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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年08月17日

 スイスは....暑かった。でも、パリも多少は暑くなっていた....。
 今回の旅行はマルチリンガルを全身で味わった4日間でした。登場人物と会話で用いた言語は次の通り。()はカタコトで話せるレベル。

 私 :日本語、フランス語、英語
 カミさん :日本語、(フランス語)、(ドイツ語)
 姉 :日本語、(英語)
 姉の夫 :日本語、(英語)
 姉の友人 :日本語、英語、ドイツ語、(フランス語)
 そのダンナ:スイス・ジャーマン、英語、フランス語
 その子供達:スイス・ジャーマン、(日本語)

 全員に共通する言語は一つもないのでした。
 一番傑作なのは姉の友人一家の交わす会話です。夫婦の会話は英語、子供同士及び父子はスイス・ジャーマン、母子の間は普段日本語で、細かい話しになるとドイツ語とスイス・ジャーマン。姉の友人、由利さんは時折ドイツ語でダンナに話しかけるのですが、ダンナは断固として英語で応対しています。
 その理由はというと、ご主人のピルミンは標準ドイツ語を話したくないのだとか。何でもスイス・ジャーマンというのは日本で言えばずーずー弁に当たり、標準ドイツ語はえらくかしこまった言葉と位置づけられているとのこと。だから、スイス・ジャーマンなら「とうちゃん、茶でもどうかね?」という表現も、標準ドイツ語を使うと「旦那さま、お茶などいかがですか?」なんてニュアンスになってしまうらしい。家でそんな片苦しい言葉はいやだというのがピルミンの意向だそうです。書き言葉は標準ドイツ語と同じというから面白い。
 その一方で、由利さんはNYで5年間演劇の勉強をしていたほどなので、バリバリのアメリカンをこなします。ピルミンも英語を忘れたくないということで、夫婦間は英語を使うのだそうです。
 子供たちはまわりがスイス・ジャーマンですから当然それが一番自然な話し言葉。ところが由利さんとしては、折角日本人の親がいるのに英語とのバイリンガルにするのは変だというので、子供には極力日本語で接するのだそうです。それに、ドイツ語自体は習ったばかりで発音も怪しいので、変な音を子供につけたくないとか。でも、由利さんは関西育ちなので関西風アクセントになることもます。でも子供たち−二人の男の子−にとっては唯一身近な日本語ですから、時折関西弁の女言葉を使う奇妙なバイリンガル少年となるのでした。


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