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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1994年07月27日

 じ、じつは、昨日、『遊びと人間』を買いに行ったのでした。ところが、どこを探しても、店員に尋ねても、カイヨワは一冊すら置いていなかった。パリのジベール2店に行ってこの状況だから、ひょっとしてもう人気がないのかなあ、などと心配しています。fnacでも探してくるつもりですが。探したフロアがまずかったのかも。位置づけについてはまだいろいろ悩むところですが、「遊び」に興味を持ったきっかけは、サルの塩味イモの話しです。京大霊長類研の研究ですね。
 メディアの発達は、いやでも情報の過剰流入を促すはずです。そこにイリンクスの発生する余地があるように思います。特にネットワーク上のバトル、いわゆるフレーミングは、このイリンクスで説明できる部分も多いのではないか、と考えています。「ネットワーク文化はバトルの中に発生し、発達する」という可能性すらあるという気もする。ルーデンスじゃないけど。
 メディアの利用は必ず手段から遊び、機能から環境に向かうパターンがある。電話が典型ですね。そんなわけで、「遊び」「めまい」をキーワードとして考えています。
 皮膚というか、皮膚感覚についても、まさに自己と他者、あるいは外界との境界として捉えています。この領域について今回の一時帰国では、村上春樹の小説を買いあさろうと思っています。


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