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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1994年07月08日

「あらぁ〜、お待たせしちゃったかしらぁ?」
 頭の上から聞こえるような声……ではあったが、間違いなく目の前の女性から発せられたフォネティックであった。
 白黒の横ストライプのTシャツ、ミニのキュロットという姿。えらくほがらなか感じは、電話の声そのものだった。
「ええっと、早めにきてこのあたりをブラブラみていたんで」
 とかなんとか話しをしながら、われわれはアパルトマンの2階に向かった。
「部屋がね、とってもちらかっているみたいなの。でも、ちゃんと引っ越しのときは片づけてもらうから」
 本当に遠慮容赦なくちらかっていた。足の踏み場がなかった。正確にいえば、洗濯物や雑誌の間に、けもの道のような隙間があるだけだった。
 ドアからはいってすぐ左が台所だった。
 ここでも皿がアルプス状態だった。なにやら赤い残存物がこびりついている。南米の住民だそうだから、チリソースかなにかだろう。
 横幅はせまく、奥行きがそれにくらべてかなりあるという、フランスでは普通の台所だった。流しは掃除すればなんとかきれいになるだろう。
 ガス台はなく、調理器具はすべて電気だった。腰の高さまでの冷蔵庫、そしてコインランドリーにあるような洗濯機が置いてあった。
 右側にドッグレッグの形で部屋がつながる。われわれはけもの道を進んだ。
 居間にあたるスペースがほぼ六畳といったところだろう。突き当たりには窓、その左側に、寝室へとつながる入り口がある。
 寝室は五畳ほどの広さだった。ただ、小さな窓しかないのでえらく暑い。これじゃ、夏はたまらんだろう。
 寝室の隣の位置に、それよりもやは広い部屋がひとつ仕切られている。ただし、居間とその部屋は大きな木組の仕切があるだけで、ほぼシースルーの状態だった。
 部屋は片づければ、かなりゆったりとしていそうな雰囲気だった。家具付きで借りれるので、すぐにでも生活を始められる。ちゃんとして賃貸契約書を交わすことも確認してあるので、滞在許可申請でも問題はなかった。
 ただ、街の雰囲気がいまひとつひっかかったのだ。
 なんだかけだるい雰囲気がある。物騒というのではないのだが、どこか活気がない。いかにも場末というおもむきなのだ。
 あちこちに所在なげなひとの小グループがある。カフェの椅子がぼろい。
 街の雰囲気を知るにはカフェを見るのが一番なのだが、何軒かあるカフェは、どこも「ここの常連になろう」という気がおこらなかった。
 いろいろな店がおおいのは、確かに便利だと思った。パリでは珍しいという魚屋までが、アパルトマンの近くだけで三軒もあった。
 それにしても……なのだ。夏の日照時間の長いうちならともかく、冬になったら結構神経をつかう街なんじゃないか、という気がしてきた。
 でも、この街がどういう感じのところなのか、結局は自分の感覚でしか判断できない。誰か、パリ滞在の長いひとの意見を聞いてみたい。
 ……というところで、次回に続いてしまうのであった。


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