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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
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■ 1994年12月 アーカイブ |
OLTJ誌は先週の金曜、見本刷りが届きました。写真は思ったよりも鮮明に印刷されてますねー。一応、全員の顔は識別可能でっせ。シャッターを押したのはギャルソンさんです。だから、当日の参加者は全員写ってます。
この写真はロンドンから東京宛、パリ宛にたしか同時に送られたはずなのに、同じ日(時差を考えれば東京は一日遅れ)に到着しました。いったいロン・パリの郵便事情はどーなっとるんやろかー、と一時期某所話題になりました。
レストランは「Caveau des Arches.」といいます。ボーヌの外周道路沿いで、街の北北西にあります。このレストランはN野さんがたしか決めたと思ったけど、ほんまにええとこでした。
この地方のレストランにしては、「適量」でした。料金も安いから通常の胃袋のひとには最適です。以前M田さんたちと行った店は「Dame」といいまして、ここも味よし値段安いの文句なし……といいたいところだけど、量がとんでもなく多かった。泣く泣く残さにゃならんっちゅう苦行が待っております(;_;)。
うちのアパートの例ですが、外が冷え込んでも中はそんなに寒くはならないんですね。だいたい十六〜十八度ぐらいをコンスタントに維持しています。これ、やっぱり造りが石だからかな。
それ以外に、500Wのハロゲン、100Wの裸電球を照明に使っている点も。これだけで立派な電気ストーブですから。
いまはほとんど PowerBookを使っていますが、それまではパソコンのモニターもけっこう熱源となっていました。
ぼくは多少寒がりのほうではありますが、寒いのが好きって面があります。トイレが近くなるのはうっとーしいけど。普段は日本から持参した綿いれ(どてら)を着てます。近くの買い物だと、どてら着て裸足にビーチサンダルっちゅうアンバランスなファッションであります。まあ、パリだと誰も気にしやしませんけどね、そんな格好でも。
パリもきのう、きょうは冷え込みました。最低気温はマイナス3度ぐらいだったかな。うちでもはじめてヒーターを使いました。
これが四年連続のパリのクリスマス、だけど多分最後になるだろうと思ったので、イブはシャンゼリゼにおのぼりさんをしにいこうと思ったんですね。でも、予想通り寝坊して、そのまま生ゴミとなってしまった。外は車の通りも少なく、近くのカフェははやばやと閉店です。
クリスマスはきれいだけど、わりとあっけない感じです。年末はすごいですよ。ストラスブールくらいの大きさの街だと、ほとんど革命騒ぎだそうですから。広場でキス無礼講となるはずゆえ、リップクリームで唇の手入れをお忘れなく。
金沢工大の図書館は一見の価値があると思いますよ。ぼくが訪問したのは10年前ですが、ソニーと共同開発したAVシステムにはぶっとびました。去年は宝島から「図書館をしゃぶりつくせ!」というムックの一部を手がけたんですが、そのときでもやはり金工大の図書館は必須メニューでした。CAIシステムも図書館のシステムの一貫として位置づけられています。
予備校向けシステムの話題を出したのは87年のことです。その当時は、CD-ROMのアプリケーションをメーカー各社が探しまくっていた頃でした。ぼくの提案はたぶんうやむやになったんじゃないのかなあ。その後予備校が最初に手がけたのは、ビデオと衛星でした。
CAIは予備校から!という説は、90年の 月刊Newton 新年特集号でも書きました。機会があったらのぞいてみてください。「CAIはskyから」なんてつまんねえ駄洒落を出したんじゃなかったかな。
フランスのCAI事情は、もしかすると「Multimedia」という雑誌に紹介記事があるかもしれません。たまにしか買わないので詳細は不明ですが。
去年取材で訪れた先輩は、相変わらず金工大の図書館はすごいと言っていました。教育工学会に限らず、CAIは理論先行の発表が好まれているような気がします。あ、これも印象にすぎませんが。それにぼくがフォローしてたのは、あくまで92年までですんで、この二年で変化……しないだろうなあ、そんな急には。
むかーし CAIはそれなりに調べていたんですが、ヨーロッパは完全に盲点でした。よって、フランスの状況もあまり正確なところは知りません。「国民パソコン」(日本の TRON ですね)の失敗、文教予算不足から、それほど進んではいない、という印象を持っています。
前に CAIを調べたとき、どういう教育モデルを採用しているかで、受け入れ側の環境が大幅に変わる。で、アメリカはもともと教師=ドリルのベンディング・マシーンだから、CAI が比較的簡単に受け入れられた、なんて指摘があったように思います。ブルノーの自動ページめくり機とかっていったかな。
この点フランスはどうでしょう。発達心理学の本を探せば出てくるかもしれませんが、ちと手元に資料がないので、わかったらお知らせします。
インターネットって、たしかにいろいろあるんだけど、分散ネットの宿命として玉石混淆の混沌とした世界なんです。で、たとえばゴア副大統領の有名な NII演説もインターネットで入手できるんだけど、こういうの、すでに CISの DL にもあるんですね。
これだけじゃなくて、じつはほしいと思うような情報の多くが、CIS や AOLなんかにあって、こっちのほうがアクセスは楽なんですわ。整備がされているんで。
まあ、そんな背景があるんで、CIS なんかをまず使ってみて、「電子の海を泳ぐ」感覚に慣れてからインターネットを使ったほうがいいんじゃないかなー、と思います。もちろんこれは個人的アドバイスですんで、ほかの意見もあるでしょう。ただ、CIS のほうが簡単に情報は見つかるけど、日本からだと高いっすからねえ。
よか*んち*……ほとんど忘れちゃったなあ。だいたいこの唄は、酒の強いヤツが一升瓶に残った酒を一気に飲み干して……というパターンが多かったはずだから、下戸のぼくには縁が薄かったのだ。
そういえば、アテネ・フランセに通っていたとき、なじみの講師○レさんから
「数え歌を教えてくれ」といわれたのだ。で、翌日ぼくは会社で思い出しながらワープロ入力したのだけど、どうしても6番を思い出せずに困っていた。
そのときふと先輩のひとりが、新人歓迎会のときに副社長のまえで「金太の大冒険」を歌ったという逸話を思い出した。で、先輩に尋ねると、すぐに6番まで歌ってくれた。おかげで次の授業までに、歌詞をペ○師にわたすことができた。
どえらくよろこんだ○レ師はフランス語バージョンをつくり、それをディクテの試験で使うといっていた。が、その後実現されたという噂はまったく聞かない。
AVのフィニッシュには、いろいろと流行があるようです。ビデオ世代ではガンシャでありましょうが、かつての Blue や裏時代はまた違ったパターンがありましたです。
フランスやドイツのXをいくつか眺めてみると、「モノの世界」というものを感じたりします。すべてが機械のように進み、排泄物でおわる。日本のAVとはどこか土壌が違うという気がしてならない。涜神的な意味って、潜在的なところであるような気がしますね。黒ミサ関係では排泄物がキー・アイテムでしょ?
涜神的行為で束の間撹乱状態に陥る——これは遊びの四原理のひとつ、眩惑状態です。
流言の規模は関心のと曖昧さの積に比例するそうです。同性愛やSMの場合、世間の関心を呼ぶトピックスとなっていること、そのわりに実態がまったく知られていないことから、さまざまな流原がとびかう。それが不安を招いているような気がします。
旧共産主義国家に関してこの公式があてはまりますね。現在では北朝鮮に対する感情なども、この公式通りでせうか。 日本人の差別意識の根源には、「けがれ」の思想があるといわれますよね。これの救済行為が「禊ぎ」であることはご存じの通り。
ソドムは性風俗で滅びた最初の都市という説がありますね。もともと塩の交易で栄えたところだと思うけど、ありとあらゆる形態の「姦」がおこなわれたとか。旧約聖書だと、たしかロトが神さまあいてに「こころただしきひとの数」を値切ったけど、けっきょく徒労に終わってしまったっちゅう、洒落にもならない結末だったやふに思います。
歴史的には爛熟期のローマ帝国がすごいですね。ネロ帝時代がひとつのピークでしょうか。実の母親が息子を誘惑して懐柔したってんですから。最近だと、エイズがまだゲイの病気と誤解されていたころ、「ニューヨークは現代のソドムだ」なんていう表現もあったような気がします。
じつは同性結婚とか近親婚の概念は、社会構造を分析するひとつの手がかりになります。しかもここは文化の違いだけでなく、社会制度なんかもからんできます。
EUでちと問題になっているのが同性結婚であります。イギリスとかオランダは認めているけど、ほかはまだあかんかったと思う。ここには純粋に社会的な問題と見るか、もっと宗教的な一種のタブーのような問題をからめるかで、まったく違う評価ができるんですよね。詳しいはなしは追々(をいをい、だったりして)。
いわゆる「ビジュタージュ:bizutage」ですね。個人主義というのは、個人でいろいろな人脈を築くことでもありますから、一種の儀式としてこういう「経験の共有」が必要になるのでしょう。
今年はそんなに激しいのはなかったなあ。一昨年の Chatelet あたりはすごかったけど。自律神経失調になる新入生がでたりで社会問題化しているから、最近は自粛気味かもしれまへんね。
最近の日本の学生はあまりコンパをやらないって本当だろうか?
ぼくらの世代だと、こぎたねえ飲み屋で春歌の大合唱なんてやったものですが。ああいうアホな時代を経るというのも、一種の「はしか」みたいなもんだと思うんですけどねえ。「よかち**ん」とか「リンゴの唄」なんて知りません?>現役学生
ひじょーにうろ覚えだけど、フランスにも春歌のたぐいがあったような気がするんだけど。
イギリスではかつて、ゲイは合法、レズビアンは違法だったんじゃないかなあ。たしかヴィクトリア王朝時代だったような気がします。俗説によると、女王さまは「ゲイなんてこと、あるわけないでしょっ!」と確信してて、あえて禁止の法律を公布しなかったとか。ゲイとレズビアンが逆かもしれない。
同性結婚を認めるとは、風俗的タブーの違いというよりも、相続や控除の問題によるものみたいですね。もしそうであれば、フランスでは認められる可能性は低いと思われます。これは落合さんのご専門ですが、こと相続に関して、フランス人女性の地位は驚くほど不利なようです。同性結婚は相続の権利が当然妻と夫で対等でないと成立しづらいでしょうから。
某カトリック教徒によると、喫煙も「罪」なんだそうですよ。あれは寿命を縮めるから、広義の自殺にあたるとか。
オナニーについては、キリストの「心で姦淫するものは実際に姦淫するのと同じだ」なんて看破がありませんでしたっけ?
フランス語だと「インノセント innocent」あるいは「ナイーブ naif」って、口語だとあんまりいい意味じゃないっすよん。相手が大人の場合はですね、ニュアンスとして「とんま」「どじ」って感覚があります。英語との違いにご用心。
【例文】T'es naif!!
あほなやっちゃなー。
Il est tout @ fait innocent.
あいつ、ほんっとにトンマだねー。
最近、日本からお客さんがみえるときは、たいていムフタールのギリシャ料理店に案内します。フランス料理は値段さえ覚悟すれば日本でもそこそこ味わえるけど、種類が豊富でコストパフォーマンスが高いという面で、「パリにきたらぜひギリシャ料理、ベトナム料理、アラブ料理を!」とすすめています。
ムフタール通りは坂の上に向かって右側になぜか集中しています。コントレスカルプ広場をほぼ中心に、ぜんぶで20軒くらいあるんじゃないかな。ぼくがいつも行くのは、坂の下から二軒目、「LA CRETE」という店です。ここの常連となるまでは、ほかにも五軒ほど行きました。どこもほぼ同じ値段で味よしサービスもええってなぐあいで、ここを選んだのは限りなく気まぐれです。坂を上るのが面倒というのもありますが。
ただ、この店は比較的静かなので、話しをするには手頃です。坂の上の方にはもっと賑やかなところがあり、そこでは怒鳴らないと話しができません。踊りのすきなひとは、そっちの店の方がいいでしょう。どの店にもたいてい生バンドがはいっています。
注文はほぼワンパターンで、アントレは「Pikilia.」、メインは肉の串焼き(Brochette.)であります。これにアペリティフ、デザート、コーヒー、4人でワイン一本頼んで、だいたいひとり200フランです。フランス料理より割高ですが、串焼きはどこも90フランぐらいします。そのかわり、量はなかなかでっせ。アントレは絶対に二人で一品にしておかないと、メインまで届きまへん。昼の時間帯なら、50フランぐらいで小串焼きの menu があります。
なお、Pikilia はアントレの degustationで、単品で頼むならイカのマリネー(Calamar.)がおすすめです。
六本木あたりのギリシャ料理店に行った方はご存じだと思うけど、店員が踊っているとき、足下に皿を投げるんですね。この La Crete って店ですと、一番奥が演奏席になっていて、その前で店員が踊っています。と、奥の厨房から皿がじゃんすか飛んできます。
ただし、お客さんは決して食べ終わったあとの皿は投げないこと。たまにやっちゃうひともいますが。自分で投げたいときは、店員に頼むとそれ用の皿を持ってきてくれます。
男色といえば陰間ですな。いまでこそホモはアメリカとかイギリスが有名だけど、日本は風俗史をながめる限り、古代ギリシャ・ローマなみの男色文化の国でしたね。戦国時代の御稚児さんは典型ですが、江戸時代になると「陰間茶屋」といふ男色専門のナニがござって、これは実に世界の風俗の最先端であったようです。オカマの語源は「カーマ」(愛欲)で、これは坊さんたちの隠語だったそうです。
この点、ヨーロッパ社会は近代まで相当保守的だったはずで、日本は明治時代に先端の文明といいながら、風俗面ではこの保守的な風潮を受け入れた、といえるのかもしれまへん。まあ、風俗に関しては、なにがいいという価値評価は無意味ですが、元来ニッポン人はこの方面でえらくおおらかだった、という説はかなり有力だそうです。
ここまではオトコの悲しきさがですが、オンナ方面ですと、江戸大奥がらみの川柳でいろいろな俗説・珍説が飛び交っていますね。もっとも、いちばんトラッドなのは嵯峨天皇と道鏡でしょうが。
大奥関連では、角先生が大活躍あそばされますです。
JUNKU にはノルマンディどころか、イタリアやスペインあたりからも買い出しにきているようであります。たしかにさいきん、JUNKU に日本人以外の客が一層増えたようなきがするなあ。
青少年向けの漫画がフランスで育たなかったというよりも、たまたま日本で育ったというほうが正解という気もしますねー。手塚治虫が亡くなったとき、朝日が「日本に漫画が根づいて他の国に根づかなかったのは、日本に手塚治虫がいたからだ」と書いてあったけど、朝日にしては珍しく本質をついた指摘ではないか、などと思ってしまった。
日本のアニメは画面そのものの質でも評価が高いですね。ただ、この業界もなかなか収入面では厳しいようで……。
獣姦という現象は、わりと世界中の風俗にみられる現象ですね。
コロンブスの世界史的な業績はなにか? これはアメリカ大陸の発見ではない。なぜなら、コロンブスが見つけなくても大陸はそこにあり、単にヨーロッパ社会がその存在を知っただけなのである。……なーんて突然話しは大げさになってしまうけど、コロンブスが世界史に残したもの、それはタバコと梅毒の普及といわれています。どちらもアメリカ原住民の風俗・風土病だったそうです。
で、梅毒といえばスピロヘータパリダですが、そもそもこれは牛の病原菌だったとか。これが獣姦によって人間に伝搬したって俗説があります。この梅毒は、鉄砲と一緒にポルトガル人が日本に持ってきました。そして鉄砲が戦国武将にゆきわたるよりもはるかにはやく、梅毒は日本全土に広がったそうです。おそるべし、コロンブスの置きみやげ。
梅毒は江戸時代になると華々しく広がり、多くの川柳にその悲哀を語ったものがみられます。当時、梅毒の特効薬として水銀軟膏があったが、梅毒が治ったあとに水銀中毒になった、なんてことも多かったとか。で、紫色の染め物は水銀を使っていたとかで、紫の布でちんちんをくるめば梅毒にはかからない、という俗説が流布したそうです。どこまで本当なのでしょうねえ。いまなら《都市伝説》になりそうだな。
ベルリンの壁崩壊後のサラエボの現状は、おそらく社会学者はほぼ完全に予想していたと思います。同時に、EU統合の動きと各国家レベルの「自立」という動きが表裏一体のものという考えも、ヨーロッパのジャーナリズムでは一般的という気がします。二度の大戦で無理矢理ひっぱんた線が、EUの登場で求心力を失いつつあるわけですね。
ほんとは「共同体とはなにか」という、社会学や民族学の基本命題に立ち入らざるをえない。日本は海という明確な境界で仕切られた領土を持ち、日本語という単一言語を話し、民族学的にも単一で億単位の人口を擁しているため、こういう問題がわりとクリアなんですね。
統合とは、ある特定の coherenceを核にした集合の形態にすぎない。こういう視点に立てば、EUは経済メカニズムで coherenceをたもつにすぎないことがわかります。経済的な統合が生存を保証しうるなら、むしろ民俗的レベルで identite の主張が台頭するのは自然な流れでしょう。
もともと異質の価値観が共存するためには、上位の coherenceが必要なんですね。イスラエルとパレスチナはお互いの違いを「許した」のではなくて、「生存の必要」というひとレベル上の共通認識を持つにいたり、妥協にいたったと見るべきでしょう。
お客さんのあいだは価値観の衝突がおきにくい。「どーせあいつは違うから」で割り切れる。が、共通の住民となると「どーせ」では住ませられなくなる。上位の coherenceを見つけるまで、壮絶な価値観の攻防を展開するわけですね。
「お互いの違いを認める」なんて簡単にゃできんのだというのは、ヨーロッパに住むと実感します。
あの〈Qu'est-ce que c'est,"OTAKU"?〉なるルポはぼくも見たけど、フランスの報道特集らしくないという印象を持った。F3の〈Marche du Siecle〉あたりが扱えば、だいぶ内容も構成も違うんじゃないかなあ。
なんというか、奇異な現象にスポットをあて、「こんな変な連中がいるんだぜぃ」みたいな視点が多かったような気がした。こういうセンセーショナルな扱いって、どちらかというとアメリカ的という気がするけど、こりゃ偏見かな。フランスのジャーナリズムだと、どっちかといえば、その背景とかメカニズムについての哲学的考察なんかをやりたがるような印象がある。
オタクについては、漫画という日本文化が生み出した現象というよりも、階層なき過剰競争社会の結末という気がする。このあたりの分析は中島梓『コミュニケーション不全症候群』に詳しいのだけど、同じ社会的状況が生じれば、ぜったいにどの文化圏にもオタクは生まれると思う。直感的には、アメリカの〈白人屑〉なんてのも、アナロジーが成り立つような気がする。
このあたり、「競争とアノミーとカウンター・カルチャー」という視点から眺めれば、かなり普遍的な原理みたいなのが導き出せるような気がするんだよねえ。
プラグの変換アダプタは、フランス国内で簡単に買えます。電話機なんかを販売している事務機器店に行けば、たいてい売っています。ファックスを置いてあれば、まず間違いなくあるでしょう。値段は20〜30フランぐらいです。
一番簡単な方法は、Hotel de Villeの向かいにある BHVの地下売場ですね。ここはまあ、アキバのラジオ・デパートをもう少し小さくしたようなところで、部品関係はたいていここで手に入ります。
なんかしらんけど、三日前から突然冷え込んできた。先日電話があったS田さんには「いやー、今年は暖かいっすよ」と伝えてしまった。大嘘になってしまった。でも、だまそうと思ったのではないのだ。
……という話しとは全然関係なく、木曜は隔週でゼミがある。研究室がなまじ家の近く、それもいきつけのスーパーから徒歩二分半てとこにあるせいで、かならず重いものの買い物を頼まれる。きょうも牛乳二リットルと、大量のヨーグルトを仰せつかった。
ゼミは七時まで、スーパーは七時半まで。まあ楽勝なのだが、きょうはなぜかハイな学生一人と講師とツーショット・ゼミが続いたため、終わったのは七時二十分ころ。教室からダッシュである。こういうときは、歩道の犬のう○こも気にしてはいられないのだ。
ちょうどコーラの SOLDEをやっていた。一ダース、たったの16フランである。それもブランドものたる CocaCola が、である。ひと缶24円でっせ。こりゃ買うしかありまへんがな。
……と、コーラとはまったく無関係に、おまわりさんが二人、ワインを物色していた。警官とてひとの子、べつにワインを飲んだって不思議はないが、制服のまま買い物かごもってスーパーでワインを物色している姿は、なんというか、ほほえますくなっちゃうのだ。
スパゲティを取ろうと身をかがめたワタシの目の前二十センチのところに、拳銃がぶらさがっていた。あらぬ衝動がわきあがるまえに、スパゲティをカゴにいれた。おととい、滞在許可を延長したばっかなのだ。レジに並ぶ。外からさらに警官が三人やってきた。隣のレジに並んだ件の警官二人は、レーンのうえに食い物・飲み物を広げていた。どうやら夜食の買い出しをしていたらしい。
……ってことは、勤務時間中にスーパーに寄ったんかいなー、などと思ってしまった。まあ、それは別に不思議はなくて、うちの隣のパン屋の前にもよくパトカーを停め、サンドウィッチを買っていたりする。日本のお巡りさんはたいてい手弁当か店屋物じゃなかったかなー、と思い出した。
でも、コーラ1ダースと牛乳二リットルは重かった。
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