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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
大学では教授どうしは tutoyer、生徒どうしも tutoyer、でも教師と生徒の間は vouvoyer が、ま、普通なのである。しかし、その「生徒」も晴れて「はかせさま」になると、教授たちから「tutoyer」してもらえるのだ。DEA の生徒くらいだとそのあたりが中途半端で、教授とは vouvoyerだが、はるかに距離の近い enseignant とは tutoyerというケースも多い。別に「女教師・昼下がりの○○」という世界ではないのである。そうなると、tutoyer には階層的な発想が込められているのではないか、と考えられるのである。
グランゼコールの生徒になると、大OBの高級官僚や大企業幹部ともいきなり tutoyerするケースが多いそうだ。これなども、「同じ社会階層に所属する」ことの確認儀式ではないか、と思うのだ。語学学校などでは教師と生徒が一体化となった雰囲気が重視されるため、教師・生徒間でも tutoyerというケースが少なくない。師弟関係というものが、持ち込まれていない状態なのである。一種の友人関係といってもよいだろう。
さてさて、こう考えると、「tutoyer」といっても特別「親しい」関係を保証するものでもないし、「vouvoyer」に変化したからといって、急に見知らぬ人となったわけではないのだ。「去る人日々に疎し」かもしれんが。
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