです。無論、発音も大きな要素ではありますが。日常会話の場合は、言語としてどうこういうよりも、反射神経みたいな面があるでしょう?そういうリズムのある人は、やはりちょっと違うと思われるのではないでせうか。町田さんの場合もリズムが彼らを驚かせたようですね。
私自身、この一年間で何が進歩したかというと、どんなことでもどうにかこうにか相手に意志を伝えることが出来るようになったことでしょう。これは語学力ではなくって、完全に場数を踏んだ結果ですね。自分の持ち駒として使える語彙数が1000に達したということでしょう。
多分、本を読むときに辞書を引く回数から判断すると、私の語彙数は数千程度だと思うのです。ちょうど高校3年生の英語くらいでしょうか。ただ、会話の場合、どこまで双方向(日仏、仏日)ランダム・アクセスできるかが問題ですから、この語彙数がそのまま会話力には生きてこない。
とある研究によると、自由に使える語彙数が1000あれば会話には不自由しないそうです。これは言語によらないそうです。日常的にフランス語に接していると、必要となる表現がいやでも染み付いてきます。恐らく、日々怠惰に暮らしながらも持ち駒が1000を越したのでしょう。ただ、文章を書くにはさすがに今のレベルではまだまだまだまだ心もとない。会話でもまだ必要最小限でございますから、あと2、3年はいないとモノになりそうもありまへん。
TF1の8時のニュースではトップ扱いで皇太子御成婚を報道していた。東京特派員のコメントを交え、十二単が一式14kgもするここと、古式に則った儀式が行われたこと、パレードには沿道に20万人がつめかけたことなどが結構詳しく報道された。A3など他局でもほぼ同じ扱いであった。儀式に関しては専ら「mysterieur」という形容がなされていた。 今日の朝刊でもかなり大きく扱われ、FIGAROでは一面に古装束をまとった二人の写真を載せ、裏一面にはほぼ全面をさいて儀式の内容や式次第等を報道していた。 【主な表現・説明】
ちなみに、以前話題になっておりました「キャリア・ウーマン」は "career woman" でございました。 |
来週一杯で授業が終わる。その後は3ヶ月のStage があるのみである。
昨日は、1年間のプログラムの打ち上げが行われた。クラスの全員、教授、それに何人かは彼女や奥さんずれで現われ、総勢20人で河原のMechouiとなった。場所は学校のあるCergy Prefectureから車で20分ほど。三日月湖のほとりにある屋外バーベキュー場である。セルジーといえばパリから電車で僅か30分のところであるから、東京に対する横浜くらいの距離である。にもかかわらず、施設のあるあたりは完全にカントリー風。パリから一歩離れると途端に田舎と化す事実を痛感させられる。
この打ち上げは7時頃から始まった。そして日が暮れてすっかり真っ暗になるまで続いた。何しろこの時期は日没が遅い。真っ暗になるまで....と言えば、ほぼ夜中まで続いたということである。当然終電には間に合わなかった。
帰りは車で来た人に便乗である。ところが、この施設は10時に一度閉門し、12時に再び開門となる。我々は11時40分ころ帰ろうとしたのだが、門がしっかりと施錠されていた。ここで誰も騒ぐところなく、ラジオの音を高めてのんびりと係員が来るのを待つ辺り、のんびりとした国民性を感じてしまう。係員は11時50分ころ到着した。
パリに帰ったのは結局1時近かった。
先日、ロワシーからの帰りにROISSYBUSを初めて使ってみました。
従来、ロワシー空港からパリ市内に向かう方法は、大体次の通りでした。
(1)Air Franceのリムジンを使う
(2)NavetteでRoissy駅に行き、RER B線に乗る
(3)タクシーを使う
(4)RATPの定期路線を使う
一番安くすませる方法は(4)。回数券5枚か6枚ですから、カルネを買えば20Frs程度ですみます。ただ、この方法だと市内まで1時間以上かかります。
会社の経費で落ちるなら(3)でしょう。チップ込みで220Frsくらいです。
一般の人は(1)でしょうか。これですとエトワール広場まで40Frs弱ですし、所用時間も40分ほど。何より頻繁に出ているのが便利です。
比較的パリ慣れした人は(2)が多いでしょうか。(1)よりも早くパリ市内に着くうえ、コストも安くすみます。私も専らこの方法でした。フランス人でもこの方法を利用するケースが多いようです。
ROISSYBUSとは昨年12月から始まったRATP運営の直行バスです。オペラ座前から空港ターミナルまでノンストップ。運賃は30Frsです。15分置きに出ているので、リムジンとほぼ同じ間隔です。オペラ座乗り場は正確にはオペラ座裏、アメックスのパリ営業所の横です。空港ターミナルでの乗り場は、ターミナルIの場合ですと、28番出口付近にあります。切符は乗り場にある自動販売機で購入します。
バスはゆったりしていて乗り心地が良く、何よりまだ知名度が低いのですいています。唯一の難点は30Frs分のコインがないと切符を買えないことだけです。まあ、これを差し引いてもお勧めできます。
パリに旅行される方は要チェック。
昨日、クレームをつけておいた会社から何やら郵便物が届いておりました。中を見たら佗び状が入っていました。んでもって、機械に食われた20Frs はどうなったのかと思ったら、封筒の中に2.50Frs切手が8枚入っていました。
フランス語に侵入(?)した外来語の複数形も結構不気味(?)な変化をすることがありますね。例えばラテン語であれば「scenario」。コミュニケーションの授業の際、複数形は「scenarios」でも「scenarii」でも構わないと言われました。 とはいえ、経験的に「scenarii」というのは見たことがない。Petit Larousseによれば、「media」 もマスメディアを意味する場合は、複数形が「medias」となっていました。
英語起源の例では、「fast-food」の複数形がフランス語だと「fast-foods」です。「businessman」の複数形はPetit Larousse だと「businessmans」または「businessmen 」となっていました。しかし、コミュニケーションの教授は「businessmans」はおかしいと言っておりました。
英語の「good」でも同じですが、「bon 」は「十分な」というニュアンスが強いですね。実際、翻訳でも「良い」とするより「十分な」と訳す方が適切なケースが多いと思います。「j'ai des bonnes raisons...」なんてのも「そうするに十分な理由が....」だし、ワインを注いで貰うとき、「これで十分!」と言う場合も「C'est bon!」です。だから、「bon pianiste」と表現されていたら、「十分観賞に耐えうる」「十分演奏家として通用する」というニュアンスと考えれば良いと思います。
反対に「良い」という意味を強調するならば、「excellent」や「meilleur」を用いた方が適切でしょう。口語だと単に「C'est genial!」です。
「bon...」は結構便利な表現ですね。「数学が得意だ」なんて場合も、単に「bon mathematician」で通じますし。「-iste」や「-ian」は職業とともに、「....する人」を意味するケースが多いということでしょう。当然、自分の専門を表現する際にも使えます。
(例)「あなたのご専門は?」
「昔は数学でしたが、今ではコンピュータサイエンスです」
- Quelle est votre formation?
- J'etais Mathematician et maintenant je suis informatician.
あっと、ポリーニについてはaucune ideeでございました。
日本では3月末に週刊誌が発表(?)する大学合格者ランキングが、善し悪しは別にして高校のレベルを示す指標になっております。フランスの場合ですと、リセではなく大学・GEがランキング対象になっております。
今日クラスの者が持ってきた雑誌に92年度のランキングが載っておりました。何を以て指標にするかというと、これが実に生々しいことに、就職先の初年度平均年収なのです。例えば、工学系の92年度トップはENPC(通称ポン・エ・ショセ:土木学校)で平均22万Frs、91年度トップのEcole Polytechniqueは4位に転落したそうです。商業系ですと、長らくトップを維持していたHEC が、初めてその座をESSECに譲ったとか。
トップクラスのGEですと、だいたい初年収19万から22万Frs 、それに対し、大学卒はDEA-DESSでも16万Frs程度ですから、GE優位は圧倒的です。
この資料はリセの生徒が学校を志願する際の有力な情報だそうです。この他にも、出身校別大企業役員数ランキングなんかも時々発表されます。商業系ですと、ヨーロッパ・ランキングなんてのもあります。
少なくとも欧米では「高等教育は投資の一つ」という考えが強いため、学校のランキングは行われて当然と思われているように感じられます。果してそれが本当に必要なのか必要悪なのかは分かりませんが。尤もこれはあくまでも技術系、商業系の場合であり、科学系は自ずと異なるようです(それでも教授の発表論文数や論文引用数を指標としたランキングが時々発表されています)。
若い世代ですと、テープを聞いたりして「正しい」発音に矯正するそうです。だから、最高齢に属する世代以外では、もはや方言も失われつつあるとか。我が親愛なるマリー・ピエール(コルシカ島の家系で本人はニース出身)もパリ風の発音を練習したとか。ただ、マルセイユ近辺はやはり独特のアクセントが強く残っているようです。これは関西出身の学生が東京に来ても関西便を維持するのと同じでせうか(悪い例だ )。
私は学校ではフランス語キーボード、家では ASCII配置を使うという2重生活(?)ですが、結構苦痛が多いですね。学校でキーボードに接する時間が多い時は、それに慣れては大変(?)なので、矯正のために家でなるべく多くのテキストを打つようにしています。ですから、今日なども学校で散々キーボードを使っていたわけです。
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