この月のエントリー
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の日記一覧

月別アーカイブス



この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1994年05月14日

 二年前のこと。
 日本から支店どめ送金した3万フランを受け取りに、セルジーまで行った。
 カネを手にするまで、ひと波乱もふた波乱あった。
 そもそもクレディ・リヨネ東京支店で送金する際、セルジーに支店が三つあった。どれが駅のちかくで、どれがショッピング・センター内かなんて、てんでわからん。
 取りあえず、適当なのに送った。
 これが序幕。
 さてさて、「6月末ころ、本人が受け取り」という条件で送金したんだけど、ぼくは7月1日にセルジーまで行った。
 住所をみても、わけわからん。
 ためしに、パリで泊まっていたホテル近く、サン・ジェルマン支店で尋ねた。
「セルジーこの支店にはどう行くの?」
 けんもほろろの扱い。
「なんでそんな支店のこと、あたしが説明しなきゃいけないのよ!」
 で、なにはともあれセルジーまで行って、駅とか通行人とかに尋ねまくり、ようやく支店までたどりついたのであった。
「サムライ・ビル」という建物だった。
 が、市街地からちょっとはずれたその建物、いわゆる銀行の雰囲気ゼロ。窓口もなければ、客の姿も見えない。客の姿どころが、建物に入るにも、インタフォンで要件を告げにゃならん。
 いくらなんでも、こりゃ、変だ。でも、3万フラン——当時のレートで75万円を回収せにゃ……。
 インタフォンで要件を告げると、親切な行員がひとり出てきた。それから、個室になっている、映画なんかでもお馴染みの事務室に案内される。
 まあ、彼は親切だった。それに、ぼくが会社の名刺を出すと、親切な態度は、一層、丁重さを増した。名刺に刷ってあった、三菱マークのおかげだった。なんでも、三菱グループがクレディ・リヨネの主要顧客なのだそうだ。
 このあたり、フランス人は顧客をはっきり「区別」する態度をとる。
 伝票を見せて、「お金ちょうだい」と言うと、彼は困ったような顔をした。
「だって、ここ、現金を扱ってないよ。なんでトーキョーは、こんなとこに個人の送金をしたんだろうねえ?」
 げげ。おれの3万フランはどーなる??
 わしゃ、ひきつった。ありったけの表現で訴えた。で、彼も親切だった。
 なにやら秘書に命じ、秘書が端末をしばしたたいていた。
 彼がにっこり。
 なんでも、ショッピング・センターの方にそのまま転送したんだそうだ。だから、そっちの窓口で引き取れる。
 ほっ……としたのも束の間で、秘書が「Attendez!」とひとこと。
 えらい早口で彼になにやら説明している。
 彼が表情を少し曇らせ、彼女の説明を繰り返してくれた。
「そのお金、きのう、トーキョーに返しちゃったんだって」
 愕然。
 その横で、彼女がふたたび端末をたたく。そして、紙になにやらメモり、今度は電話で誰かと交渉を始めた。
 一連のやりとりは1分ほどだっただろう。きっと。
 結局、彼女のすばやい対応で、前日トーキョーに帰国した3万フランは、翌日、あらためてフランスに再上陸できることになった。そして、ショッピング・センターの支店の担当者に連絡し、彼女にこのメモをみせれば、万事OKというようにしてくれたのだった。
 めでたしめでたし。
 さてさて、江下は無事3万フランを手にできたでしょうか。それは次回のおたのしみ。


Copyright (C) Masayuki ESHITA
サイト内検索

カテゴリー(archives)

最近のエントリー(RSS)