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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
マクルーハンといえば、「メディアはメッセージ」とか、「クールな(ホットな)メディア」ですね。本質的な視点でありながら、当時はいかにも俗っぽく見られてしまった。この点、奥野卓司『パソコン少年のコスモロジー』では、〈マクルーハン再考〉という項目で次のように解析しています。
それが画期的なテクノロジーであるなら、新しい情報メディア装置の出現は、つねにその出現前まで通用してきた人びとの常識やコスモロジーを崩壊させる。(同書 P.135)
ぼくも産業アナリスト時代に覚えがあるのですけど、予測や解析の基本はどうしてもトレンド分析です。流れの中で現象を捉えようとする。完全な機能主義なんですね。ところが、マクルーハンの主張は一種の「逸脱」があった。にもかかわらず、セールス側の気を引くような魅力的な用語が使われていた。だから、用語が勝手に一人歩きしてしまった。 再評価にいたったのは、ようやく周辺の環境が整い、メディアに対する評価を「これまでの延長じゃあかんがな」と、研究者が認識したからでしょう。
あと、日本ではマクルーハンをやたら取り上げたのがT村K一だったのが、胡散臭さの元だったんじゃないかという説もあります。
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