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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1993年12月12日

 学生の気質は時代をうつしていると思う。だから、世のオジサン・オバサンたちがいかになげこうと学生に責任はない。当のオジサン・オバサンたちが学生の頃だって、「今時の学生は……」と言われていたはずなのだから。
「社交を学び、大人である」との見解には疑問があります。コミュニケーション論からは脱臭化が指摘されており、むしろそちらの視点の方が現象をうまく説明しているように思われる。ただ、問題はその背景をどう考えるかでしょうね。
 どうも「学生街」がなくなりつつあるのではないだろうか?
 これは大学の郊外移転が関係しているように思えてならない。
 学生街で何を思い浮かべるか?
 ぼくの場合、場末の喫茶店、古本屋、雀荘、春歌の歌える大衆酒場、そして安っぽいアパート群ですね。いずれも人がたまるための無目的の「場」を提供している。八王子や厚木にこれらの集積を突然求めるのは無理な話。以前、東大に立川移転の話しが持ち上がったとき、一番危機感を感じたのは工学部だそうです。理由は簡単。秋葉原が遠くなるから。アキバのあんちゃんと交流できないと、実験器具を作れなくなるそうだ。
 大学にも学生にも一番大切なのは雑多な人の交わりであり、それを実現するのが「たまり場」であると思う。最近の学生気質云々を聞くと、「たまり場」の機能、さらに突っ込めば、たいせつな都市集積がくずれていることに想像が飛んでしまう。
 パリでも大学の郊外移転がカフェの衰退を招いたそうだけど、分散でえるものもあれば、失うものもかなりあることを忘れてはいけないような気がする。


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