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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1994年05月18日

 困った。
 なにしろ困った。
 このままでは、3万フランのキャッシュを「お持ち帰り」になりそうだ。しかも、口座がないと、日本からの送金にも困る。
 なんて交渉したらいいんだろう。
 と、ディレクター——前回の「おっさん」はお偉いさんだったのだ——の方からはなしかけてきた。
「うちで口座を開けなくても、トーキョー銀行ならできるんじゃないの?」
 たしかに。
「ええ、でも、学校がここの近くだから……」
 このひとこと、ディレクターにちょっとしたインパクトを与えたようだ。
「学校?
 大学?」
「大学っていうか、ESSEC ですけど……」
 おっさんの態度が手のひらを返した。
「なんだ、ESSEC の学生なのか。じゃあ、口座を開けるよ」
 ええ?
 だって、まだ滞在許可を持っていないのに……。
「担当は……えっと、メレ君だったね?
 きみ、案内してさしあげて」
 こっちがきょとんとしているあいだに、手近の行員に支持していた。
「あのお、口座を開ける……?」
「当然さ。今後ともよろしくお願いしますよ」
 握手までされてしまった。
 あとからわかったことだが、フランスでは銀行口座を持つこと自体が、ひとつの社会的信用なのだ。だから、口座開設を断られたり、開設できてもいろいろな制約を設けられることが少なくない。
 大学キャンパス近くの大銀行の支店だと、たいていは、そこの学生専用の担当者がいるらしい。とくに ESSECのようなグランゼコールのひとつになると、専用担当者が学費ローンや財テクの相談にまで応じているのだ。
 このあたり、フランスでは客をはっきりと「区別」している。
 日本人は「金持ち」という印象を持たれているおかげで、パリ市内ならわりあい簡単に口座を持てるらしい。クレディ・リヨネのパリ中央支店には、日本人顧客の専用担当者までいるくらいだ。はじめからこのことを知っていれば、ぼくはここに送金し、口座を申し込んでいたのだが。
 ふたたび上のフロアに戻る。
 担当のメレ氏はバカンス中だった。ディレクターの指令があったのか、メレ氏の代理がぼくの口座開設事務をしてくれることになった。
 待ち行列五人をおしのけ、いきなり椅子をすすめられる。十個の冷たい視線は気にしないことにしよう。C'est pas de ma faute.である。
 銀行にやってきてから、すでに一時間は経っただろうか。
 でも、カネを回収し——現金はまだ窓口にある——、口座開設の手続きまでたどりついた。
 しかし、このときのぼくの語学力は、ほんとうにあやういものだった。なにしろ来仏まだ一週間。その以前は、ほぼ半年のブランクがあった。
 いざ事務手続きにはいっても、あいての言うことがほとんど理解できない。おまけに、申込書に書いてあるもろもろの用語もわからん。伝票の virement って単語だって、知らなかったくらいだ。
 しかもこの当時、パソコン通信で口座開設の苦労談を聞かせてくれるひともいなかった。要するに、なーんもわからん状態だった。
 さてさて、簡単に口座は開けたでしょうか。それは次回のお楽しみ。


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