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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年08月22日

 カペル橋はほんと間一髪で経験できた。悲しいやら得をしたようやら、何だか複雑な気分です。
 橋というよりも、河の上にかかる渡り廊下という感じでした。外側には花が延々と活けてあり、黒ずんだ木とのコントラストが印象的でした。橋を渡った時、昔の小学校の古い校舎を思いだしたものです。
 天井の所には、5メートイおきくらいに歴史の絵図が掛かっていました。ルツェルン地方の歴史のようです。かなり長い橋ですから、この絵図で一つの物語を形成していたのでしょう。板の両面に絵がかかれていました。
「こっち方向から見ると過去の歴史を振り返ることになるけど、反対方向から見ると、未来の予言を見るようになっているんだ。」
 姉に向かっていけしゃあしゃあと説明すると、何も疑わずに信じてしまったので、あわてて嘘だとバラさなければならなかった。
 正直言って、それほど大騒ぎするほど素晴らしいモニュメントだとは思いませんでした。しかし、この橋は紛れもなく歴史の風雪に耐えていたわけです。それが燃えて滅びてしまうというのは、何とも悲しい。古い姿を経験できた幸運には感謝しつつも、焼け落ちた橋に黙祷。


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