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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年08月26日

 やはり「最後は英語」だと私メも思うのです。ですからかえって最後の手段で最初から応対しなければならない英語圏を訪れるのが辛い。
 私も去年の今ごろは、少しでもフランス語に早く慣れようと、頭の中の言語的思考もフランス語で行ってみました。でも、数字に弱くなりそうだったので、すぐに日本語に戻しました。
 私の同僚の一人に6才までロンドンで育った者がおりました。彼はその間英語しか使っていなかったそうで、日本語を全く知らないまま7才の時に東京のごく普通の小学校に編入したそうです。その結果パニック状態になり、日本語を話せるようになる前に英語を話せなくなり、一時期うーうー唸るしかない動物のような状態だった、本人は今では笑話しのように語っておりました。こりゃ極端な例かもしれん。
 しっかし、家族でロンドンに滞在していたのに、日本語を話す機会はなかったのかと尋ねたら、「ウチの家庭は会話がなかったからね」。


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