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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
今回訪れた街は、ベルンとルッツェルンの2つだけだった。
ベルンという名はスイス連邦政府の所在地ということで覚えていたため、ワシントンDCやキャンベラのように、比較的新しいこざっぱりした街というイメージを何となく抱いていた。しかし、大袈裟な政庁や巨大ロータリの公園などはなく、ドイツにでもありそうな普通の小都市という感じであった。人口は11万人というから、規模としては富山市くらいである。
ベルンを一行が散策したのは到着3日目であった。この前日、出発直前に依頼された原稿を夜中まで書いていたので、一人由利さんの家に残って昼寝を決め込んだ。買い物の付き合いもまっぴらだったので、別に時間を無駄にしたという気持ちはなかった。前々日にある程度旧市街を歩くことができたので、特にどうしても、という気分には至らなかった。
とは言え、他の3人はヨーロッパの小規模な街を初めて目にするので、見るもの見るもの全てが感動的であったらしい。後でパンフレットを見せて貰ったら、確かに石畳やデコレーション過剰の噴水、紋章の掲げられている古い家々など、タイムスリップを味わうに十分な魅力がありそうだった。しかし、連中が戻ってきた時に持っていた買い物袋を見て、やはり次の機会にゆずったのは正解だと再確認したのである。
ルッツェルンはベルンから電車で1時間ほどのところにある。ピラタスから戻る途中、電車の連絡待ちの間に1時間半ほど歩いてみた。ベルンよりも大きな街で、ここもドイツ的な雰囲気であった。600年も前に作られた木の橋が名物だという。最後、駅に向かう途中にやや遠回りであったが渡ることにした。
ルッツェルンという名は初めて知ったのであるが、東洋人観光客が多いのに驚いた。多分私がスイスに無関心だからで、実は有名な街なのだろう。結局つきあわされたみやげ物やでは、店員がそのまま日本語で応対していたほどである。石畳の道の上には、ヨーロッパ各国の国旗が掲げられていた。その奥には、星条旗を押し退けるようにして、赤い部分のやたら巨大な日ノ丸が掲げられていた。
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