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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
斜に構えて日本の「遅れ」を非難するのは、明治維新以降の伝統的なインテリ・スタイルですね。細かく見ると、このような現象は天智朝、信長時代、幕末・明治維新、そして戦後から現代にかけて特に顕著なようです。このようなインテリと日本スタイルの葛藤は、三島由紀夫の「絹と明察」に面白く描かれているところでもあります。
日本の文明サイクルは盲目的な摂取の後に必ず内向きのエポックがやって来ます。だから、伝統的インテリはこのような過渡期の典型的現象、失業する日?も遅からずやって来るであろうと、私は案外のほほんと見ているのです。
思えばかような風潮を根付かせた幕末・明治維新というのは、一面実に悲劇的結末を導いています。幕末の群雄の中で一流の人物は維新の途上で死に絶えたか、あるいは第一線に出ることなく終わってしまったのですね。横井小楠、坂本龍馬が暗殺され、勝海舟は主流となれず、西郷、大久保、木戸の三人があれよあれよという間に死んでしまった。細かく話せばキリはないですが、これを原因とする不完全燃焼が太平洋戦争敗戦まで辿りつく、というのが私の「幕末はペリーからマッカーサーまで」という史観の基本なのです。
外国人に日本を非難されたら誰が弁護するのか? 誰が改革を行うのか? これは我々日本人しかいない。非常に悪い例ですが、政治スキャンダルにしても、非難の尻馬に乗ることは易しい。仮にフランス人の友人がスキャンダルを非難したとしましょう。「そうだよ、日本人はバカで民主主義なんて理解していないからね。ハハハ」と応えるのは簡単なことです。
でも、何かおかしいと思いませんか?天に向かって唾をはくのと同じだと思いませんか?
私は何も問題を正当化しろというわけではない,ただ、当の国民でありながら簡単に相手の非難に同調するというのは、あまりにも傍観者的すぎるのではないか、と思うのです。本来ならば、ここでなぜスキャンダルが起こるかを分析し、なおかつそれをどうすべきかを堂々と論じるのが筋でしょう。尤もかく言う私自身、「いやぁ、民主主義なんでFabrique au Japonぢゃないから元々うまく機能しないのさ。それより賄賂の額がお前達の国の10培というのは凄いだろう」などと、煙にまくのが精一杯で....。情けないことに。
まあ、話しは逸れましたが、こういうことを逆にフランス人に突っ込むと、結構激しく切り返して来ると思います。決して非難の尻馬に乗ることはないでしょう。私は美しい愛国心だと思う。結局自分の国を良くするのは自分達しかいない、そういう意識を特にフランス人は強く持っているように思う。「世界で一番好きな国は?」という質問に、堂々と「フランス!」と応える彼らに私は称賛を惜しまない。
何が言いたいかというと、コクサイ派が結局「こいつらどこの国のやつらだ?」という所が問題の本質をついているように思うのです。いくら国際社会とは言え、信頼関係の基本の個々人のアイデンティティだと思うのです。その一つが宗教であり、また文化を背景とした「国」であると思うのですね。コクサイ派というのは国という一つのアイデンティティを自ら捨てているように思う。そういう連中って、欧米でもアラブでも一番信用されない類だと思うのですよ。
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