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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1995年08月27日

 Paris, New York, Tokyo, Milanoといった国際都市のなかでも、Paris と New York は別格でしょうね。どちらも外国人がやってきて、そこで存分に才能を発揮するのだから。純粋にメディアとして機能しているのは、この二都市だけとはいわないまでも、まさに典型といっていいのでしょう。
 巴里でもNYでも、話題になる monument は、Parisien や New Yorker 以外の人間が創造したものだ、なんていわれますよね。ルーブルのガラスのピラミッドは中国系アメリカ人だし、マンハッタンの国際貿易センタービルも日系人だし。でも逆に言えば、巴里やNYはクリエイティブな人間を吸い寄せる磁場があるってことなのでしょう。
 滞在3年を経て、はっきりと巴里のほうが東京よりも住みやすい、と感じるようになった。いろいろな理由もあるのだろうけど、自然に巴里の空気を吸えるようになったから、だという気がする。もちろん、こっちにいても、そのまま仕事ができるというのもおおきいと思うけど。
 7月に二週間ほど日本に滞在したとき、なんか緊張感じてしまった。自然なカウンター・カルチャーがないというか。ヘソ出しやチャパツねーちゃんも、妙に身構えているって感じがして。
 これはぼくだけの考えかもしれないけど、カウンター・カルチャーには理論武装が必要ないと思う。
「気にいらねーよー」
 ってリアクションがあって、そこからすぐに行動しちゃう。こういう若気の至りが、カウンター・カルチャーじゃないか、なんて思う。だけど東京で感じたことは、反抗するにも理論武装が必要で、そのためにも行動に「意味」や「信条」を盛らないとあかん、って空気。ぼくが巴里でヘソ出しているねーちゃん見たら、単に「暑いからな」で納得しちゃうんだけどね。こういう素朴なリアクションじゃないところに、なんともいえない緊張感を覚えてしまった。


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