日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
過去の日記一覧
|
この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
Carte Bleueは……来なかった。二週間どころか、三週間たっても来なかった。
その間の運転資金は、別に持っていたフランのTCで間にあったが、まとまった現金をいつも持ち歩くのがうっとうしかった。
一ヶ月待った。
まだ来ない。
が、8月にはいってすぐ、7月分の取引明細が届いた。
ちゃんと入金されている。ひと安心。
残高、約24,500フラン。
あれ、3万フラン送金したんじゃなかったの?
と疑問におもうあなた。あなたの記憶はすばらしい。
からくりは……というほど大袈裟なものではないけれど、こんなことがあったのだ。
まず、五千フランだけはキャッシュで持ち帰った。なにも知らない外国の生活、現金は危険物であると同時に、お守りのようなものだ。
これで残り25,000フラン。
百フランは定期預金口座にまわした。これもちゃんと記録されている。
残り24,900フラン。
で、差し引き四百フランほどは、再送金手数料として天引きされていたのだ。
シリーズの最初に書いた通り、一度フランスに送金された3万フランは、一度東京に送り返され、再びフランスに呼び戻されたのだ。最初の送金分については日本で手数料を払っているが、この呼び戻しについては、送金のなかから手数料を天引きされたのだ。
ちょっと待った。勝手に送り返したのはクレディ・リヨネの方だろうが。なのに呼び戻しで手数料を取るのは変だろう?
と思うあなた。江下もまったく同感であった。
で、さっそくクレームをつけようと思った。
しかし、どこにクレームをつけたらいいんだろう?
心情的に、セルジー支店とやりあうのはいやだった。なにしろことばが出てこない。ことばの続かないクレームほど、さまにならないものはない。
考えてみると、二度にわたって手数料を取ったのは、東京支店のほうだ。ここなら日本語で文句を言える。よし、攻撃目標設定。
結論から言うと、クレディ・リヨネ東京支店はこっちの主張を認めてくれた。手数料の一方は、後日、日本の銀行口座に円換算して振り込まれた。
はなしを戻す。
とりあえず、一サンチームも欠けることなく、虎の子は口座に残った。
が、カードなしではまったく使えない。当座預金だから、利息だってぜんぜんつかない。
さすがにここまで事務が滞るのも変だと思い、セルジー支店の担当者に電話をかけることにした。事前に和仏辞典その他を調べ、想定問答を作成する。
電話がなかなかつながらない。あとからわかったことだが、フランス人はちいさなことでもすぐに電話で確認をいれる。ひとつひとつの電話がこれまた長い。だから、銀行に電話をしても、すぐにつながるのはマレだ。
この日も十回ほどトライして、ようやくつながった。
「メレさんをお願いします」
「私がメレです」
「あ、その、わたくし、あなたの日本人顧客、江下と申します」
「はい?」
「それで、クレームがひとつあります」
「それはなんですか?」
「申し込んだところのCBが届きません。ひとは申し込み後、二週間以内に届くと言っていました」
……という、まるで清水義範のようなやりとりを経て、なんとか要件は伝えたつもりであった。
でも、心配だったので、同じ内容をファックスでも送った。
さてさて、今度こそカードは届いたでしょうか?
それは次回のお楽しみ。
サイト内検索 |
---|