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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年10月29日

 DEA プログラムが始まって2週間経った。結局12月までは週3コマのみである。去年とは比較にならない拘束の少なさだ。それなりに自分でやらなければいけないことも多いのだが、時間はかなり自由に使える。
 実はまだ最終登録を行っていない。当然、授業料も払っていない。意図的にモグリをやっているのではない。2度も登録に行ったのだ。しかし、猛烈な人混みに、ついつい尻込みしてしまった。
 第1大学の登録事務所はトルビアックにある。中華街の一角で、ウチからは83番のバスで10分ほどの所である。ビルの11階に受付事務所があるのだが、そこに至るエレベータにすらまだ辿りつけない。入場制限をしているのだ。1e CYCLE入学者が手続きに殺到し、エレベータのまわりに巨大な列を作っていた。恐らく2時間は待たねばならないだろう。なまじ家から近い場所にあることが、列に並ぶ気を萎えさせている。いつでも来れるからいいか。ついついそう思ってしまうのだ。結局、今日に至るまで最終手続きを行っていない。
 期限が気になったので、クラスの者に尋ねてみた。ベネズエラ人ルイスもやはり行列にびびったそうだ。他に何人かに尋ねたが、皆まだらしい。でもやはり何となく気になる。多分、今日もう一度トライするだろう。
 いつの間にか歳を一つ重ねてしまった。パリに住み始めて二度目の誕生日である。たまたま古いログを整理していたら、去年の誕生日頃のメッセージが出てきた。「このくらいの歳になると、あまりおめでたくないでしょう?」という某パ*リロ氏の書き込みを発見した。真実である。よっぽど意識しないと、誕生日すら知らないうちに過ぎている。十一年ぶりに、一の位の数字が十の位の数字を追い越した。
 昨日の夕暮れがことのほか奇麗だった。学校の場所もいい。講義が終わってバス停に向かうころ、ちょうどたそがれ時だった。
 第1大学の通称はパンテオン・ソルボンヌ大学である。名前の通り、メインの校舎はパンテオンの向かって手前、斜め左にある。入り口は堂々とした構えで、「Universite de Paris Faculte de Droit」と記されている。向かいの建物はパリ5区の役所だ。
 パンテオン校舎を出て、広場を横切ってリュクサンブール公園のバス停に向かった。広場から公園越しにエッフェル塔の頭が見える。ライトアップされた姿がたそがれの空に似合う。パンテオンの上には満月が現われていた。夕方のラッシュアワーだったので、公園前のロータリーはごった返していた。バスが来るまで15分待った。本数の多い27番のバスにしては珍しい。これだけ待っていたため、乗客が多かった。それほど混んでいなかったバスも、あっと言う間に満員だ。真っ先にのったので、進行方向向かって左側のスペースに追いやられた。
 リュクサンブールからゴブランまでは、ほんの10分ほどである。丘を登りきってから右に流れながら下る。下り切る手前付近で、ムフタール市場の端を垣間見ることが出来る。夕方の賑わう時間だった。店には人集りがしていた。


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