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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1994年11月17日

 定冠詞・不定冠詞の発想は、論理の全称命題・選言命題と密接な関連がありますんです。数学用語を持ち出すと「う〜みゅ」となるかもしれませんが、ぼくはこれに気がついてから、冠詞の考えが一歩前進したような気がします。
 数学の本でも、「任意の x」をきっちり「quelque soit x」と書く場合もあれば、単に「le x」と書く場合もある。「ある x」を「certain x 」とも書けば、「un x」と書いたりもする。要するに、不定冠詞だと量の概念がはいり、対象にある種の輪郭がともなうようになるんですよ。

 J'aime la femme.

 これは二通りのニュアンスが可能で、「女なら誰でも(任意の女を)愛するのぢゃ」あるいは「わしが愛するのは女である(男ぢゃないよん)」ですね。どっちになるかは文脈次第。後者は抽象概念化ってやつです。

 J'aime les femmes.

 これは全称命題といっても、「任意の」よりも「全ての」のニュアンスになるでせう。「女すべてぢゃ」ですね。

 J'aime une femme/des femmes.

 これですと、「好きな女がおるねんな」ですね。この文だけなら、存在を示すことが本質的な意味になります。une と desの違いは、単に一度に引き受ける数が単数か複数かの違いでせう。
 よって、

 cherche une jeune femme・・・「ひとりでもおればええわぁ」 (切実)
 cherche des jeune femme・・・「何人か探してます」(欲張り)
 cherche la jeune femme・・・「若い子がええ」(わがまま)
 cherche les jeune femme・・・「あらゆる若い子」(誇大妄想的)

 というところでありましょう。もちろん文脈によってニュアンスは多少変わるはずだけど。
 不定冠詞で示された対象が、それ以降は定冠詞で参照されるとか、関係代名詞で限定された名詞は定冠詞になる、という原理も、論理的に考えるときちんと出てきますね。

 J'aimais des femmes. ... Les femmes sont capricieuse.

 何人かの女を愛した。そいつらの気まぐれなことったら。
(本来なら elles ですが)

 最初の「des femmes」によって、読者の脳裏には「ワタシがかつて愛した」という、限定された集合がイメージされるんですね。よって、それ以降、女といえばその限定された集合が想起されます。あとの文脈でその集合を参照するのであれば、数学的にも「かつて愛した女すべて」=「女すべて」となる。だから定冠詞を使う。

 les femmes qui se croient jeunes
 des femmes qui se croient jeunes

 これはどっちも可能ですね。

 J'aimais des femmes. ...
 Des femmes qui se croyaient jeunes etaient capricieuses.

 女なら何人か愛したて。……。自分を若いと信じてたおなごの中には、きまぐれなのもおってのぉ。(存在の指摘)

 J'aimais des femmes. ...
 Les femmes qui se croyaient jeunes etaient capricieuses.

 女なら何人か愛したて。……。連中、自分は若いと信じておったが、それはそれは気まぐれでのぉ。

 ってな違いになるかな。ニュアンスの違いを冠詞だけで表現できるってのは、ほんと便利ですよねえ。


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