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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年08月31日

 フランス料理に絡んで料理マナーの話が続いておりますが、コミュニケーションの立場からマナーを考えたことがあります。
 私は元々が不調法ゆえ、マナーというものには、権力的、強圧的なマイナスイメージを持っておりました。しかし、これは料理を作る、あるいは給仕する人とのコミュニケーション手段と考えれば、必然性を持ったものだと思うようになったのです。形骸化されたものもありますけどね。
 料理の本質は無論おいしく作ることであり、おいしく食べることにあるでしょう。ここにはヘタな理屈は必要ないかもしれません。しかし、料理人に料理の仕方、給仕する人に給仕の仕方があるように、食べる人にも食べ方もあるはずではないかと思う。繊細微妙な味をいかに賞味尽くすか、そこにマナーの本質があるのではないかと考えました。
 以前、ウチの親爺メが、「客を選ぶ小料理屋」のことを怒っていたことがある。「お前のような客は来るな!」という料理人は傲慢だというのです。
 でも、まてよ?と思ってしまった。例えば私は味オンチであり、旨いものとまずいものの違いは識別できますが、旨いものと抜群に旨いものの区別がとんとつかない。こんな客ばかりだったら、料理人の職人芸は全くの空振りに終わって店を殺すことは、結構あるんじゃないだらふか? バブル客がちなことですし。
 伯牙絶弦という言葉もあります。それなりの料理人を相手にするためには、食べる方もそれなりの修業が必要なのではないだらふか。そんなわけで、「一度くらい星付きレストランに行きたい」というカミさんを、「我々には十分楽しむだけの用意ができていない」と言って説得するのでした。
 ベルンに住むピルミンは、ワインにこだわります。彼は収入の3分の1をワインに注ぎ込んでいます。何百万円という額です。彼はワイン好きの客には秘蔵ワインを惜しげもなく振る舞いますが、下戸の客には安ワインですませてしまいます。ケチではなく、「ワインが可哀相」だからだとか。東京にもグレンリベットの水割りを頼む客は、お引き取り願うショットバーがあるそうですね。
 インド・カレーは、手で直接食べるのが最高だと思う。でも、上品なステーキを手で食ったら、やはりシェフや肉が可哀相だと思ってしまう。それ以上に、必然性のわからんマナーには腹が立つけれど....


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