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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
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■ 1993年11月 アーカイブ |
またまた冬パリ談義です(笑)。
毎週木曜は JUNKUまで雑誌の立ち読みに行きます。講義が終わったあと、パスで行けば簡単なのですが、PYRAMID までは回数券が二枚必要だし、時間帯がちょうどラッシュ時。それで、先日は Rue des Ecoles を東に向い、メトロ10Maubert Mutualから Jussieuで7番に乗り換えました。
ウチのアパートは寝室のヒーターが壊れていて、5回目の修理要求が通って(大家さんが忘れないでくれて)、ようやく明日修理に来ます。だから、去年の冬は、暖房なしの部屋で寝ていたわけです。当然毛布を重ねていたのですが、ぼくは両手を出して寝る癖があって、夜中に肩が冷えて目が醒めた、ってことがよくありました。
凍土や毛布の氷という経験はさすがにありません。ただ、去年は Cergyに通っていたのですけれど、霜柱が随所に現れていました。それがとても懐かしかった。小学生の頃は、霜柱をけっとばして学校に通ったものですけど。
今年はなぜか晴天が多いように思われます。だから寒いとも言える。去年は本当に暗い日々で、11月に来仏したカミさんが心底めげてました。その分、春の訪れは劇的でしかも感動的ですね。
板坂元「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)を読んでいたら、聞取りについてこんな記述があった。(文章は江下が要約)
英語の場合、重要な内容は文章の冒頭で語られる。だから、話しの内容全てが聞取れなくても、冒頭部分に集中すればかなりの部分を把握できる。会話では切れ目に注意し、切れ目の後に出てくる言葉に神経を集中させる……、と。
フランス語でも条件は同でしょう。試しにラジオを聞きながら話しの切れ目に集中してみたが、何となく話しの内容がスムーズに入ってくるような気がした。フランス語でも結構切れ目があるなあ、なんてことにも気づいたし。ディクテでは全体把握が大切ですけれど、一回目の聞取りでは全体構成の把握が大切でしょう。このテクが使えるかもしれない。
試した方がいらっしゃいましたら、効果のほどをレポートして下さい。
フランス・ニュースダイジェスト no.198 に家庭ゴミ処理の問題が挙げられとった。データが出てましたので、ご紹介致します。
ドイツ、スイスはリサイクルで頑張っていますが、ドイツは再処理をフランスなどに委託しているそうだ。フランスの場合、焼却による熱エネルギー利用が重視されとるらしい。これはこれで合理性があるかもしれない。イギリスも焼却派だということ。 |
ぼくが住んでいる場所は Les Gobelins ですから、Censier Daubentontの隣り駅です。通っている場所は Pantheon の正面向かって左手前と、Sorbonneの端っこ、リセ Louis le Grand の並びの一角です。
当初はバスで往復していました。Gay Lusac で下車し、St.Jacques通りをリセ Louis le Grand まで下って行きました。
三週間前からバスをやめて徒歩にしました。歩いても20分足らずだということに気づいたのです。当初は Port Royal通り から Claude Bernard 通りに出て、Gay Lusac 通りとぶつかるところで ULM通りに入る。Ecole Normale Sup-rieureや Institu de Curie の横を通るというルートでした。先週からはそれを変更、Mouffetardを突っ切ってリセ Henri IV の横に出て、これを回り込むように左折すると Pantheon の正面左側に出る、というルートです。Henri IVの手前で右折すれば、Place de Mongeに出ます。
まるで Sans Frontier 1に出てきそうなルート(笑)
ムフタールも季節柄か、七面鳥の姿が目立つようです。寒くなれば寒いほど、牡蛎が旨そうに見える。ぐびり。細切れ肉はウチでも時々買いますが、安いのはスジが多くって。徹底的に煮込まないと、歯がクタクタになってしまいます。
現在所属する Paris Iは本当は法科大学なのに、なぜか UFR mathematique et informatique があります。クラスの構成は Jussieu出身者がメジャーですね。尤もぼくも Paris I にするか Paris IVにするか、ちょっと考えました。
ホームレス新聞の先日買った号はまだ全部を読んではいませんが、目次を紹介致します。
" Reverbere : Si on parlait de toit "
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手を変え品を変え節電、倹約、ケチに勤しむというのは、そもそもだらしない国民だからでしょう。要するに、そういう仕掛けにしないと、みいんな電気は捨てっぱなし、ゴミは散らかし放題になるのに違いない。
だいたい必要な時にだけつけ、不要なときにちゃんと消すという習慣があれば、ミニュットリもタイマーも必要ないのだ。その方が節約にもなるし。それが仕掛けでやるという発想は、「しょせんわしらにゃそんなことはでけん」という認識がある証拠でしょう。だから、ぼくはフランス人の倹約精神は身勝手の裏返しだと思う。
電気代は日本より安いですよ。7掛けくらいかな。ガソリンは同じくらいの価格ですから、原子力発電のおかげでしょうか。
前の学校のトイレットペーパーは、ピンク色の昔の便所紙のようなタイプのロール紙でしたね。今の学校でも同じだった。
古紙回収率は確か日本がダントツでしょ? 80%くらいだったかな。世界全体だと3ms頭でO%くらいですか?
ミニュットリは一般にフランス人の倹約精神の象徴と言われているけど、要するにこまめに消す人がいなかった、ってことだな。必要な時だけつけるようにすれば、自動消灯は必要ないと思わない?
重い荷物を運ぶときは腹立つんですよね。ウチなんか4階だから、必ず2階と3階の途中で消えやがる。
……と、いま夜パソコンを使っているのだが、ディスプレイ+本体で150W、ハロゲンの間接証明に500W、天井の電球に 75W、パネルヒーターに 1200W、スポットのハロゲンランプに 150W使っている。合計2,075W使っている。夜間電力だからいいのかな、とも思うのだが、ぼくはやっぱりガスヒーターに蛍光灯の方が気分的に好きなのですがな。
フランスの電力需要ピークは絶対に冬だな。
前の学校のトイレは、個々の電灯スイッチがタイマーになっておりました。従って、「大」の際は十分タイマーを長くセットしないと、物体落下中に真っ暗になったしまう(経験者談)。動揺すると、ぱんつを汚す結果を招きかねないので、個室内では平静さが必要だ。
ウチの近辺は治安がいいから、強盗騒ぎはありませんね。でも、十分考えられることではある。
多くのアパートではコード式のドアを抜けると郵便受けがあり、その先にまた鍵のかかったドアがある。これを開けるためには鍵を使うか、インタホンで呼び出して開けてもらわにゃならない。階段用ミニュットリはその先にあるから、これで一応防犯にしているのでしょうね。
ミニュットリは「倹約の習慣のない者の現実的倹約精神」って感じがする。
axiome:ユークリッドの公理(ユークリッド幾何学の仮説です)
「ユークリッドの第五公準(=補題)は公理なり」(ガウス)
選択公理(これが集合論の根本的仮説です)→ L'axiome de choix
ペアノの公理(自然数の定義です)→ Les axiomes de Peano
現代数学で用いられている根本的な公理系は「ツェルメロ=フレンケルの公理系」と呼ばれるもの。
→ Theorie des ensembles de Zermelo-Fraenkel
lemme: ツォルンの補題(選択公理から直接導かれる定理)→ Lemme de Zorn
theoreme:ガウス=ダランベールの定理(別名:代数学の基本定理)
三平方の定理(ピタゴラスの定理)
theorie:【論理学】theorie complete (saturee)完全な理論
→ 完全性に関連するのがゲーデルの有名な定理です。
→ Les theoremes d'incompletude et d'indecidabilite
Les theoremes d'incompletude de Godel
たとえばぼくが何か論文を書くとしましょう。まあ、江下程度の論文では、公理を立てるなんで大それたことはできません。いろいろと証明を重ねる上で、別の定理を証明するための「定理」には、Lemme または Propositionと名付けることになります。Lemme は一種の汎用サブルーチンですね。
日本語で書くとき、Lemme は必ず「補題」ですが、Prop. は「定理」としたり「命題」としたりする。証明の前に言うか、証明の後に言うかで、微妙に使い分ける人もいるみたい。
「 A ならば A でない」これは命題であっても定理ではありません。
「 A ならば A である」これは一般に「恒真命題」(tautologie)の例。
「 A ならば B である」ある公理系において A が成立するとき B も成り立てば、これは「定理」です。
そうそう、Propriete を「論理式」と解釈していたので、どこかピンとこなかったのです。そうか「命題」か。これですっきりした。うっかり「命題」という言葉を忘れていたのだ。
regle や lawは社会科学とかエンジニアリング、自然科学の中でも実験物理で使う用語ではないでしょうか。現代数学では一般的ではありません。
ヒルベルト以降の数学は「形式主義」と言いまして、「初めに公理ありき。そこから定理が形式的に導かれる」という姿勢です。regle は axiome または hypotheseかな。数学用語では「律」と呼ぶ場合もあります(例:同値律)。
law は lemme か theoremeでしょう。ギリシア時代の古い定理で使う場合はあります(例:円周角不変の法則)。中には「原理」(prancipal/aux )というケースもあります(例:岡の原理)が、これも定理のことです。
パリで何か本を探したい、そんな時は迷わずメディアテックで検索するのが一番です。簡単なメニュー画面で検索が出来ますから、著者名の一部か書籍名の一部でも分かっていれば、簡単に捜し出すことができます。閲覧だけなら登録なしでも行えるので、観光客でも利用できます。
パリ最大のメディアテックがポンピドーセンター。ここで検索するのが一番の早道でしょう。
リーマンは博士論文のテーマを二つ用意して、指導教官であるガウスに示した。そのうちの一つが非ユークリッド幾何学に関するもの。ガウスはこの着想自体、既に十一歳の時に抱いており、躊躇無くこのテーマを選んだ。何しろ当時のガウスはロシアの数学者ロバチェフスキー(この人がやったのも非ユークリッド幾何学の一種)の論文を読むためロシア語を覚えたくらい、この分野には入れ込んでいた。そして1854年、リーマンの行った数学史上有名な講演が「幾何学の基礎をなす仮説について」。講演結果に対し、ガウスは「博士論文のレベルを遥かに越えたもの」と激賛した。
ちなみに、リーマン幾何学とロバチェフシキー幾何学の違いは、前提とする曲面の違いにすぎない。現代数学ではあまり「リーマン幾何学」とか「非ユークリッド幾何学」という言い方はもうしないのだ。曲面上というのが当然の前提だから。微分幾何とか代数幾何という分類があるんだわ、むしろ。一般相対性理論に関連深い分野はテンソル解析ってやつです。
それでもって、ぼくが講義を受けている教室は、あのガロアの母校、ルイ・ルグランの隣りです。そこに行くまでに、高等師範学校の横も通るのです。ここもガロアの母校だな。
パリはもう紅葉も落葉も終わって、すっかり寒々しくなってしまった。パリ—セルジー間には適度に大きな森があって、案外と目を楽しませてくれたものです。落葉が終わるといよいよ日の短い冬がやってきて、通学にも憂鬱な時期でした。今頃の時期ですと、ちょうどナンテールで RERが地上に出る頃に日の出。進行方向右側、後ろ向きの席に座ると、デファンスの門の中に収まった太陽を見るアングルにも遭遇できました。
フランスも温帯なのだから、紅葉の見所があるはずなのだけれども、なにせ金無し暇無し甲斐性無しの三無亭主ゆえ、旅行もままならない。
日本の紅葉だと、北アルプスが印象的だった。蝶ヶ岳から見下ろす紅霞みの奥上高地は別世界でした。涸沢の紅葉もいつか見てみたい。初冠雪の頃の白馬も見事です。南アルプスも十重二十重の紅葉が壮大です。野呂川林道沿いのドライブも楽しい。特に夜叉神トンネルからの鳳凰三山は雄大な眺め。丸山林道の紅葉も深みがある。途中、森林の間から見える富士山にも感動した。富士山の樹海もスケールが大きい。満喫しようと思ったら、富士スバルラインより滝沢林道がいいのだけど、この林道上部、ダート走行上級コースなので、かなり運転は難しい。でも、もう全線舗装されちゃったかな。
関東でお勧めは荒川源流の中津川林道ですね。中津川渓谷から三国峠に至る十数キロ、紅葉のトンネルに抱かれたツーリングを満喫できます。峠を境に森林の表情が劇的に変化します。ただし、この林道は結構タフなので、運転の苦手な人は苦痛かも。危険箇所はないけどね。荒川と千曲川が源流でほんの2キロしか離れていない事実に素朴な感動があります。
ぼくの選ぶ No.1 は知床だな。十月の京都オフの日、枚方の友人と十三年ぶりに会ったのですが、彼女は羅臼岳を一緒に登った仲間でした。十三年ぶりの会話は、ほとんど知床の紅葉ばかりだった。
京都というと、もみじが似合うだろうなあ。残念ながらまだ紅葉の京都を見たことがない。紅葉シーズンの週末は、せっせと林道ばかり走っていたせいだ。
本格的に帰国したら、腰をすえて眺めに行こう。友人に日本はいつの季節がいい?と聞かれるときは、必ず十月を勧めています。それ以外では五月のGW以外だな。
ポアンカレで特に有名な業績は幾何学に残した成果。
幾何学と行っても、ユークリッド幾何学を想像してはいけない。彼が成し遂げたのは、n次元の曲面上の幾何学なのです。だから空間の歪みを扱った相対性理論に登場してきてもなんら不思議はない。5次元以上の幾何学は、全てポアンカレが基本的問題を解決してしまった。「エキゾチック球面」なんて用語も確かポアンカレ発案かな?
こういう超空間的概念の持主だけあって、絵画の才能は凄まじかったらしい。ポリテクニックの入試ではあやうく絵画の成績で落とされそうになった。しかし、彼の才能を知るポリテクニック教授陣の尽力で、無事このエリート校に入学できたというエピソードが残っている。
ところで江下が現在頭をひぃひぃ言わせている分野は、どちらかというと数理論理学や数学基礎論なんです。ヒルベルトやゲーデルの世界です。ほんと、このとこ胃が痛いのなんのって。だって、全然全く解かんねーんだもんなー、やんなっちゃうよお。(T_T)
最近は商業系グランゼコールの卒業生ですら就職難なのだそうです。フランス・ニュースダイジェスト No.197 (注:パリで発行されている日本語の週刊新聞)によると、93年 3月時点での状況は、
平均求職期間は4〜6ヶ月、92年度卒業生の30%が50社以上の企業にCVを送っているそうです。 一つ判明した事実。フランスでは日本のような一斉求職、一斉雇用が行われていない。必要に応じて、随時求人が行われている。就業開始も人によってばらばら。 ちょっと意外でした。まあ、リクルート・ルックの学生集団を見ることがないので、うすうす感じてはおりましたが。そう言えば、ぼくの同級生でも既に職を見つけたというのは、まだ二人だけだそうです(教授談)。 求職期間中は何をしているか? 「ぶらぶらしてるよ」とはこの会議室でもしばしば登場したアブデル談。まあ彼は進学希望ですから。一般的には図書館に行って勉強したり、求人広告を見たり、教授に紹介してもらった企業を訪問したり、短期のスタージュをしたり……それで自分に合った仕事を探すらしい。ある意味では柔軟性がありますね。 無論、夏期研修をそのまま就業につなげる学生もいる。だから研修先探しにみんな必死になるのでしょう。 |
ウチの近くのスーパーでは、一番安い銘柄でだいたい8フラン、高級銘柄で20〜30フランです。だから、150円から550円ですね(全て3/4L)。
日本に輸出されるのは高級銘柄でしょうから、航空機などによる輸送コストを考えると、1500円ていうのはいい線じゃないかなあ。
分別回収なんてのは全然しとりませんねん。
最初はとまどいましたね。流しではついつい習慣で、燃えるゴミと燃えないゴミとに分別したのですけど、結局関係なかった。
アパートでのゴミ回収方法はシンプルです。中庭か RDCのすみっこに、緑色の高さ 1.2メートル、50センチ四方くらいのポリ容器が置いてあります。住民はその中に燃えるゴミも燃えないゴミ(除く瓶)を随時入れる。大抵、朝か夕方でしょうか。
回収時間になると、gardien はその容器を表に出します。容器の下には車輪が二つついており、管理人は容器を少し傾けるだけで、簡単に移動させることができる。回収車は日本のタイプとちょっと異なり、巨大なマジックハンドのようなもので容器を持ち上げ、荷台の上でクルっと回転させてゴミを回収する、ってタイプだったかな。一日に何度も回収車は巡回し、一番遅い時間で夜十時くらいだったんじゃないかなあ。
瓶の回収ボックスは同じく緑色をしておりまして、1.2 メートル四方位の大きさです。随所に台所の配水口みたいな投入口がついていますが、すぐに満杯になるらしく、容器の周囲にはいつも空き瓶が放置されています。この回収ボックス自体、そんな大量にあるわけではない。ウチの最寄りのボックスは、百メートルほどモンパルナスに向った所にあって、捨てに行くのが結構面倒。
粗大ゴミ置場はさすがにあります。ウチの近くにはないけど、以前、6区で見かけた。古紙回収は行っていない。ついでながら車の排ガス対策も日本ほど進んでいない。ウチのアパートなんて、下手に表の新鮮な空気を入れようなんてすると、排ガスのツンとした臭いで気分が悪くなるときもある。青梅街道沿いの方が、空気はきれいだったと断言できる。
東京都のゴミ処理システムは世界的に高い評価を受けておりまして、パリからも何度か使節団が訪れているはずですね。ほんと、分別回収くらいすりゃあいいと思うのだが、連中が素直に従うとは思えないよなあ。でも政府が決めちゃえば、有無を言わせないのもフランスだ。
ホームレス(SDF:Sans Domicile Fixe)は浮浪者とは違います。これはぼくの勝手な感想ですが、浮浪者というのはアル中とかドラッグの常習者など、年中ふらふらしている根無し草のような人を指しているように思われます。実際、家を持った浮浪者がいてもおかしくはない。 SDF は最も深刻な立場にいる失業者といえるでしょう。職も貯えもなく、ついに住む場所も失ってしまった人達です。フランスでは若年層の失業率が高いため、二十代のホームレスさえ少なくありません。失業率2.6%で『危機』を訴えている日本とは深刻さが違う。二十代の失業率は、一説によると20%近いそうです。社会保障だって、日本で考えているほど至れり尽くせりではない。財政赤字が深刻だから、なかなか厳しい現実なのです。 SDF 新聞の主なタイトルは次の通りです。
Macadam Journal がさきがけで、ブリュッセルで発行されているそうです。ぼくが買ったのは La Reverbere でした。 これらの新聞を売る SDFたちは、身分証明書を入れたカードを胸につけています。ですから、いかがわしい団体とはちゃんと区別できます。 |
高校のとき、数学的帰納法って習いませんでした? こういうやつ。
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数学的帰納法
整数を有する命題Pがあって、Pが
(1)n=1の時に成立する。(またはk)
(2)nの時に成立すれば、n+1の時にも成立する。
の二条件を満たせば、Pは任意(またはk以上)の自然数nに対して成立する。
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これをフランス語で表現すると、
Le principe de recurrence
Soit P une propriete portant sur les entiers. Si P verifie :
- P est vraie pour 1 (respectivement pour l'entier k),
- si P est vraie pour n, alors elle vraie pour n+1,alors la propriete P est vraie pour tout entier (respectivement toutentier n>=k).
スーパーの前とか地下鉄の出入口など。
この寒空の中、何時間も立ちっぱなしです。
缶ジュースの自動販売機は大きな駅とか学校、大きな雑居ビルにはたいてい置いてありますよ。街中にも数は少ないけれども、あることはある。世界標準からすれば、日本が多すぎるといえましょう。ただし、ドイツとイギリスでは、電車の切符販売機などがある程度増加する可能性もあります。新札には金属ストライプが織り込まれるようになって、そこに OCR用の文字が刻印されています。件のサンテグジュペリ札にも金属ストライプは織り込まれていましたが、これは単に偽造防止用で、数字は刻まれていないようです。
12年ぶりの数学復帰はなかなか苦しい。30代の脳味噌に、記号の遊戯はかなり負担が大きい。仕方なく、今日は参考文献を探しにジベールまで行ったのでした。
ことで悩みが一つ。
目当ての本は数理論理学の分野で、アメリカが一番得意としている。当然、いい文献は英語で出ている。おまけに日本の数学教室では英語の用語を日常的に使うため、英語のテキストには何ら抵抗がない。本来ならば、英文書籍をためらう理由はないのです。
が、しかし、授業で使う用語は当然フランス語。そうなると、英語の解説に慣れてしまうと、講義で使われる用語がますます脳味噌の混乱を招いてしまう。
一例を挙げると、日本の数学教室でも「集合」「写像」とは言わない。たいてい「set」「mapping」なのです。従って、集合論に関するイメージは、全てset や mappingという用語から誘発される。しかし、講義では ensemble であり application。ぼくの脳は、ensembleと言われても未だに「集合」をイメージできない。数学では論理以上に直感が大事なので、これは大きなハンデなのです。
いやでもフランス語のターミノロジに慣れなければ、ということで、結局英語文献のフランス語訳を買うという、痛しかゆしの事態になってしまった。
オヴニーをご覧になった方はご存じだと思いますが、現在、フランスでホームレスの人達が発行する新聞が2紙あります。たまたま今日は売子がいるときに小銭を持ち合わせていたので、1部買ってみました。
まだ中身を見ていませんが、いずれ簡単なレポートを(できるかなぁ?)してみたいと思います。
地下鉄の中でも売りに来ます。一瞬政治的アピールに見えますけど、失業者たちの生活のかかったな活動なのです。
登録証明書を貰ったのが10月18日。ほぼ一ヶ月たった。日、ようやく正式登録が終わって、学生証を貰えた。
思えば挫折4回。最初に行った日はコンピュータ・システムのメンテで事務所がクローズ、2度目、3度目は入場規制のエレベータを待つ巨大な行列にびびり(推定待ち時間=2時間)、4度目はまたしてもシステムのストップで断念。今日、五回目にしてようやく登録、授業料納付、学生証付与となったのでした。
それにしても国立大学の授業料って、どうしてこんなに安いのだろう。たったの 535Frs ですぜ! 日本円にして、1万円にもならないのだ。図書館の利用料、健康診断受診料を含めても、総額で 658Frs だよ! 私立系グランゼコールは確かに年額7万Frs くらいするから、日本の私立大学並みなのだけれど、何で国立はこんなに違うのだろう? アメリカに比べたら日本も安い方だけど、それでも今は30万くらいでしょ? ぼくが入学した年だって144Kしたもんなあ。
授業料が 600Frs 足らず、保険が確か 800Frs くらいだったかな。諸々の雑費を含めても2Kには満たないでしょう。
保険だけちょっと確認した方がいいかも。学生の共済だと保険料も安くて、還付率も低いのですけど、S.S.Personnel だと結構メリットあるから。これは最低保険額が年間 8000Frs近いんです。高い代わりに保険で医療費の8割前後が返ってくるし、出産費用も全額国家負担になる。実は現在 S.S.Pに加盟しようかどうか、結構まじで考えている。
大学卒業後三年目、出張でフランスに行く機会ができた。初めてのヨーロッパ。海外そのものが二度目の経験だ。
チェルノブイリ・メルトダウンの翌日、雨のパリに着いた。初めてのパリ。
レストランのメニューが分らない。道の尋ね方も分らない。なんも分らない。
教養時代、それなりにフランス語を勉強したはずだった。
「あの二年間はどこに消えた?」
時間を無駄に過ごしたというショックが襲ってきた。
これではいけない。せめてマクドナルドやセルフ以外のレストランで食事をできるようになりたい、使った時間を無駄に殺したくない……
出張から帰ってから、昔の練習ノートを納戸から引っ張りだした。約3ヶ月間、毎日シコシコと取り組んだ。語学学校でちょんぼをしないために。
「語学学校に行こう」
出張から帰る前から思い立った。しかし、かつて経験があるのにゼロからスタートするのも悔しい。かといって、どのレベルから始めたらいいのか分からない。せめて複合過去くらいまで、「回復」させようと思ったのだ。
アテネ・フランセに通い始めたのは、1986年9月、出張から5ヶ月後のことだ。
アテネにした理由は簡単。安かったこと、学校がしっかりしていること、そして会社から簡単に行けること。日仏のある飯田橋は会社から少し不便だった。
選択した授業は本科初級レベル2。一回二時間、週二回の授業。毎週火曜、金曜、午後六時半に始まるコースを取った。講師は小村女史、テキストは Sans Frontier 1 だった。モージェなど、かつてのコースが姿を消そうとしていた。
授業初日。
始業10分前にアテネの校舎に着く。
掲示板で教室を探し、なるべく後ろの方、それも端の席を取る。前に座る度胸はない。一番後ろもさける。ボトムエンドは、講師の性格によっては墓穴を掘ることもある。
小村女史が時間ほぼジャストに入って来た。なかなか気難しそうな風貌。やれやれ、どうやっていたぶられるのだろう……
はたと気がついた。
出席で名前を呼ばれたら、何と応えればいいのだろう?
真っ先に呼ばれないことを祈った。どうせアルファベット順だろう。A や Bで始まる人がいますように……
「マドモアゼル・……」
よかった。先客がいる。
「Presente!」
そうか、present でいいのか。少し気が落ち着いた。
初級クラスということもあって、授業での説明は日本語が中心だった。
「初日なので、まず部分冠詞のチェックでもしましょうか?」
小村女史が一人一人に質問を始めた。
「Buvez-vous de la bierre?
Ouiで応えて!」
間違えると「だめ!」の一言で切り捨て御免。
否定で応える者はほとんど「だめ!」。
最後の方の順番がまわってきた。
「Monsieur, vous ne buvez pas de bierre? Nonで応えて」
ちぇっ、否定疑問で否定の回答かよ!
そして、思わず応えてしまった。
「Non, je ne bois pas du bierre.」
「だめ!
部分冠詞をわかっていない!」
deと言うつもりだったのに。でも、順番が終わってほっとした。
初日の授業で覚えているのは、このエピソードだけだ。
小村先生には結局秋学期だけお世話になった。厳しい先生だったが、質問には丁寧に応えてくれたし、意地悪なことはしなかった。
残念ながら、彼女はレベル1、2を常時受け持っているので、レベル3に進むと他の講師を選ばなければならなかった。
「ルールム先生って、どんな方ですか」
これが小村先生にした最後の質問。ルールム先生というのは、次のレベル3で受けようと思った講師の名前だ。フランス人講師の授業となると、その人のクセなどが気になる。
「とても紳士的な方よ。怒鳴ったりすることはないし」
小村さんのお墨つきで、安心して継続する気分になった。
久々の「今週のワイン」になってしまった。なにせ江下は筋金入りの弥生人であるゆえ。
ただいまパリに遊びに来ているオフクロや叔母達に、近くのカーヴからみやげワインを買って参りました。滞在中、なんも構ってあげられなかったので、罪ほろぼし懺悔ワインとなってしまった。
(1) Chateau Haut-Piquat Lussac St.Emilion 1987, 70Frs
(2) No.2 du Chateau Lafon-Rochet St.Estephe 1989, 50Frs
(3) Chateau Landat Cru Bourgeois Heau-Medoc 1985, 65Frs
(4) Chateau Cheve de Gombeau Canon-Fransac Alain Roux 1989, 60Frs
予算だけ言って(一本 60Frs程度)、あとは各タイプ混在ということでお任せにしました。店の主人が選んでくれたワインがこの4本です。(1)は鳥料理、(2)はチーズ、(3)(4)は赤肉に合うと言っておりました。
週休3日制論議は労働時間柔軟化の一環です。これまで、週単位、日単位で規制していた労働時間を、年単位の大枠だけにしようという論議ですね。それだと週4日で35時間働いて、3日休むという勤務制度も可能になる。
それとは別に、一人辺りの労働時間を削り、新たな雇用を創出させようという法案も出ています。随分前からかな? ただ、こちらは国際競争力を落とすということで、いつも採択されていない。ジャーナリズムからも効果を疑問視されているようです。結果的に失業率を上げてしまうということで。
フランスは個人商店主、農民など、労働人口のかなりの部分は働き者ですよ。労働時間の実態は、少なくともドイツよりは長いのではないだろうか。統計ではほぼ同じですが。
先日、カミさんがお釣りで貰って参りました。まだとくと観察していないので、続報はまた後ほど。サイズは五百フラン札を左右に半分ずつちぎった感じです。ですから、縦横比が1に近く、札にしてはずんぐりした印象を与えます。札には金属ストライプが折り込まれています。フランの場合は単なる偽造防止ですが、マルクやポンドでは自動販売機の読み取り用に用いられています。表の肖像画はサンテグジュペリ。でも、デッサンはちょっとちゃちい。あとはヨーロッパ=アフリカの地図、単発機の絵柄。透かしの上には象を飲み込んだバオバブ、下の方には乳剤で羊のデッサン。
早速 mome と garce の系列を調べてしまった。 femme → bergere, mome , marquise, meuf, miquette, mousme, soeur ; caille, guepe, poulette, sourismechant → chipie, megere ; tres fam.: garce, salope おお! mousme は日本語だ! 意味を調べたら「日本娘」だって。ほぉー。 以上の単語、分かる範囲で訳をつけるとすれば……
女子高生に「garce!」なんて呼びかけたら、ピンタが飛んできそうだけど。 |
黒板にチョークで書きまくる、そんな風景は既に少数派です。学校による違いはあるかもしれませんが、最近は専ら OHPが使われています。 (注:OHPプロジェクタ=retroprojecteur、OHPシート=transparent) ただ、アメリカ式にイラストを入れたり、要領よくまとめたケースは少なく、今まで黒板に書いていた内容を、そのまま OHPにしただけという感じです。ここに紹介するのはその一例。学生には前週か当日に OHPのコピーが配られます。 【表現のポイント】 以下の特徴を有する。= X(s) a (ont) le(s) caracteristiques suivante(s): ...に類例を見いだせる。= On peut utiliser l'analogie de x ... L4G=langage de quatrieme generation 第4世代言語(4GL) langage (non) procerural (非)手続き言語
「以下の特徴を有する」などと言いながら、個条書きにせず説明を延々。なかなか面白いメンタリティだと思いました。 今回の出典は ESSEC の Jacky AKOKA 教授の OHPです。前回は Pantheon-Sorbonne の Francoise GIRE 教授のノートでした。 |
心理的にアフリカはあまりにも遠距離ですね。まあ、それは何らかの必然性があってのことなので、無理矢理関係を深めるべきだ、とまでは言いません。しかし、ややもすると我々はアラブ、アフリカにステレオタイプのイメージを持ってしまいがちである。これは問題でしょうね。
フランスに来て、アラブ人や他のアフリカ人に知己をもてたことが、滞在の最大の成果の一つだと思っています。ぼくはパリに住んでから、はっきりとアラブ人贔屓になりました。
コダクローム25で大失敗したことがある。以来、ASA(今はISOか)25は絶対に使うまい、もとい、オレの実力では使いきれない、って思いました。考えてみれば無謀な話しで、低感度のフィルムを露出計なし、自分のカンだけで使ったのですから。36枚撮って多少許せる程度が2枚、あとはことごとくすっとんでました(;_;)。それ以来、リバーサルはF2でフィルムはコダクローム64、Fはモノクロ専用にしました。分相応?
ニコンFで使うモノクロもトライXばっかだった。昔は安いトライXを買うために、わざわざヨドバシ・カメラまで手巻き?フィルムを買いに行った。ローダーやマガジンを買う金がなかったし。ローダーを買った頃にはモノクロをあまり撮らなくなって、結局 100フィートのトライXは半分ほど残ってしまった。
プリントは高校の写真部の暗室を使わせて貰いました。二十年前に白鳥座の新星が発見された時は、夜撮った写真をすぐ家で増感現像し(天体写真だとパンドールで4〜8倍増感が普通)、翌朝、学校でプリントしたのです。ぼくがプリントを自分でやるようになってからは、5号印画紙が製造中止になってしまった。まあ、普通は使われなかったから仕方なかったのですが。
「ブルセラ」って略語を知ったのは、ほんの先日、8月のことだった。取材の謝礼で送ってきた「Spa!」にたまたま特集されていたんです(あっ、フランスのぶるせらを取材したんじゃないですからね)。
想像するに、これは一部コミックから派生したものではないだらふか? 一時期ポルノコミックが国会でも問題になっていましたね? その時ちょっと調べたんですが、問題になったのは女子中学&高校生のセックスを扱った漫画でした。その中で、ブルマ、セーラー服、スクール水着が小道具として扱われていたらしい。その辺りから、「ぶるせら」という言葉やショップが出たのではなかろうか。勿論、これは江下の勝手な推測にすぎません。
フランスでは日本アニメが暴力、セックス、破壊を強調しすぎると問題視する人がいます。ぼくは「毒がなければ薬はない」という考えなので、青少年の健全育成にはちょっと違和感を感じてしまう(笑)。
早速板書シリーズの第一回です。これは先週の講義をノートしたものの一部です。講義の名称は「Base de Donnees et Logique:データベースと論理」で、パリ第1大学 UFR27 mathematique et informatique に属するモジュールです。 従って、初回は頭痛を招く(?)数学の話しです。 表現のポイント:「任意の〜に対し〜とすれば(とせよ)〜である」 → Pour tout〜, soit 〜, alors 〜. 数学用語:ensemble「集合」、fonction「関数」、denombrable「可算」 appartenir「属する」、verifier「(条件を)満たす」 関連用語:application「写像」
[感想] この教授はキチっと文章を書きます。これはかなり珍しいパターンといえましょう。普通は乱暴に個条書きする方が多いし、そもそも大半の教授は OHPを使います。次回は OHPの内容の一部を紹介します。 |
実は中学生から大学2年くらいまでは、結構写真というかカメラが好きでした。始めは天体写真を撮りたかったのですね。
倉庫番のバイトなんかして、ようやく叔父からニコンFを譲り受けたのです。当時叔父はほぼ一年分の年収を投じたハッセルブラッドを専ら使っていたので、この名機を譲ってもいいと言ったのです。
買うときのオチが一つありました。
最初4万円と言っていたのが、こっちは3万円しかない。でもほしい。それで麻雀好きの叔父に一勝負申し入れ、半荘勝負して勝ったら3万円で買うということにして貰ったのです。他のメンツは叔母といとこ。
後から考えると、叔父はわざと負けてくれたのですね。そもそも麻雀勝負を持ちだしたのも、必死の本表情をした中学生をからかったのでしょう。
それまでオリンパスペンしか知らなかったので、このニコンFが嬉しかった。日本光学がまだ NIKONのロゴを使う前、富士山マークに「 NIPPON KOGAKU」って入っていました。
保証書を見たら、昭和34年4月製造とありました。ぼくより半年年長です。レンズの焦点距離だって、メートルではなくフィート表示、コーティングもモノコーティングです。
でもこの老兵、本当に役に立った。露出計がないので感度の低いリバーサルは厳しかったけど、モノクロには今でも現役(と言っても、最近殆ど写真を撮っていない)です。
頑丈さには驚いた。何しろ山で三度まともに岩にぶつけ、二度まともに雪渓に埋まり、一度ロッカーの上からおっことしたのに、かすりキズが増えるだけ。メカは全く影響なし。さすが一眼レフ史上、最高の名機と言われただけはあるな、って思いました。
パリには13年前に買ったニコンF2の中古(だからこれも17年選手かな?)を持ってきています。
ひょっとしてカールさんのって、ライカMにニコンレンズを付けたやつ?
「ニコンの世界」でアメリカのジャーナリスト(ダンカンとかって名前?)が、ライカにニコンレンズを使って朝鮮動乱を取材した話しが載っていたような気がしたけど……。
ミニテルでの登録はパリ大学でも可能ですが、これ、正確に言えば「予備登録」 PRE-INSCRIPTIONなんですよ。この証明書を持って大学事務所で正規の手続きを踏み、授業料を納めないと、学生証は発効してもらえないし、学生とも認められないんです。我が社だと正式登録の事務所がトルビアックにあって、昨日手続きをした同級生の一人は、都合45分並んだと言っておりました。こうなると、多少の選抜試験くらいあった方がいいと思ったりもします。
登録自由という制度は、選抜試験の厳しい日本からは結構称賛されていますが、弊害もかなりあることを認識すべきですね。最初の一学期は学生が多すぎて廊下で授業するクラスもあるそうですから。第一、授業のペースも学生のレベルがまちまちなため、結構かきまわされることが多いらしい。
実は一時期 PowerBook 100をノート代わりに使っていました(冗談ではなく、事実だったのです)。ところが、ある日ファイルをセーブするときに爆弾だ出てしまいまして、それから「紙」に復帰しました。
フランス人学生は白紙を使うか、あるいはあの楽譜を書くような線のいっぱいある紙を使うことが多いようです。ぼくは「楽譜」の方です。
鉛筆を使う人は小数派です。シャーペンはまれですね。大抵が万年筆です。ボールペンも少ないと思います。ですから、消しゴムの代わりに修正液をみんな持参しています。試験中に修正液を忘れたやつは、「Blanc!! blanc!!」と叫びます。するとどこからか修正液が飛んできます。一応栓はしてありますが。
黒板に書いてある内容がテキスト文だけだったら、絶対にタイプ入力の方が速いと思いました。キーボードだとブラインドがききますからね。手書きだと紙を見て書かないと、字がうねってしまう。
モチベーションの継続が問題でしょうね。誰だって好きなことや目的のはっきりしたことならかなり打ち込めるでしょ? そういう時は自分が「努力」しているなんて意識していないと思いますよ。反対に言えば、いかにも努力している、って感じるときは長続きしないんじゃないかと思います。だから所謂勉強法の背後には、きっと何か快感を産み出したモチベーションがあるはずです。
テキストの入力にしても、あれは一気にやったのではなくって、テキスト文を随時眺めてみたかったからなのでした。今にして思えば、その頁だけコピーすりゃ良かったのに、なんて気がついた。ぼくの場合、テキスト入力は手頃な気分転換の「運動」でしたね。だから必要に迫られ、悲壮な覚悟でやったわけではなく、それなりに「快感」もあったのです。ランニングハイならぬタイピングハイ?
バッサリ捨ててスリムにするためには、変な言い方だけど贅肉が必要なのですね。痩せている人間がダイエットしたら死んじまう。文章も同じで少ない文章をバッサリやったら、本当に何もなくなってしまう。だからバッサリやるためには、とにかく何でもかいちまえ!!!といのが大前提。要は「書いてはバッサリ、また書いてはバッサリ。後に残るだけの量はとにかく確保」することです。
ということで、百頁書くために百二十書くというのは正解だと思う。
週末のブランチなんかだと、食卓の上にバゲットを無造作にボテっと置いて、クロワッサンを篭に山積みして、適当に切ったり取ったりして食べる。これはありえますね(レンヌでの体験より)。カフェオレは好きなカフェオレ・ボールに入れて、バゲットをおもむろにぴちゃぴちゃつけて食うわけです。
普段の朝はどうだろう? 朝食の事は去年の Communication Oraleの授業でマリー・ピエールが喋っていた。それによると、結構朝はパスって人が多い。ただ、それでもみんな学校や職場で10時くらいにつまみぐいするから、要するに家では食べないという意味ですね。そういう所で食う場合は無論バゲットではなくて、クロワッサンかパンショコラです。
ヨーロッパやインドの遺跡には、日本の古いモニュメントとは異なる「悠久」を感じます。これは一体何なのでしょう? 日本では変化や移ろい易さに悠久の時を感じるのかもしれません。インドなどでは不朽の物体にそれを感じるのかもしれません。個人的にはタージマハルに一番強烈な「時」を感じました。遺跡の中では新顔なのに、不思議なものです。尤も明日香村あたりは地域全体に何か時の淡々としたニュアンスを感じます。
何年か前に日本でも公演のあった、ギィ・グラヴィスのテープがなぜかありまして、それをさんざん聴いたことがあります。あの時は王子さま役の子供にばかり注目が集まりましたが、むしろ一人で王様からキツネまでを演じた(語った)役者が印象的でした。フランスでも有名な脇役俳優だそうですが、名前は忘れてしまった。
異邦人も確かテープを持っていたのだけど、はて、カミュの朗読だっただらふか。(?_?)
いずれマルチメディア・パソコンが普及すれば、DLに著作権切れの朗読テープが登録されるようになるかもしれませんね。そんな日がくるのは果していつのことやら。FMOTORには既に車のエギゾースト音をサンプリングしたものが、DLに入っているそうです。
今日、ディプロムの授与式がありました。式と言ってもおっさん数名の演説の後、二手にわかれて機会的にディプロムを渡されるだけです。ラフな格好で来ている連中も多かったし、欠席している生徒も多かった。マリー・ピエールも来てなかったし。
実はMEMOIRE の最終版も今日提出したのでした。ディプロムと一緒に貰った成績表を見たら、取ってもいない授業にスコアがついていたりして、まあ本当におおらかな国だわ(笑)。
モロッコで買い物をするときは、絶対に日本人だと言ってはいけない、中国人だと言え、とモロッコ人アブデルがアドバイスしておりました。日本人向け価格は中国人向けの何倍もするそうで、どんだけ値切っても中国価格より高いのだそうです。
来年あたり、実はモロッコとアルジェリアには行ってみたいと思っている。
江下が書く順序は次の通りである。
(1)レジュメ
(2)図表
(3)発表用の資料(OHPとカンニング・ペーパー)
(4)本文と付属資料
(5)本文目次及び図表目次
一つだけ注意。人工知能に「後ろ向き推論」「前向き推論」の違いがあるように、レポートを書くときにも、「膨張型執筆」と「縮小型執筆」がある。江下の順序は前者に属し、必要最小限の内容でまとめることを目的にしたものである。つまり、最小限の内容をレジュメで抑え、それにギリギリの肉と皮をつけて体裁を整える。メリットとして、内容がクリアーにつかめる、作業を体系的に進められる、などがある。反対に、事前に方法論を十分抑えていないと、後から視点の欠如や手抜きを指摘されてしまう。縮小型はある程度の方向だけ定めておいて、あとは勢いに乗じてどんどん書く。最後に出来上がったものを整理するというものだ。長所短所は膨張型の裏返し。豊富な内容を網羅でき、多面的な視点を展開しやすいのに対し、作業が泥沼に陥りやすい、不必要な内容が盛られ易いなどのリスクがある。
これは個人差もさることながら、研究の種類にも依存するようだ。論文は「分析論文」と「研究論文」に大別されるが、分析論文は膨張型、研究論文は縮小型となる傾向があるように思われる。実際、江下の論文のほとんどは分析論文である。
いずれにしても、「書いては削り」「削っては書く」という作業は共通している。「書くこと」と同じレベルで「バッサリ削ること」が重要だ。「情報は捨てるためにより高品質の情報を必要とする」なんてのはちょっと思い付いたコピーだが、なかなか本質をついているでしょ? これも常識?
ところで肉筆論文を義務づけている教授はまだいるのだろうか?
基本的な注意事項は日本語の論文の場合と大差ないものと考えられる。一番大切なことは、次の6点であろう。
(1)うだうだ考えずとにかく最後まで書いてしまう。
(2)スペルチェッカ、グラマチェッカで文法的誤りを修正する。
(3)少なくとも一日間を明けて文章を冷静に(!)見直す。
(4)文章を書き換える。できればシソーラスで言葉を整える。
(5)信頼できる人に読んでもらい、意味不明箇所(!)を指摘してもらう。
(6)上記(2)(4)を繰り返す。
文章を書くスタイルで多少の違いはあるだろうが、まず十何年もフランス語づけというような人でもなければ、最初に書いたものは確実に悲惨な出来であると考えて間違いない。例えば江下は在仏一年半で高等教育機関でもそこそこの成績を納めたが、文章を書く作業は別問題だ。せいぜい「滞在1、2年のガイジンにしては、まあ、まともな方かもね」というレベルだ。実際の出来としては、「大学レベルの内容を中学生が書く」ようなものになっている。
これは謙遜でも何でもない客観的事実である。悲しいことに。(;_;)
しかし、日を置いて眺めたり、誰かに指摘されてみると、「こりゃ変だわ!」ということが良く分かる。ということは、自助努力によって中学生の文章を高校生位にまではできるはずだ。今時点でこれ以上の高望みはよそう。後は内容で勝負したい。(^^;ゞ
ここまで書けばお分かりだと思うが、まず書き上げて、それから冷静な目で見直すことが大切だ。(1)と(3)である。
ここでコツを一つ伝授。
「書いたものをバッサリ捨てる」
これが江下の強調するコツである。だてに9年間報告書ばかり書いていたのではない(江下のこれまでの執筆論文数は30以上、原稿用紙換算で一万枚以上あるから、多少の傲慢は許されるだろう。尤も99.5% は日本語だけど)。とかくレポートで陥りやすい罠は、「いわんでもエエことをついつい書いてしまう」こと。人間には、良く分からない内容ほどくどく書いてしまう傾向がある。これは書きながら自己弁護をしている行動にほかならない。
日本語ならまだ冗長程度ですまされるが、外国語の文章だと致命傷になりかねない。
分からない内容 → くどい文章 → 意味不明な構文、用語
という悲惨なスパイラルを生じてしまう。
外国語で苦労して書いた文章はナカナカ捨てがたい。気持ちはよくわかる。しかし心を鬼にしてバッサリやってしまう。絶対にその方が全体として締まった構成になるはずだ。目安として、100頁書いたら 20〜30頁はパッサリやれる。反対に 100頁書かなければいけないなら、120〜150頁書くくらいのスケジュールでいた方がいい。
どうしてもバッサリやれないときは? 付属資料にまわしてしまえばいい。出来れば表や枠にまとめて整理する。本文でうだうだ書くよりも、その方がよっぽど気がきいている。
以上を実践する意味で、まずレジュメから作ることをお勧めする。えっ、そんなの当たり前?
これはこれは失礼しました。
去年の5月1日(の前日だったかな?)のこと、学校の帰りにアブデルがセルジーの駅で鈴蘭の花束を急に買いました。
「Le premier jour du mai だからね」と言っていたのでしたが、その時は意味がわからんかった。二束買って、一つは当然パトリシア、もう一つはその時一緒に帰ったクリスティーヌにあげたのでした。
確かに4月の末頃はあちこちで鈴蘭の花や鉢を売っています。結構高いから去年は買わなかったわ。
趣味の問題でしょうね。ぼくの場合はマチマチですが、どちらかというと、訳本を読んでから原書を読みたくなるというパターンが多いです。ただ、今まで2つ例外があって、それが「異邦人」と「星の王子さま」でした。ま、ただの偶然です。
「星の……」は英語の副教材として高校の時に読みました。だから最初は英語版で始まり、それからフランス語版、最後に日本語版と辿り着きました。
「異邦人」はまだ実は日本語版を読み終わっていない。(^^;ゞ
なんとなく原文のオーラが感じられないのです。でも、これは決して翻訳のせいではなく、内容よりもカミュのリズムに衝撃を受けたからだと思います。
原書を先に読むと、日本語版で読むときに何だか「発見」がありますね。何となく分かったような分からなかったようなところが、急に霧が晴れたような気分になるというか。反対に、際に翻訳を読んだ時などは、気に入った部分が原文でどう表現されているかを探すのが楽しい。
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