過去の日記一覧
|
この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
■ フランス語カテゴリー カテゴリ「フランス語」に投稿されたすべてのエントリのアーカイブのページが、新しい順番に並んでいます。 一つ前のカテゴリーは、「フランス生活」です。 次のカテゴリーは、「マンガ&アニメ」です。 |
おばさんは「tata」ともいいますよね。まえに友人の家でビデオを見せてもらったとき、
—— Ma tata!
—— Ta tata?
という、はた目(はた耳?)にはアホのような会話がありました(笑)。
capricieus って単語は使いでがある。「機械が調子悪い」なんてニュアンスにも。グラースの香水工場で eau mineraleの自販機が調子悪いとき、従業員がひとこと「Capricieus!!」って言ってた。
天気がかわりやすいってのにも、capricieusがつかえます。
朝8時頃の RER A 線の各駅にいけば巴里で駅のアナウンスを聞ける。いちばんはでにやっているのは、Chatelet-Les Halles と Charle de Gaule-Etoile でしょうい。
Le train entre la gare.(電車がまいります)
Laissez descendre avant le monte.(降りる方が優先です)
Veuillez degager la porte, svp.(ドアの前を広くお開けください)
Montez plus.(いま一歩おつめください)
Attension a la fermeture de la porte.(ドアが閉まります)
Ce train est en destination de CERGY.(この電車はセルジー行きです)
日本のアナウンスはちとやりすぎ。酔っぱらいの面倒だってみすぎていると思う。駆け込み乗車で怪我したらそりゃ乗客の責任だし、酔っぱらって凍死でもすりゃあ、そりゃ自業自得だと思う。
外国に住みはじめると、だいたい三ヶ月で急速に饒舌になる。で、とにかく顔面の筋肉が疲れました。まじなはなし。日本語だと唇だけでごまかしがきくけど、フランス語だと頬から耳にかけた筋肉を酷使します。逆に、ちょっと発音に自信がないと思う人は、オーバーなくらいに顔面をひきつらせるといい。あとは、いわゆる communication non-verbaleでも顔の表情はポイントだか
ら、これにも筋肉を使う。
外国語を喋るときというのは、ある程度性格が変わるそうです。バイリンガルとかを除けば、母語と外国語とで対応する大脳の箇所が違うからなんですって。だから、日本語だとおとなしいひとが、英語やフランス語だと攻撃的なんてケースはありうるでしょうね。
初心者向けというと、かつては「クラウン」が定番でした。いまの版は色刷り&イラスト入りとなったので、いっそう使いやすくなったような。うちにもカミさん用とぼく用の二冊あります。これは中級ぐらいまで使えるから、持っていて損はない。
電子ブック版を買うって選択肢もあります。辞書本体部分は 20MB 程度なんで、HDに専用辞書を常駐させるなんて使い方もできる。
クラウンは例文も豊富で適切だと思います。熟語もかなり出ているから、商業翻訳みたいな本格利用以外であればほぼオールラウンドに近い。初級〜中級はクラウン、上級はロワイヤルっていうのが、まあわりと多いパターンじゃないでしょうか。
フランス語だと「インノセント innocent」あるいは「ナイーブ naif」って、口語だとあんまりいい意味じゃないっすよん。相手が大人の場合はですね、ニュアンスとして「とんま」「どじ」って感覚があります。英語との違いにご用心。
【例文】T'es naif!!
あほなやっちゃなー。
Il est tout @ fait innocent.
あいつ、ほんっとにトンマだねー。
定冠詞・不定冠詞の発想は、論理の全称命題・選言命題と密接な関連がありますんです。数学用語を持ち出すと「う〜みゅ」となるかもしれませんが、ぼくはこれに気がついてから、冠詞の考えが一歩前進したような気がします。
数学の本でも、「任意の x」をきっちり「quelque soit x」と書く場合もあれば、単に「le x」と書く場合もある。「ある x」を「certain x 」とも書けば、「un x」と書いたりもする。要するに、不定冠詞だと量の概念がはいり、対象にある種の輪郭がともなうようになるんですよ。
J'aime la femme.
これは二通りのニュアンスが可能で、「女なら誰でも(任意の女を)愛するのぢゃ」あるいは「わしが愛するのは女である(男ぢゃないよん)」ですね。どっちになるかは文脈次第。後者は抽象概念化ってやつです。
J'aime les femmes.
これは全称命題といっても、「任意の」よりも「全ての」のニュアンスになるでせう。「女すべてぢゃ」ですね。
J'aime une femme/des femmes.
これですと、「好きな女がおるねんな」ですね。この文だけなら、存在を示すことが本質的な意味になります。une と desの違いは、単に一度に引き受ける数が単数か複数かの違いでせう。
よって、
cherche une jeune femme・・・「ひとりでもおればええわぁ」 (切実)
cherche des jeune femme・・・「何人か探してます」(欲張り)
cherche la jeune femme・・・「若い子がええ」(わがまま)
cherche les jeune femme・・・「あらゆる若い子」(誇大妄想的)
というところでありましょう。もちろん文脈によってニュアンスは多少変わるはずだけど。
不定冠詞で示された対象が、それ以降は定冠詞で参照されるとか、関係代名詞で限定された名詞は定冠詞になる、という原理も、論理的に考えるときちんと出てきますね。
J'aimais des femmes. ... Les femmes sont capricieuse.
何人かの女を愛した。そいつらの気まぐれなことったら。
(本来なら elles ですが)
最初の「des femmes」によって、読者の脳裏には「ワタシがかつて愛した」という、限定された集合がイメージされるんですね。よって、それ以降、女といえばその限定された集合が想起されます。あとの文脈でその集合を参照するのであれば、数学的にも「かつて愛した女すべて」=「女すべて」となる。だから定冠詞を使う。
les femmes qui se croient jeunes
des femmes qui se croient jeunes
これはどっちも可能ですね。
J'aimais des femmes. ...
Des femmes qui se croyaient jeunes etaient capricieuses.
女なら何人か愛したて。……。自分を若いと信じてたおなごの中には、きまぐれなのもおってのぉ。(存在の指摘)
J'aimais des femmes. ...
Les femmes qui se croyaient jeunes etaient capricieuses.
女なら何人か愛したて。……。連中、自分は若いと信じておったが、それはそれは気まぐれでのぉ。
ってな違いになるかな。ニュアンスの違いを冠詞だけで表現できるってのは、ほんと便利ですよねえ。
語学力を評価するにはいろいろな指標があるけど、どれだけの量を一気に書けるかってのは案外忘れがちのような気がする。たとえばなんの準備もなしにフリーテーマで何頁かけるか? これはコミュニケーション力といっていいかもしれない。
なんでもいい。とにかく書いてしまう。表現してしまう。でないと何も始まらない。永久に始まらない。正確さや適切さだって、表現しないことにはチェックしようがないんだから。
アリアンスやソルボンヌの教師も、「完璧に表現できるようになってからなんて思っていたら、永久に上達できない」と断言してた。ぼくもそう思う。で、日本人、韓国人にこの傾向が顕著なんだそうです。
「世間は思いのほか自分には注目してない」という事実に気づくと、案外と恥も気にならないものです。
bienとか beacoupって形容詞をつけると、その対立として malや peuを意識するわけでしょう? とゆーことは、Je t'aime bien. は「ふつーよりちょっと」くらいのニュアンスになるんじゃないのかな。よりえげつなく表現するときは、はっきりと比較級にするわけですよね。
口語では「pas mal 」もよく使いますよ。これは対象がひとでなくてもよく使いますね。
J'aime pas mal la musique.で、「まあ、音楽は嫌いじゃないね」みたいな意味ね。
テクニカル・タームならフランスでも案外と英語が通用すると思うでしょう? けっこうこれがあきまへんねん。エンジニアやプログラマは大丈夫なんですが、学校の研究者なんかだと、フラ語ぢゃないと駄目なことが多いんですよ。
今でも思い出すのが、表計算ソフトを使ったときのことです。ぼくは「乱数」を使いたかったのね。でも、フランス語版エクセルは、関数の略号もすべてフランス語基準になっていた。だから、RAND()なんてのがないんです。
でも、わしゃ「乱数」をフランス語でなんちゅうかなんてわからんかった。こりゃ、困りましたね。相当英語の得意なやつでも、意外と random って単語を知らなかった。で、あれやこれやで、ようやく aleatoireに到達したのでした。
あと、「階乗」なんてのも困りましたね。まあ、これは「!」っちゅう記号が万国共通なんで、すぐになんとかなりましたが。
プリンタのインク・カートリッジを買うときも苦労しましたぜ。なにせ、cartouche なんて知らなかったから。
字体を「police」というのは、字体名が都市の名前だから、という説がありました。本当かどうかしらんけど。
今回の旅行で見かけた単語や表現でござる。
(1)autoroute にて見かけた標識
Fatigue - Danger
Detente - Securite
Utilisez le frein moteur
「アクセルを緩めよ」はデンタントなんですね。
(2)レストランにて
Installez-vous!
「どうぞお座り下さい!」は、s'installer だったのね。
冠詞の使い分けだけど、数学の quantificateur の発想を使うと、ちょっとは理解の助けになる。
任意のx、全てのx → le/la/les x
あるx、……なるxが存在する → un/une/des x
(例)
(1) J'aime la femme.
(2) J'aime une femme.
(3) J'aime la femme qui resemble a PPP.
(4) J'aime une femme qui resemble a QQQ.
(1) 私は任意の女性を愛する。
(2) 私の愛する女性が存在する。
(3) 私は PPPに似た任意の女性を愛する。
(4) 私の愛するある女性は QQQに似ている。
定冠詞のばやい、集合概念がはいるんじゃないだろうか。
Je drague l'homme. :あたしゃどんなオトコでも引っかけちゃうのよ。
Je drague les hommes.:あたしゃぜんぶのオトコを引っかけちゃうのよ。
"Oui ou merde ?" ほんの数回聞いたことがあるだけだから、男同士で親しい間でした使わないんじゃないかな。
「いいと思う? それともクソくらえか?」ってな感じじゃないでせうか。
「je」は限りなく「シュ」に近い、とくにパリでは。
je suis:シュイ
je sais pas:シェパ
je fais:シ(ュ)フェ
レースといっても、自動車レースのことでござる。
最近、授業が少なくなったので、「黒板のフランス語」がネタ切れ状態である。場つなぎのために、ミニテルで提供されている Marlboro Racint Serviceから、レース関係の用語をおいおいご紹介いたしませう。
さてさて、セナ亡き後のモナコGP、誰が勝者となることやら。江下の記憶だと、過去十年、このもっとも伝統あるGPは、セナとプロストが勝利を分け合っていたと思うのだが。 |
「froid」「chaud」は、ホテルのシャワーでトラブルのもとになることも、たまにだけどあるみたいですね。ノブのところに「F」と「C」と刻印してある。「C」を「Cold」と勘違いして、思いきりひねったら熱湯をあびた……なんてことが、実際にあるそうです。
Beauneでは、ブルゴーニュ産白ワインの Meursaultをば、試飲してみました。まだ若いワインだったけど、なかなかドライでいさぎ良い感じの喉越しでした。
ラテン語といっても、この場合は「ラテン語の単語」って意味でしょうね。そうなると、われわれにとっての古文や漢文、あるいは故事成語に近いイメージだと考えればいいのではないだろうか。
インテリに属するひとだと、会話でもラテン語の単語が混じることがありますよ。よく使うのは、「a priori」とか「grosso modo」など。
学長なんかに問い合わせをするときなど、
A priori, oui
なんて返事はよくあります。
文語というか、学問の世界だと、「i.e(id est)」「e.g.(exempli gratia)」はフランス語に限らず使いますね。
大学では教授どうしは tutoyer、生徒どうしも tutoyer、でも教師と生徒の間は vouvoyer が、ま、普通なのである。しかし、その「生徒」も晴れて「はかせさま」になると、教授たちから「tutoyer」してもらえるのだ。DEA の生徒くらいだとそのあたりが中途半端で、教授とは vouvoyerだが、はるかに距離の近い enseignant とは tutoyerというケースも多い。別に「女教師・昼下がりの○○」という世界ではないのである。そうなると、tutoyer には階層的な発想が込められているのではないか、と考えられるのである。
グランゼコールの生徒になると、大OBの高級官僚や大企業幹部ともいきなり tutoyerするケースが多いそうだ。これなども、「同じ社会階層に所属する」ことの確認儀式ではないか、と思うのだ。語学学校などでは教師と生徒が一体化となった雰囲気が重視されるため、教師・生徒間でも tutoyerというケースが少なくない。師弟関係というものが、持ち込まれていない状態なのである。一種の友人関係といってもよいだろう。
さてさて、こう考えると、「tutoyer」といっても特別「親しい」関係を保証するものでもないし、「vouvoyer」に変化したからといって、急に見知らぬ人となったわけではないのだ。「去る人日々に疎し」かもしれんが。
ぼくの姉の友人がスイスのベルンから遊びにきています。彼女はニューヨークでフランス人のルームメイトと住んでいた。ある日、その女性が突然、
「あい・あむ・あんぐりー!」と絶叫したそうな。
姉の友人は、「わたし、何か悪いことでもしたのかしら」と心配したら、そのフランス女性、突然冷蔵庫を開いて食い物をごそごそ。
「I am angry!」ではなくって、「I am hungry!」だったんですねえ。
フランス語そのものは一世紀以上(笑)変わっていないと思いますが、フランス語教材はだいぶ変わっています。どんどん改善されているんじゃないかな、って気がします。だから、なるべく新しい教材を使ったほうがいいと思います。
ぼくはいつも Nouveau Sans Frontier (Cle Internationale) をすすめています。フランスの語学学校では、現在、N.S.F.と Espace がテキストの主流です。どちらかというと、いまは Espace 派が優勢かな。ただし、論説文や会話文のバランス、発音や会話練習などの配分、そして単語量を考えますと、N.S.F.のほうがいいんじゃないかな、と思います。もし新たに教材を揃えるのであれば、ずばりこれをおすすめします。ほかに、Avec Plaisirとか Bienvenueなど、AV教材を前提にしたテキストもあるようです。
「Salut!」は万能の挨拶ことばですね。会うときも「Salut!」、別れるときも「Salut!」、なんでも使えます。友人間なら「Au revoir!」よりも、「Salut, ciao!」の方がスマートですね。France Interの夜の放送でも、DJは最後に「Salut! A demain!」。ぼくのときは、ペレさんも結構「Salut!」を使っていましたよ。やっぱり流行があるのかな。
板坂元「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)を読んでいたら、聞取りについてこんな記述があった。(文章は江下が要約)
英語の場合、重要な内容は文章の冒頭で語られる。だから、話しの内容全てが聞取れなくても、冒頭部分に集中すればかなりの部分を把握できる。会話では切れ目に注意し、切れ目の後に出てくる言葉に神経を集中させる……、と。
フランス語でも条件は同でしょう。試しにラジオを聞きながら話しの切れ目に集中してみたが、何となく話しの内容がスムーズに入ってくるような気がした。フランス語でも結構切れ目があるなあ、なんてことにも気づいたし。ディクテでは全体把握が大切ですけれど、一回目の聞取りでは全体構成の把握が大切でしょう。このテクが使えるかもしれない。
試した方がいらっしゃいましたら、効果のほどをレポートして下さい。
早速 mome と garce の系列を調べてしまった。 femme → bergere, mome , marquise, meuf, miquette, mousme, soeur ; caille, guepe, poulette, sourismechant → chipie, megere ; tres fam.: garce, salope おお! mousme は日本語だ! 意味を調べたら「日本娘」だって。ほぉー。 以上の単語、分かる範囲で訳をつけるとすれば……
女子高生に「garce!」なんて呼びかけたら、ピンタが飛んできそうだけど。 |
モチベーションの継続が問題でしょうね。誰だって好きなことや目的のはっきりしたことならかなり打ち込めるでしょ? そういう時は自分が「努力」しているなんて意識していないと思いますよ。反対に言えば、いかにも努力している、って感じるときは長続きしないんじゃないかと思います。だから所謂勉強法の背後には、きっと何か快感を産み出したモチベーションがあるはずです。
テキストの入力にしても、あれは一気にやったのではなくって、テキスト文を随時眺めてみたかったからなのでした。今にして思えば、その頁だけコピーすりゃ良かったのに、なんて気がついた。ぼくの場合、テキスト入力は手頃な気分転換の「運動」でしたね。だから必要に迫られ、悲壮な覚悟でやったわけではなく、それなりに「快感」もあったのです。ランニングハイならぬタイピングハイ?
バッサリ捨ててスリムにするためには、変な言い方だけど贅肉が必要なのですね。痩せている人間がダイエットしたら死んじまう。文章も同じで少ない文章をバッサリやったら、本当に何もなくなってしまう。だからバッサリやるためには、とにかく何でもかいちまえ!!!といのが大前提。要は「書いてはバッサリ、また書いてはバッサリ。後に残るだけの量はとにかく確保」することです。
ということで、百頁書くために百二十書くというのは正解だと思う。
何年か前に日本でも公演のあった、ギィ・グラヴィスのテープがなぜかありまして、それをさんざん聴いたことがあります。あの時は王子さま役の子供にばかり注目が集まりましたが、むしろ一人で王様からキツネまでを演じた(語った)役者が印象的でした。フランスでも有名な脇役俳優だそうですが、名前は忘れてしまった。
異邦人も確かテープを持っていたのだけど、はて、カミュの朗読だっただらふか。(?_?)
いずれマルチメディア・パソコンが普及すれば、DLに著作権切れの朗読テープが登録されるようになるかもしれませんね。そんな日がくるのは果していつのことやら。FMOTORには既に車のエギゾースト音をサンプリングしたものが、DLに入っているそうです。
江下が書く順序は次の通りである。
(1)レジュメ
(2)図表
(3)発表用の資料(OHPとカンニング・ペーパー)
(4)本文と付属資料
(5)本文目次及び図表目次
一つだけ注意。人工知能に「後ろ向き推論」「前向き推論」の違いがあるように、レポートを書くときにも、「膨張型執筆」と「縮小型執筆」がある。江下の順序は前者に属し、必要最小限の内容でまとめることを目的にしたものである。つまり、最小限の内容をレジュメで抑え、それにギリギリの肉と皮をつけて体裁を整える。メリットとして、内容がクリアーにつかめる、作業を体系的に進められる、などがある。反対に、事前に方法論を十分抑えていないと、後から視点の欠如や手抜きを指摘されてしまう。縮小型はある程度の方向だけ定めておいて、あとは勢いに乗じてどんどん書く。最後に出来上がったものを整理するというものだ。長所短所は膨張型の裏返し。豊富な内容を網羅でき、多面的な視点を展開しやすいのに対し、作業が泥沼に陥りやすい、不必要な内容が盛られ易いなどのリスクがある。
これは個人差もさることながら、研究の種類にも依存するようだ。論文は「分析論文」と「研究論文」に大別されるが、分析論文は膨張型、研究論文は縮小型となる傾向があるように思われる。実際、江下の論文のほとんどは分析論文である。
いずれにしても、「書いては削り」「削っては書く」という作業は共通している。「書くこと」と同じレベルで「バッサリ削ること」が重要だ。「情報は捨てるためにより高品質の情報を必要とする」なんてのはちょっと思い付いたコピーだが、なかなか本質をついているでしょ? これも常識?
ところで肉筆論文を義務づけている教授はまだいるのだろうか?
基本的な注意事項は日本語の論文の場合と大差ないものと考えられる。一番大切なことは、次の6点であろう。
(1)うだうだ考えずとにかく最後まで書いてしまう。
(2)スペルチェッカ、グラマチェッカで文法的誤りを修正する。
(3)少なくとも一日間を明けて文章を冷静に(!)見直す。
(4)文章を書き換える。できればシソーラスで言葉を整える。
(5)信頼できる人に読んでもらい、意味不明箇所(!)を指摘してもらう。
(6)上記(2)(4)を繰り返す。
文章を書くスタイルで多少の違いはあるだろうが、まず十何年もフランス語づけというような人でもなければ、最初に書いたものは確実に悲惨な出来であると考えて間違いない。例えば江下は在仏一年半で高等教育機関でもそこそこの成績を納めたが、文章を書く作業は別問題だ。せいぜい「滞在1、2年のガイジンにしては、まあ、まともな方かもね」というレベルだ。実際の出来としては、「大学レベルの内容を中学生が書く」ようなものになっている。
これは謙遜でも何でもない客観的事実である。悲しいことに。(;_;)
しかし、日を置いて眺めたり、誰かに指摘されてみると、「こりゃ変だわ!」ということが良く分かる。ということは、自助努力によって中学生の文章を高校生位にまではできるはずだ。今時点でこれ以上の高望みはよそう。後は内容で勝負したい。(^^;ゞ
ここまで書けばお分かりだと思うが、まず書き上げて、それから冷静な目で見直すことが大切だ。(1)と(3)である。
ここでコツを一つ伝授。
「書いたものをバッサリ捨てる」
これが江下の強調するコツである。だてに9年間報告書ばかり書いていたのではない(江下のこれまでの執筆論文数は30以上、原稿用紙換算で一万枚以上あるから、多少の傲慢は許されるだろう。尤も99.5% は日本語だけど)。とかくレポートで陥りやすい罠は、「いわんでもエエことをついつい書いてしまう」こと。人間には、良く分からない内容ほどくどく書いてしまう傾向がある。これは書きながら自己弁護をしている行動にほかならない。
日本語ならまだ冗長程度ですまされるが、外国語の文章だと致命傷になりかねない。
分からない内容 → くどい文章 → 意味不明な構文、用語
という悲惨なスパイラルを生じてしまう。
外国語で苦労して書いた文章はナカナカ捨てがたい。気持ちはよくわかる。しかし心を鬼にしてバッサリやってしまう。絶対にその方が全体として締まった構成になるはずだ。目安として、100頁書いたら 20〜30頁はパッサリやれる。反対に 100頁書かなければいけないなら、120〜150頁書くくらいのスケジュールでいた方がいい。
どうしてもバッサリやれないときは? 付属資料にまわしてしまえばいい。出来れば表や枠にまとめて整理する。本文でうだうだ書くよりも、その方がよっぽど気がきいている。
以上を実践する意味で、まずレジュメから作ることをお勧めする。えっ、そんなの当たり前?
これはこれは失礼しました。
趣味の問題でしょうね。ぼくの場合はマチマチですが、どちらかというと、訳本を読んでから原書を読みたくなるというパターンが多いです。ただ、今まで2つ例外があって、それが「異邦人」と「星の王子さま」でした。ま、ただの偶然です。
「星の……」は英語の副教材として高校の時に読みました。だから最初は英語版で始まり、それからフランス語版、最後に日本語版と辿り着きました。
「異邦人」はまだ実は日本語版を読み終わっていない。(^^;ゞ
なんとなく原文のオーラが感じられないのです。でも、これは決して翻訳のせいではなく、内容よりもカミュのリズムに衝撃を受けたからだと思います。
原書を先に読むと、日本語版で読むときに何だか「発見」がありますね。何となく分かったような分からなかったようなところが、急に霧が晴れたような気分になるというか。反対に、際に翻訳を読んだ時などは、気に入った部分が原文でどう表現されているかを探すのが楽しい。
San Frontier 1(旧版)の Bretagne あたりは、7年前の今頃、江下が初めてアテネ・フランセに通った頃に習った部分です。
原宿を形容詞化すると、「harajuqois」か「harajukais」かなぁ。「原宿」自体「Harajuku」と書くと「ハラジュキュ」になってしまう。音を優先させると「Harajuque」か「Harajuc 」だし。接尾語「-eur」を使うと、「〜する人」って感じがしてしまう。
ついでながら、Tokyo → tokyoite、Osaka → Osaquais/Osakais。
決して「Je suis tokais.」とは言わないように。同音の「toque」は英語の「kinky」と同じ意味ですから。
代名動詞は本当に便利で作文にもついつい多用してしまいます。ただし、コミュニケーションの専門家によると、受動的意味での代名動詞の乱用は、ある程度注意した方が良いそうです。lisibiliteの問題だそうです。
江下の発音は単に「悪い」としか言われませんが(苦笑)、作文の方は「カナダ人のフランス語みたい」とよく言われます。つまり、英語とチャンポンになった表現が多いらしい。
一例を挙げますと、「現在の状況」を江下はついつい「situation presente」としてしまいますが、フランス仏語では絶対に言わないそうです。ここは必ず「situation actuelle」だとか。反対に、「reellement」と書くべきところを、「actuellement」と書いてしまいます。「actuel」の意味を英語的に捉えているためです。これ、「分かっちゃいるけど....」ってやつです。
フランスのラジオでは政治家の口調の物真似番組があります。ちょっとせきこむようなミッテラン、悠然たるシラク、芒洋として噛んで含むようなバラデュール、詩の朗読のようなロカール、皆特徴があっておもしろい。これでパロディをやるわけです。日本でもかつて田中角栄や大平正芳の物真似が盛んでしたね。最近それほどでもないのは、真似するだけの個性がなくなったからなのだろうか? それとも政治家への関心が薄れたから?
私は日本語の会話の中でフランス語を発するとき、努めて franponais になるよう音を発します。まあ、発音がたいしてうまくない、という根本的理由もあるのですが、日本語会話の中で中途半端なフランス語が混じると、極めて分かりずらいと思ったからなのです。
前にこんな経験がありました。フランス語初級クラスの人から、ホテルの住所を教えて貰った時のことです。先方は親切にもフランス風発音で教えてくれたのですが、3回聞いてもようわからん。r-とl-の違いはさすがに大袈裟な発音のおかげで分かったのですが、-in、-an、-on は判別不能。b-とv-も曖昧模糊。しかも固有名詞なので、綴りも想像できなかった。最後は結局英語式スペルで言ってもらったのですが、これもフランス式とちゃんぽんになって、実に時間がかかってしまいました。
もしかすると、聞きやすさというのは単に音だけの問題ではなく、身構えの問題があるのでは? 例えば日本語の会話だと耳が日本式の音に身構えている。フランス語会話だとフランス式の音に身構えている。そこに外国語の音が入ってくるとき、ちゃんとしたネイティブ音は学習によって吸収できても、中途半端な音だとかえって受信不良を起こしてしまう。頭の方で、母語で処理すべきか、外国語で処理すべきかの混乱を生じさてしまうような気がするのです。実際、フランス人が英語を中途半端に英語風発音で喋ると、これまたえらくわかりずらい。franlgais の方がスムーズに感じてしまいます。
この話、クラスでしたら皆同感だと言っていた。ある友人曰く、「でも、アメリカ人は何語で話しても、Rばっかでよう分からんわ」。一同爆笑。
最後に指摘したいことが一つ。「自分のオリジナル辞書を作るべし」。つまり、
(1)仏文読解経験で、知らない単語を記録しておく。
(2)参考になる表現を記録しておく。
我々非ネイティブが仏文を書く場合、最も確実な方法はネイティブの書いたものを真似することである。それではオリジナリティがない、などと言わないでほしい。オリジナリティはまともな文章を書ける者のセリフである。在仏10年以上の翻訳者でも、ネイティブ・チェックなしの仏作文は見苦しいという。我々は謙虚に「学ぶは真似るから」を思いだすべきであろう。
単語、言い回し、文章表現、真似るべき点はいくらでもある。日頃から仏文に接し、それらを記録しておく。1年でもかなりのストックになるはずである。極端な話し、この積み重ねの差が表現力の差になろう。こういう活動は、再利用を考えるとパソコン入力するのが好ましい。さらに、表計算ソフトやデータベース・ソフトを利用すれば、それだけ検索が楽になる。しかし、始めから欲張ってはいけないし、人によって最適なスタイルがあるはずである。一番大切なことは、継続可能なスタイルを身に付けることである。
我々が仏文の論文やレポートを書く場合、表現上一番確実な方法は、誰かのレポートを借りて、その表現を真似しながら書くことである。内容を真似すれば盗作だが、表現や構成の真似は外国人には許される行為である。江下は学校に提出するレポートがある場合、たいてい真っ先に終わった者のレポートを借りた。「そうか! こういうところで Il s'agit de ... と書けばいいのか!」といった発見がしばしばあった。こういう資料は、貴重な参考になる。無論、内容も含めて。
論文を書くのであれば、師匠の論文を参考にするとよいだろう。
ここではなぜ和仏以外の辞書が必要なのかを訴えたい。
仏文でレポートを書こうというほどの者であれば、最低限の語彙力はあるはずである。「aller って何ですか?」という人の仏作文は想定外である。
和文仏訳と異なる点は、概念を自分の守備範囲の言葉で表現できるということである。であれば、仏作文で和仏辞典を使う意義は、概ね次の3点に集約されそうである。
(1)固有名詞や専門用語を調べる。
(2)ド忘れした単語のとっかかりを調べる。
(3)どうしても用いたい一般的な表現を探す。
苦労は少ないけれど危険な罠に陥り易いのが(3)のケースである。例えば「方法」という言葉をどうするか? 和仏辞典を見れば、「methode、procede、moyer」の3つは最低限載っているはずである。化学プラントの「製法」であれば、まずmethode は使わない。即、procede である。反対に、「データモデル化手法」は methodeである。これだけなら単にニュアンスの違いにすぎないが、(1)のケースで仏和から単語を調べようとするとき、始めからmethode で引くか、procede で引くかで、完全に明暗を分けてしまう。
話しは(1)のケースに戻るが、苦労が多い割に案外と問題ないといえる。この部分は知恵というより知識の問題なので、いい辞書が揃っていれば、それほど問題にはならない。江下が扱う分野は自然科学、経済、工学に関連した分野が多い。だから、関連分野の仏和辞典を揃えた。また、専門性が高いほど英語の流通が盛んなため、英語絡みの辞書も欠かせない。事実として、仏和より英和、和仏より英仏の方が、辞書の種類は豊富である。
(1)のような例での格闘方法は、まず文頭に使われそうな単語を捻りだす。例えば「procede」や「methode」である。そして、専門の仏和辞典でその項目を片っ端から調べ挙げる。それでも見つからないときは、理化学辞典や和英の専門用語辞典から探す。うまく英訳に出くわしたら、対応しそうな仏訳を想像し、仏仏辞典でチェックする。
だいたい出版辞書との付き合いはこの繰り返しである。このパターン、多分人によっていろいろな技があると思う。他の人の用例を知りたし。
ここで主張したいポイントは、次の2つである。
仏文を書く時は和仏辞書があれば十分という錯覚の打破
いい辞書は必ずしも「印刷物」にあらず
和仏辞典は必要条件の一つにすぎない。この当たり前のような事実を、くどいくらい強調してみたいと思う。また、このシリーズの隠れテーマである「ハイテクを積極的に利用した文書作成」を強調したい。
まず江下の辞書環境を紹介する。前に和仏辞典を使う頻度が相対的に少なくなった、と発言したことがある。しかし、この偉大な文化的資産なしに仏作文をこなすことは、少なくとも江下程度の語学力では不可能である。頻繁は別にして、手元において使っている辞書は次の通りである。
(1)スタンダード和仏辞典(大修館書店)
(2)クラウン仏和辞典(三省堂)
(3)経済フランス語辞典(三水社)
(4)仏和理工学辞典(白水社)
(5)会話・作文 フランス語表現辞典(朝日出版社)
(6)英和・和英 経済用語辞典(富士書房)
(7)現代英和辞典(研究社)
(8)La Petit Larousse(Larousse)
(9)THESAURUS Larousse(Larousse)
(10)Dictionnaire des idees par les mots(Robert)
(11)Collins discionnaire Francais/anglais, A/F(marabout)
(12)Webster's Electronic Distionnary(Webster)
これは何もハッタリで列記したわけではない。ある程度専門的な文書を書こうと思ったら、この程度は揃えておかないとこなせない。無論、手紙とか簡単なメモ程度でここまでは必要ない。日常的な文章を書くのが中心ならば、このうち(1)(2)(5)があれば十分だろう。「ディプロス フランス語会話マニュアル」(朝日出版社)を加えれば、相当応用がきくはずである。
リストで注意頂きたい点は、フランス語以外の辞書が案外と必要になる点である。専門用語になると、まず一般的な和仏辞典ではカバーできない。フランス語の専門用語辞典は、生憎とほとんど仏和である。こうなると、英語でアタリをつけて、それを逆引き逆引きして探すしかない。場合によっては、「理化学辞典」(岩波書店)や「広辞苑」(同)さえ引くこともある。仏文を書くのに、と笑うことなかれ。これらの辞書には案外と由来の単語が載っているのだ。溺れる仏訳者は国語辞典にもすがるのである。
こんなとき、全て電子辞書化されていればどれほど便利かわからない。白水社や三水社をはじめ、関係業者の努力に期待したい。
フランス・ニュースダイジェストのNo.185 (1993.8.27号)に載ってました。タイトルはすばり「テニスの起源」です。
0、15、40と数える起源は、中世フランスの通貨単位十五スー銅貨が基本になっている、本来45なのが、長すぎるので40になった等の説が披露されておりました。また、tennisという言葉自体は「ハムレット」で初めて登場したとの説もあるそうです。
手元の「とれぞぉ」で調べてみました。
ちょっと長い引用になりましたが、「お体の手入れ」を上位概念とする言葉として入っていますね。綿棒とか絆創膏と同じレベルで考えられているということは、簡単な医療器具というニュアンスがあると考えられましょうか。こりゃやっぱりスーパーにはなさそうだ。実は昨日、水出さんとスーパーに買い物に行った際、ちょっと調べたのでした。 |
いわゆる専業主婦は、フランス人女性でもかなり多いはずですよ、とくに地方では。ただし、職業という概念ではないはずですね。「職業」は雇用契約が前提になっている発想だと思います。「結婚」も契約行為の一つですが、こりゃ雇用契約ではないし(どっちが雇用者だか)。
「主婦」に近いニュアンスとしては、femme au foyerもあったと思う。
自由業「 profession liberale」は職業分類にもありますが、写真家とか画家、通訳、フリーライターを指すようです。要するに定期的かつ一定した仕事ではない、という意味ですね。特定の会社に所属していないのであれば、職種によっては「自由業」でしょうが、一般形容詞で表現するなら、independant か autonome だらふか。
コンピュータ関係の技術者は、「ingenieur informatique」でしょう。これはハード、ソフトのいずれにも適用できたと思います。
実は以前 Lexiques informatiques 、Lexiques telematiques を何度かアップしまして(前野さん入会の前です)、DLにアップしようと思いつつもついついほかしてしまった。ファイルをパリに置いてきてしまったので、今月末以降のアップになると思います。
computerはordinateurです。compteurというとレジ、calculateur だと電卓、あるいは機械式計算機(こりゃ博物館モノだわ)になってしまいます。パソコンは microまたはmicro-ordinateur、ordinateur personnelです。
informatiqueはナカナカ便利な単語で、名詞として「情報科学」「計算機科学」という意味があるほか、形容詞として「コンピュータの」「情報科学の」という意味で使えます。
新しい用語は和仏に載っていませんので、実績ある和仏でアタリをつけて、専門用語の仏和辞典を引かざるをえません。白水社の理工学仏和辞典はかなり網羅していますね。
辞書で全ての単語を調べ終ったら、それらを改めて表計算ソフトEXCEL に入力する。動詞や形容詞は無論原形に戻す。また、あまり一般的でなさそうな単語、固有名詞は原則割愛する。知らない単語を全て覚えようという野望は危険である。少なくとも江下のような30オジンには自殺行為でしかない。「情報を集めることと捨てることは同じである」という原理を忘れてはならない。
こうして選択された単語は、江下の場合、一つのLecon で90くらいである。
具体的な暗記方法は次の通りである。
表計算画面の第1列には連番を入れる。第2列には乱数、第3列には仏語、第4列には訳語を入れる。第5列は空白、第7列〜11列はスコア用にリザーブ、そして第6列は7〜11列のスコア合計列とする。江下は経験上10日間をワンクルーとしている。
初日、対象Lecon のテキストを一度音読する。さすがにパリ市民となって1年以上なので、初見でも結構速く読める。前は3度読み返した。音読後、画面を狭め分割を利用して左半分は第4列のみ、右半分は空白の第5列を表示させる。そして訳後を見ながら元の単語を入力する。テキストを読んだ直後だと、知らない単語でも3割以上が短期記憶に残っている。分からなかったりミスった単語があれば、スコア欄に「1」を入力する。初日なので、第7列をスコア欄に用いる。
次に、入力欄に用いた第5列を消去し、第7列をキーにして降順でソートする。リストの始めの部分の方が覚えやすいという原理に従い、分からなかった単語を常に前に持っていく。ソートしたら今度はスコア1の部分に限り、再び同じことを繰り返す。できなかった所はスコア欄に1を加える。2度駄目だった単語はスコアが2になる。
答えられない単語がなくなるまで、同じことを繰り返す。ただし、最大でも4回に留める。合計4回も繰り返すと、ほぼ全ての単語がパスされるが、それでも2、3個はスコア4、つまり4度とも正解が得られない。そして5度目は全単語を対象に最終テストをする。初回でパスした単語でもいくつかはもう忘れている。できなかった部分には、スコアに1加算。
第二日、スコア欄として第8列を用いる他は初日と同じ。オープニング画面は第6列(スコア積算)をキーとして降順にソート。
第三日、スコア欄として第9列を用いる他は第二日と同じ。この頃になると、スコアなし、つまり初見で大半が正解となる。最大スコアもほぼ2でストップ。従って、4回目が最終テストになる。最後にセーブする前、単語順序を第6列を第一キー、第二列(乱数)を第二キーとしてソートする。
第四日、テキストの音読はやらない。テスト方法も少し変える。まず第5列を入力し終り、答え合わせのため画面左側を第3列にスクロールさせたら、単に単語をチェックするだけでなく、訳語を口ずさんでみる。調べた通りの訳語が出てこなかったり、単語にミスがあったらスコア1を加える。3日の努力でノースコアが大半を占めるようになるが、仏和テストを追加する結果、再びスコア3、4が続出する。
第五日以降。第四日に同じ。スコア欄は初日に用いた列から上書きしていく。10日経つと正解率は95%程度になる。集中テストは取敢ずこれで一段落させ、次のLecon に取り組む。ただし、次のLecon の10日間中、2日置き程度の割合で第4日に準じたチェックを行う。従って、常に2つのLecon がオーバーラップする。
この先も記憶のメンテのための方法などあるのだが、話しがややこしくなるので省略する。
「知らない単語を全部リストアップ」という部分が少し説明不足だった。江下のノウハウを細かく紹介してしまう。
現在使用しているテキストは、NSF3である。まずテキスト部分を全てWP入力した。テープ対象以外の部分も含めると、大層な量になる。WP入力したテキストはDTPソフトを使い縦2コラムの様式で出力した。最近は安いプリンタでも出力が美しいので助かる。
次に文章を眺め、知らない単語に赤ペンで下線を引く。引き終ったら、辞書で意味を調べ、出力した紙に書き込む。
ここに一つのポイントがある。書き込む訳語は原則一語、せいぜい二語、ごく例外的な場合に限り三語に留める。自分の記憶力などたかが知れている、この姿勢に徹するならば、一語一訳に徹するべきである。そうなると、当然ながら書き込む訳語は最も代表的な意味に限られる。
文中で用いられている意味が、代表的訳語と異なる場合はどうするか? 代表的訳語と前後の文意から推測できそうであれば、一語一訳で押し通す。推測が厳しそうなら、やむなくその訳語も加える。
さて、覚える方法はこれだけでは終らない。江下はパソコンをフルに利用した記憶方法を提唱したい。単語カードは時代遅れ、などと騒ぐつもりはない。ただ、パソコンという便利な道具を使わない手はない。語学勉強にもいろいろな道具を用いる姿勢を推奨したい。
具体的方法は長くなるので次のメッセージに書く。教訓だけ先に示しておく。
[教 訓]
知らない単語を全部覚えようという姿勢は必ずしも効率的ではない。同様に、多くの訳語を一度に覚えようとしても、それは負担が大きすぎて長続きしない。一日10語覚えて十日で100 語覚えようという方法は、記憶のメカニズムから考えて不適当。一日100 語覚える努力を十日繰り返した方が効率的。これは個人差があるかもしれない。人によっては一日200 語を20日繰り返した方がいいのかもしれない。
記憶保持には記憶のリフレッシュが必要である。継続は力なり。継続しやすい方法がベストである。
語学学校が用いている代表的テキストは、
Nouveau Sans Frontier 1〜4
Espace 1〜3
の2つです。いずれも日本のフランス語学校だけでなく、フランスにある外国人向けの語学学校でも採用されています。無論、この他にも Avec plaisir とか Bienvenu なども用いられておりますが、本科ではNSF やEpace が採用されていますから、本格的な勉強を目指すには必携といえましょう。
出版社は確かNSF がCLE INTERNATIONAL で、ESPACE がHACHETTE だったと思います。いずれも紀伊国屋などで購入できます。テキストの他にも練習問題や教師用アンチョコが別売されています。
最近は Espace を採用する学校が増えつつあるようです。個人的にはNSF の方が実践的でとっつき易いと思います。単語数は Espace の方が多いようです。
巻の数字はレベルに対応しますから、初心者はNSF1またはEspace 1が対象になります。
テキストのテープは初心者こそ必要だと思います。中級以上になったら、多少背伸びをしてでもラジオに耳を傾けたり、朗読テープを聞くなどの応用が効果的です。いずれにしても、場数を踏まないことには上達はありえない(場数を踏んでもいまいち上達できない自分が悲しい (;_;))。
早口のフランス語が徐々に解読できる時の感覚は、何となく雪がとけて地面が見えてくるような気分です。あるいは冷凍したステーキ肉が解凍されるような感じだらふか。
和仏辞典で覚えた単語を使って文章を作る方法は、単語を覚える手段としては正解だと思う。日本語でもあるテーマを使って作文するという方法は、言葉のニュアンスを把握する有効な手段になっている。ただ、別の目的を持った作文では、自ずと話しが異なる。これは了解してもらえると思う。
参考文献の表現を借りるという方法は、実に有効な手段である。外国語で論文を書くとき、まず「真似る」というのは重要な原則である。情報サービス業では「一冊から抜き取ると盗作だが、五冊から抜き取れば創作になる」という格言がある。使える引用文献を探すのも、能力のうちである。
不幸にして自力作文を求められるときは、やはり語彙力が必要である。ではどうやって語彙力をつけるか? 三つの段階があると思う。
(1)とにかく一単語一訳語の原則に従って頭に叩き込む。
(2)仏文に頻繁に接し、叩き込んだ単語をモノにする。
(3)モノにした単語を作文や会話で使う。
ここでは(2)が重要である。江下が実践している方法を公開する。
(1)の方法
NSF3やEspace 3をざっと読んで、知らない単語は全てリストアップして機械的に覚える。以前は並行してテキストも朗読していたが、最近は面倒臭くなったので省略している。でも本当はやった方が効果的である。辞書や単語集を片っ端から覚えるという手もあるが、テキストから調べた単語の方が覚え易いと思われる。これは好みの問題である。
(2)の方法
興味をそそる内容や専門分野の雑誌などを極力眺める。江下の場合、パソコン雑誌、自動車レース雑誌、すけべ本をよく眺める。(1)で叩き込んだ単語に遭遇し、何とか意味がよぎってくれば結構記憶に残る。
単に語彙を単独で覚えるだけでなく、文脈の中で意味を引き出せるようにならなければ、「覚えた」ことにはならない。単語表を見ている時は意味が浮かぶのに、実際のナマの文章では案外と浮かんでこない。人間の記憶など、案外と環境に影響されがちだという証拠である。
(3)の方法
前回書いた通り。
[結 論]
語彙を増やす方法は各人各様だと思う。一番自分のスタイルに合った方法を探すことが大切である。その場合、実際の読解、会話、作文で使えなければ意味がないことを意識しなければならない。「覚える」行為と「用いる」行為とは、常に並行して進めるべきであろう。これが本質であり、その実現手段は個人にあったものを考えればよい。
語彙力が増すにつれて、作文のスピードは急激に加速したようだ。一見当たり前のようであるが、細かく考えてみると興味深い現象もある。
まず第一に、和仏辞典よりも仏和辞典を利用する割合が圧倒的に増えた。単純に考えれば、語彙力が増えれば辞書そのものの利用頻度が減るはずである。ところが、和仏は確かに少なくなったとはいえ(極端な場合、全く使わない)、仏和を引く回数は相当増えた。結果的に、辞書を引用する頻度にはあまり変化がないように思われる。
第二に、最初に書き上げた文章と最終的に仕上げた文章が、全くといっていいほど変わるようになった。実はここにポイントにある。
外国語で文章を書くとき、一番危険なことは知らない単語を用いることであろう。和仏辞典の罠はここにある。どんぴしゃの例文があればともかく、場違いな表現を拾ってしまうリスクは大きい。重要なことは、自分の知っている範囲の語彙で、何とか表現することだと思う。会議室でも再三「1000語知っていれば」ということを指摘したが、まずこの1000語の中で一度文章を組み立てる。この場合、和仏辞典は忘れた単語を思い出す手段であり、仏和は表現のチェックに用いる。いずれも新しい単語を探すものではない。こうしてできた文章は、ネイティブが見なくても稚拙なものだ。大抵の文はjeで始まり、使っている動詞もetreをはじめ、簡単なものばかりということが多い。
これをブラッシュアップするのが同意語辞書やシソーラスである。最近の仏文ワープロには同意語辞書も付属されているため、ほとんど漢字変換と同じ要領で単語を検索・置換できる。一度書き上げた文章全体を眺め、いまいちと思われる部分を置き換える。この時、始めて見る単語は仏和辞典で調べる。それでも不安が残る時は仏仏で調べるが、経験上稀である。大抵は仏和で妥協する。同意語でおさえてあるから、場違いな表現を拾うリスクは少ない。
こうして修正を施すと、結構それらしい文章に仕上がっている。無論、ネイティブ・チェックをかければ真っ赤になる。しかし、自分の限界を見極めておくことも重要であろう。あまり懲り過ぎず、そして謙虚に指摘箇所を覚えておく。場数を踏めば、自ずと便利な表現も覚えられる。
さて、以上は私のノウハウです。「ここは違うんじゃないか」「私はこうしている」というご指摘は大歓迎です。コメントをお待ちします。
ごく個人的な経験から考えると、日本人にとって、フランス語の発音は英語よりも馴れやすいと思います。綴りと音の間が規則的ですし、子音が必ず母音と組み合わされているのなどは、覚えるまでは大変かもしれませんが、案外扱いやすいのではないかと思います。英語の発音で苦しむ人は、いわんやフランス語をや、と思うかもしれませんが、米語より素直な音が多いことは間違いないと思います。ご安心あれ。
とはいえ、ネイティブの域に達することは、英語より難しいかもしれません。あまりに微妙な差が多いですから。このレベルは外国人の後天的学習では到達不能とも言われています。
生活していて痛感することは、一字一字の正確な発音ではなく、文章全体としてのスムーズな流れが重要だということです。そのためには、個々の単語で発音練習もさることながら、まとまった文章を朗読することが重要になります。これは特に中級クラスでの課題でしょう。私はSans Frontier 2 のディアログは全て暗唱できるようになるほど、繰り返し何十回も朗読しました。最初はテキストを読み、ある程度馴れたらテキストを眺めると同時にテープを聴き、テープ速度に合わせて朗読しました。それにも馴れたら今度はテキストなしで朗読に挑戦します。
SF2 のようないいテキストですと、ディアログの暗唱は実会話にも役立ちます。我々はどうあがいたって、暗唱した文章以上にスムーズな表現を実現できません。こういうようにして得た持ち駒の数が、会話力のバロメータだと思うのです。それに、有名な小説の一説や詩などは、暗唱できればちょっと自慢できるでしょう?(^_=)
この方法の弊害を一つ。固有名詞も一緒に覚えてしまうので、思わずそれが口をついてしまう。私は列車の発車時刻を尋ねるとき、ついつい
Quels sont les horaires des trains pour Perpignon?
と言ってしまう。別にPerpignon に行くわけでもないのに。
付け足しですが、意識して区別に気を付けるべき音は、
-in, -an, -on (e.g : cinq-cent-son)
-e, -eu, -ou, -u (e.g : le-leur-loup-lu)
ch-,s- (e.g : chat-sa)
ですかね。早口でやると、案外間違え易いものです。
「r」の発音練習には、うがい、それも水なし(!)のうがいを繰り返すことが、案外と効果的です。要は咽を鳴らす練習ですね。
この際、単に咽だけで鳴らそうとするのではなく、腹から息を出して、その勢いで咽を震わせるようにすると割と簡単に行えます。「r」の発音の基本は咽にある「もう一つの唇」を用いるころですから、腹式呼吸の要領がコツになるようです。
咽を鳴らすことに馴れたら、次は唇の形をあれこれ変えながら鳴らす練習をしてみると良いと思います。同じ「r」音でも前後の発音によって、発音のしやすさが異なるからです。grand と trop では、後者の方が発音しやすくありませんか?
フランス語の「r」音は、厳密に分けると30種類以上の違いがあるそうです。「h」音に似た場合もあれば、巻き舌の音に似た場合もあります。極端な話し、「l」音とほとんど同じこともあるらしい。ある程度馴れてきたと思ったら、無理に咽をぶるぶるさせるのではなく、さりげない音を出すようにする方がよいようです。完璧と思われる「r」音でも、変に強調されるとかえって伝わりにくくなるようです。
さっそく買いたての辞書3冊で調べてみました。これらは意味というよりも、上位概念や共通概念を調べるためのものです。
cretin → bete(Trouver le Mot Juste)
cretin → diminuer , ignorer, sot(Disctionaire des Idees par les Mots)
Sottise - Sot, triple sot ; benet ; beta, cretin, dadais, imbecile, ...
(Thesaurus Larousse)
goitreux → glande(Disctionaire des Idees par les Mots)
Malformation - Bec-de-lievre, bosse, ..., goitre, ...
(Thesaurus Larousse)
これから考えますと、「cretin」は「愚かさ」を上位概念に持ち、「ばか」「けだもの」との共通概念で使われています。「goitreux」は「腫れ物」と同一概念となりますが、「goitre」でシソーラスを引くと、「奇形」を上位概念に持つことがわかる。
これらに相当する日本語は、cretin が「ぱあぷりん」、goiteur が「***」となるでしょうか。そのものずばりの言葉はいずれも放送禁止用語ゆえ....
非常に誤解を受ける言い方かもしれないが、我々には他人の不幸を笑うことによって、自分の幸運を確認しようとすることろがあるように思う。世の中の景気が悪い時ほど、こういう差別用語がことさら流布したのではないだろうか?
カミさんの滞在許可更新と運転免許申請が終わった後、久々にオデオンでお茶してきました。今月は定期を買わないつもりだったので、その後はぷらぷらと散歩しながら家に帰ることにしました。
サン・ミッシェル通りに出たところでジベール・ジョセフにぶつかったので、ちょっと辞書を覗いてきました。そしてら結構新古本の辞書が揃っていたので(さすが新学期間近)、先日話題になったテゾリュス他3冊買ってきました。
THESAURUS, Larousse (300Frs)
Trouver le mot juste, Paule Rouais, Livre de Poche 7939 (46Frs)
Dictionnaire des Idees par les Mots, Robert (126Frs)
この中で結構めっけものと思ったのが、2番目の「Trouver...」です。これにはある単語の同意語だけでなく、名詞の場合はそれを用いるべき動詞も載っています。ポケットサイズなので、かさばらないのがいい。3番目は「Trouver...」とほぼ同じ内容ですが、これは索引が充実しています。両方は必要ないと思いましたが、安かったのでつい買ってしまいました。
近くの外国語辞書コーナーで、クラウンやコンサイスの仏和辞典を見つけて、ちょっと感激。
私が使っている英語の電子辞書ですと、シソーラスを調べたあと、リストの中の単語を選んで辞書で意味を調べることができます。度々登場するアメリカ人元同僚が英文でレポートを作るときも、一度ざっと文章を作ってから、推敲の際にシソーラスを引きながら形を整えていました。
西村さんの訴えは、言語のユーザーとして極めて基本的なニーズではないかと思います。これまでの電子辞書は言語ユーザーにニーズがありながら、内容や機能が学習者向けであった点にギャップがあったように思われます。本来、電子辞書のようなものは、ワープロなどの創造手段と結びついてこそ威力を発揮するものだと思います。
仏文のレポートを書く時など、専門的内容になると和仏があまり役に立たなくなってしまう。用語のギャップが生じるわけです。結果的に、取敢ず知っている単語から仏和辞典や類義語辞典を探索することになってしまう。これは電子辞書の一番得意とする機能のはずです。
昨日泊っていったアメリカ人元同僚の反応が、まさしく「英語をしゃべるのは当然」意識で面白かった。英語の看板が少ないこと、思うように英語が通じないことに、かなりイライラしていたみたい。日本語と中国語は喋れるのに、フランス語やドイツ語が駄目というのも特別でしょうけれど....。
人間の「能力」の研究では「遺伝優位」とする説が主流となっていますので、まず基本的には個人差ば大きいと考えるべきでしょう。一方で「日本人が外国語に弱い」とされる背景には、外国語教育の問題、経済活動の中で相対的に外国語の必要性が低いこと、言語の類似性などが影響していると思うのです。
このような文脈で「外国語」と表現する場合、たいていは印欧語系の言語を指すと思いますが、語彙、構文のいずれも日本語とは大きく異なる。ドイツでは確か初等教育から英語を教えているのでしょう?そりゃ日本人よりうまくなるわな。それに日本では外国語が喋れなくても職にありつけるし。台湾やオランダなんて、マルチリンガルが生活手段でしょう?
最近のジャーナリズムでは、日本の生活洋式があまりにも西欧的になったため、欧米人はしばしば日本がアジアの国であることを忘れてしまう、という点が指摘されています。考えてみれば、この奥には「先進国=西欧文化圏」という極めて傲慢な意識があるように感じますが、現象の説明としてはなるほどと思いました。「日本人は我々と同じ言葉を話し、同じ価値観を有する」と勝手に誤解していたところが、実際会ってみて案外話しが通じない。だから「日本人は外国語ができない」「日本は特殊な国」という反応に至ってしまう。
Synonymes とAnalogues、ほんとどう違うのだか。同意語と類似語ってわけですよね。日本語にしても違いがわからん。(?_?)
シソーラスはギリシャ語の「thesaur」から来ているそうです。プチ・ラルースに出ていました。単語だけ見ると、怪獣か下半身馬のバケ人間を思い浮かべてしまいそう。
フランス語では「テゾリュス」と発音しますが、昔データベースの調査でフランス人と英語で話した特、相手が突然「テゾリュス」を連発するので目が点になったことがあります。その時、シソーラスの「シ」が「th」だとは知らなかったのですね。その「テゾリュス」なるものを紙に書いて貰ったとき、思わず「そうか! シソーラスか!」と日本語で叫んでしまいました。
やはり「最後は英語」だと私メも思うのです。ですからかえって最後の手段で最初から応対しなければならない英語圏を訪れるのが辛い。
私も去年の今ごろは、少しでもフランス語に早く慣れようと、頭の中の言語的思考もフランス語で行ってみました。でも、数字に弱くなりそうだったので、すぐに日本語に戻しました。
私の同僚の一人に6才までロンドンで育った者がおりました。彼はその間英語しか使っていなかったそうで、日本語を全く知らないまま7才の時に東京のごく普通の小学校に編入したそうです。その結果パニック状態になり、日本語を話せるようになる前に英語を話せなくなり、一時期うーうー唸るしかない動物のような状態だった、本人は今では笑話しのように語っておりました。こりゃ極端な例かもしれん。
しっかし、家族でロンドンに滞在していたのに、日本語を話す機会はなかったのかと尋ねたら、「ウチの家庭は会話がなかったからね」。
とある研究によると、完璧に使いこなせる言葉が1000あれば、コミュニケーションに何ら不自由しないそうです。ところが1000の言葉を完璧に使うというのは本当に難しい。例えば、「生じる」という極めて基本的な概念に当て嵌まる言葉が実にケースバイケース。avoir lieu、advenir、se faire等々。
夫々の状況でベストな表現があるはず。仏から和へは辞書で何とかなるけれど、和から仏は体で覚えさせるしかなさそう。最近痛感した例ですと、何か悪いことが「生じる」ときは se produire を用いるようです。
警察で届け出の際、
「それはいつ生じましたか?」
Quand est-ce que ca s'est produit?
クレディ・リヨネで「以前、スリにあった」と言った際、行員曰く、
「もうそのような事が生じないことを願います。」
Je souhaite que ca ne se produise pas.
まったくもって、1,000使いこなすには、10,000は知っていないと基礎にならないような気がしてしまう。
何しろ日本語だけで生活できる国や地域が増えましたからねぇ。これはこれで肯定的に受けとめたいと思うのです。アングロ・サクソンは一民族の言葉を世界語にしてしまったくらいだし。
これこそ場数を踏むしかないやうな気がします。だから、個人的にはいつもいちもラジオを耳にしたり、相手の話のなかでふっと気付くようなことを、極力心に留めておくようにしています。演繹的に分かるものではないので、経験にすがるしかないでしょう。でも、やはり一番重要なのは「指摘してくれる人がいる」ということでしょうか。手痛い失敗も重要でしょうね。
米語でよく言われる例としては、Would your please=お願いだからやめてくれない!ってやつでしょうか。フランス語だと何が例に挙がるだらふ。
この2つのニュアンスの差ですが、私の単刀直入且つ不十分経験準拠一方的独断ですと、
pas encore:経験間近/予定バージン
jamais plus:大分以前経験済み(セカンドバージン)
jamais:永遠の処女と言う感じなのです(しかし、なんちゅう例....)。
つまり、pas encore を使うと、「今までは一度もなかったけど、近々(機会があれば)...したい」というニュアンスに取れてしまう。だから、Depuisの文章で 「ne visite pas encore ...」となると、何となく既に具体的visiterの予定があるといふ感じに聞こえるのです。
そんなわけで、「いやぁ、あの時行ったきりで、その後とんとご無沙汰ですわ(当面予定もないし)」という完結した状況の描写には、jamaisの方がピタリとくるのです。これ、無論私の主観。
では、単に jamais とするとどうか? これだと、非常にネガティブな印象が強い。例えば visiter の場所が禁断の地とかだったら合うのでしょうが。
「麻薬を吸ったことがあるか?」なんて質問に「pas encore」を使いますと、こりゃ「吸う気十分」といふニュアンスですね。「とんでもない!一度も」は「jamais」です。だから、「一度だけあるけど、その後は全くない。今も吸う気は特にない」なら「jamais plus」かな、なんて。
とにかく聴きまくって体に染み込ませるというのが、結局のところ一番効果的だと思いますね。
旅行会話というとこれまた範囲が広くてやや難しい。むしろ、以前話題によく出てきたテキストN.S.F(Nouveau Sans Frontier)の第1、2巻のディアログを暗唱できるくらい聴き、喋る練習を継続する方が効果的であるように思われます。そのためにはまずテキストとテープを求め、テープのディアログに相当する部分を自分で再編集します。
私が一番いいと思う方法は、30分テープの両面に同じ内容を入れることです。これですと、15分のディアログをエンドレスで聴くことになります。ディアログを聴くのと同じスピードでテキストも見ずに話せるようになれば、次の課に進むという風にします。
無論、学校に通った方が、何かときっかけと機会が得られることは間違ないでしょう。まあ結局のところ促成栽培のような便利な方法は存在しませんから、極力フランス行語に接する機会を増やす頭のみでしょうね。
経験的に思っていたのは次のようなこと。
(1)ドイツ人の英語は聞き取り易い。
(2)アメリカ人のフランス語は分かりずらい。
(3)ドイツ人、スラブ系民族はフランス語の発音がスムーズ。
日本語の音はスペイン語に近いという話しもありますね。他方、中国語はフランス語に近いとか、朝鮮語は日本語は近いとか。日本語はドイツ語に近い、と言えば、確かに「日本語のように話すドイツ語」の方が「日本語のように話す英語」よりもネイティブっぽい、と感じたこともありました。
発音しやすさには音以外に母音と子音の組み合わせ構造も関係しそうですね。例えば英語だと母音で完結する単語がないから、日本語だけでなくラテン系言語にも結構四苦八苦するとか。例えば英語圏の人間はまず私の名前を的確に発音できたためしがありません。「えした」が大抵「いーすたー」になってしまいます。ふらやイタスペだと完璧です。
聞き取り能力に関しては、前出の認知学や大脳生理学などの研究によりますと、7才頃までに認知の基本となるシナプスが形成されてしまうそうです。従って、外国語教育は遅くとも7才までに開始しないと、後はいかに努力してもネイティブの域には到達できない。無論、経験を積むことでネイティブ的に振る舞うことは可能だそうですが、三ツ子の魂100 までではでなく、バイリンガルは7才までに、ということですね。
結論から言って、教科書通りの言動をするのが何よりの原則だと思うのです。確かに教科書は無謬ではないし、時流によってミスマッチが起こるのは当然でしょう。しかし、たかだか一個人の積む経験よりも、遥かに多くの英知が凝縮されているのも事実です。明確に否定できる根拠を自分なりに見いだせない限り、先人の知恵に従うのが第一だと思います。
手紙の場合、私は日本語でも比較的格式ばった文語調が好きだということもあるのですが、親しみの中にも格式を尊重する事が大事だと思うのです。特に相手からよっぽど何度も「もっとくだけていいのよ」とでも言われない限り、慎むことが美徳であると思うのです。それに、フランス語は案外この種のプロトコルが豊富ですから、丁寧すぎる方がかえってマッチするのでは?
迷ったときは「許容されない」と判断するのが賢明ではないか、という気がします。個人的意見ですが。
会話を持続させるのは語学力ではなく話題です。これは案外見落としがちなポイントですね。日本語で2時間喋れなくて、どうしてフランス語で2時間喋れるか? とはいえ、大脳生理学の研究によれば、バイリンガルは多かれ少なかれ二重人格を形成するそうなので、日本語では引っ込み思案でもフランス語では雄弁ということも可能ですが....。
数字の記数法に関しては東洋の方が圧倒的に合理的ですから(もともと10進法を用いていたのは東洋圏でございます)、奇妙キテレツなフランス語の数字には私もしばしばうんざりさせられます。一度本当に腹が立って、クラスの連中に「お前達は日頃論理、論理といっているくせに、何であんなバカな記数法を直さないんだ!」と八当たりしたことがあります。
練習としては、鈴木さんの実践されている方法がベストでしょう。反射的に出てくるよう、慣れるしかないと思いますね。ただし一つ注意。あまりフランス語の記数法に慣れると、日常の計算が遅くなってしまうことがあります(経験者談)。ご用心、ご用心。
イメージトレーニングも結構有効だと思いますよ。適当な数字を書いて、それを呟きながら頭の中でアラビア数字をイメージするのです。慣れると例えば
「そわさんとかんず」なんて音が耳に入ったとき、頭に「75」という数字が浮かびますから、把握はしやすくなりますね。
ほんと、「9*10+2」が何で「4*20+12」になるのだらう...。
私が思うに、話す時の間合いやリズムが大きなポイントではないかという気がするのです。無論、発音も大きな要素ではありますが。日常会話の場合は、言語としてどうこういうよりも、反射神経みたいな面があるでしょう?そういうリズムのある人は、やはりちょっと違うと思われるのではないでせうか。町田さんの場合もリズムが彼らを驚かせたようですね。
私自身、この一年間で何が進歩したかというと、どんなことでもどうにかこうにか相手に意志を伝えることが出来るようになったことでしょう。これは語学力ではなくって、完全に場数を踏んだ結果ですね。自分の持ち駒として使える語彙数が1000に達したということでしょう。
多分、本を読むときに辞書を引く回数から判断すると、私の語彙数は数千程度だと思うのです。ちょうど高校3年生の英語くらいでしょうか。ただ、会話の場合、どこまで双方向(日仏、仏日)ランダム・アクセスできるかが問題ですから、この語彙数がそのまま会話力には生きてこない。
とある研究によると、自由に使える語彙数が1000あれば会話には不自由しないそうです。これは言語によらないそうです。日常的にフランス語に接していると、必要となる表現がいやでも染み付いてきます。恐らく、日々怠惰に暮らしながらも持ち駒が1000を越したのでしょう。ただ、文章を書くにはさすがに今のレベルではまだまだまだまだ心もとない。会話でもまだ必要最小限でございますから、あと2、3年はいないとモノになりそうもありまへん。
フランス語に侵入(?)した外来語の複数形も結構不気味(?)な変化をすることがありますね。例えばラテン語であれば「scenario」。コミュニケーションの授業の際、複数形は「scenarios」でも「scenarii」でも構わないと言われました。 とはいえ、経験的に「scenarii」というのは見たことがない。Petit Larousseによれば、「media」 もマスメディアを意味する場合は、複数形が「medias」となっていました。
英語起源の例では、「fast-food」の複数形がフランス語だと「fast-foods」です。「businessman」の複数形はPetit Larousse だと「businessmans」または「businessmen 」となっていました。しかし、コミュニケーションの教授は「businessmans」はおかしいと言っておりました。
英語の「good」でも同じですが、「bon 」は「十分な」というニュアンスが強いですね。実際、翻訳でも「良い」とするより「十分な」と訳す方が適切なケースが多いと思います。「j'ai des bonnes raisons...」なんてのも「そうするに十分な理由が....」だし、ワインを注いで貰うとき、「これで十分!」と言う場合も「C'est bon!」です。だから、「bon pianiste」と表現されていたら、「十分観賞に耐えうる」「十分演奏家として通用する」というニュアンスと考えれば良いと思います。
反対に「良い」という意味を強調するならば、「excellent」や「meilleur」を用いた方が適切でしょう。口語だと単に「C'est genial!」です。
「bon...」は結構便利な表現ですね。「数学が得意だ」なんて場合も、単に「bon mathematician」で通じますし。「-iste」や「-ian」は職業とともに、「....する人」を意味するケースが多いということでしょう。当然、自分の専門を表現する際にも使えます。
(例)「あなたのご専門は?」
「昔は数学でしたが、今ではコンピュータサイエンスです」
- Quelle est votre formation?
- J'etais Mathematician et maintenant je suis informatician.
あっと、ポリーニについてはaucune ideeでございました。
Merde 連発なら驚かれてしまうでしょう。私がやった失敗(?)では、「et pourtant...」とつぶやいたつもりが、周囲には「et putaint...」に聞こえて顰蹙を買った事がありました。つい昨日も、データの入力をしていて、「MR」をちと間延びしたように行ったら、マリー・ピエールから Massa, pourquoi tu as dit "Et merde!"? と聞かれてしまった。
「Satut」と「Salaud」も時々間違えそうになります。
無難な悪態は「Zut!」だけみたいですね。やはりマリー・ピエールに「merde」と「putaint」のどっちがマシか聞いてみたら、「merdeの方がマシ」ですって。彼女もしばしば「Merde!」と叫びます。
グランゼコールのコミュニケーションの授業も、結構似たようなもんではないかなって気がしますね。演習問題なんかまさしく「ランデヴーを取る手紙」「短い新聞記事を2つ」書いてきなさい...それだけでございました。
私は商売柄、レポート、雑誌論文や投稿の類は年間1,000頁以上書いておりまして(典型的粗製乱造)、ある程度モノを言う資格があると思います。これまでの経験から、日本の学生はピントがはっきりしない、フランスの学生はつまらないことをクドクド書き過ぎるという傾向があるように思います。何だか日本料理とフランス料理の違いのようです。
商業文でも日本はアメリカに比べて決まり文句が多いように思われますが、フランスなどは日本に輪を書けて定型的パターンが多く、芝居がかったような感じさえ受けます。これも時代と共に築かれたプロトコルなのでしょう。慣れようと思えば本当に場数を踏むしかないですね。
論文や発表で文章を作るのは非常に困難な作業ですが、一つだけちょっとした逃げ道がある。それは図表を多用することです。概してフランス人の書くものに図表は少ない、あってもえらくセンスがない。ただ最近はマックなどが普及してきたおかげで図表を好むようになりつつあるらしく、要所要所を図表でカバーするのは有効な手段だと思います。
私、プレゼンをする時も黒板に図を書きまくります。無論、OHPも図や個条書きで満載させておきますが、それに輪をかけて図の書きまくり。ひょっとして、発表中に喋っている言葉って「Comme ca」「Voila」くらいではないかと思うこともある。
プレゼンの際は数字の連発も有効。なにせフランス語の不気味な数字のせいで(?)、連中はえらく数字に弱い。有効数字一桁で構わないから数字を連発することは、連中の煩い質問を封じる決定打でございますぞ。
「voie」とは文字通り「車線」という意味です(文字通りというのは、voieの本来の意味は「道」ですから、この場合、電車の通る「道」という意味になります)。またTomokoの前の「C」はvoieにくっついて、日本人には違和感がありますが「C番線」という意味になります。
ちなみに、ホームに相当するのが「quai(岸)」です。大きな駅であれば「quai」にも「voie」にも番号やアルファベットが付いています。日本だと何番線、すなわち「voie」しか引用されませんから、この辺は我々にはちと紛らわしいかもしれませんね。
ホームへの道筋を表す標識は「Acces au quai」、またラッシュアワーの際、「白線の内側までお下り下さい」に相当するのが「Veuillez degager le borddu quai」ですから、一般的には「quai」の方を多く見聞きします。「Acces auquai」を辿ってホームに出ると、ちょうど鉄軌道を指して「voie C」などと表示されています。車線別の行く先表示にも当然「voie C」などと表示されています。
手紙の書き方はかなり違うと言って良いでしょう。以前コミュニケーションの授業で依頼文の演習がありまして、アメリカン・スタイルで(これは昔会社で使っていたフォームがあったので)手紙を作って課題を提出したことがありました。そうしたら、「このような形式だと内容は分かるがあまり良い印象を与えず、結局目的を果せない可能性がある」と指摘されました。フランスにはフランスのスタイルがあるということです。
結局、話しの切込方とか展開、そして無論表現にもフランス独特の「常識」があるため、「手紙が自由に書ければ立派」ということになるでしょう。これは日本語も同じで、「手紙」を書くという行為はコミュニケーションでも最も難しい部類でしょう。実際、会社でもきっちりしたビジネスレターを書ける人は少ない。コミュニケーションの見地からすると、「手紙」は極めて儀礼性の強いメディアですから。
反対に、手紙の書き方を教えるというのは、恐らくフランス語、あるいはフランス文化圏固有のテクニックを教えると考えていいような気がします。商業系グランゼコールだとこのようなことを授業できっちり教えています。
まあ、間違いなく言えることは、「手紙」にはかなり文化的背景が反映され、万国で一番共通していないことの一つのように思うのです。実際、翻訳の仕事をしていて一番たいへんなのは手紙、それも独特のレトリックに満ちた役所の手紙ですね。「拝啓、時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。貴下におかれましては云々」なんて、逐語訳しても無意味でしょう?
講座だけを受けて1年でMemoireを書けるようになる、というのはかなり厳しいような気がします。商業系グランゼコールでもMemoireの書き方は指導されますが、これは書き方を教えるというよりも、書く時の注意事項を教えるという感じ。個人的感想としては、この辺の注意事項はそれこそ万国共通という気がします。まあlisibiliteは各国語それぞれですが。
実際にMemoireを書くとなると、常日頃から専門書になるべく目を通し、専門分野に応じたレトリックを覚えるなど、場数を踏んでいかないとどうしようもないように思います。だから講座だけに頼ってMemoireを書く文章力をつけるというのは基本的に無理があると思いますよ。かく言う私も秋までにMemoire
(指定枚数70頁)を書かにゃならんのですが、逐次友人に添削してもらわざると得ない。これはドイツ人をはじめ留学生共通の宿命。
ごくごく単純に、
-
お名前頂戴できますか? :Votre nom (et prenom), S.V.P?
旧姓を頂戴できますか? :Votre nom de jeune fille, S.V.P?
お電話番号頂戴できますか?:Votre numero, S.V.P?
ご住所頂戴できますか? :Votre domicile, S.V.P?
身分証明書をご提示頂けますか?:Votre piece d'identite, S.V.P?
-
なんて思ってしまうのでございます。ちと日本では通用しないものに、
-
Votre NSS, S.V.P?(NSS : Numero de Securite Sociale)
社会保証番号を頂戴できますか。
-
というのもあります。欧米では統一された社会保証番号があり、それが悪く言えば国民背番号、実利的に言えば身分保証の証として利用できる。日本でも数年後には統一番号が出来るでしょうから、いずれ同じように身分保証として使う状況が訪れるでしょう。「L'ecume des jours」風の尋ね方として、次のようなのはいかがです?
-
J'ai l'honneur de solliciter de votre autorisation de me mettre en situation de connaitre votre nom...
アリアンスに通っていた頃、イタリア人やスペイン人の辞書を覗いて本当に左右同じ単語が並んでいたのに茫然。私、上級のクラスに編入させられてしまったので、語彙力の差を歴然と思い知らされました。因みに、中級以上のクラスで日本人は概して「中の下」くらいのレベルだそうですが、テストをやると途端に「上の中」になるらしい。これは語彙力の影響だそうです。テストだとある程度限定された語彙の世界ですから、ここでは日本人の知識の正確さが優位になるらしい。
アリアンスは入学時にペーパーテストでレベル分けをするのですが、ここでもたいてい日本人は好成績を収めるらしい。だから、いざ授業がスタートすると、周囲の会話スピードについて行けないケースも多いそうです。反対に、日本人生徒から見ると、「何でこんなに喋れる人が初級なのぉ?」ってケースも多々あるとか。ところが試験で紙に書くという段になると、スペルは目茶苦茶、活用も出鱈目とあって、「やっぱりこの人も初級なんだ」と納得とか。
どうもこの辺は、同じ印欧語の民族が言葉を自国語との類似性に基づいて感覚的に覚えたり、あるいはまず耳で覚えるのに対し、我々は知識として覚えざるをえない、という違いがあるような気がするのです。私の教師が語っていたことには、ネイティブ並みに喋れるくせに書かせるとダメというタイプはスペイン、ポルトガル系に多い、反対に、たいして喋れないけれど知識は正確というタイプは日本人や韓国人に多い由。
ところで、イタリア人の友人はフランス語はそれほど難しくないと言っていましたが、フランス人の友人はイタリア語は難しいと言っておりました(複数の証言あり)。これは言語の問題なのか、それとも国民性の問題なのか、何て思わず悩んでしまった。
鼻母音の特訓はアリアンスの夏期集中講座でも特訓させられました。その時間が終わった後、とにかく頬がひくひくと筋肉痛を起こしていたことを覚えています。方法は簡単で、次の数字をひたすら読む。
105、505、150、550、155、555、...以下繰り返し
あとは、「intention」だの「on」の混じった例文の絶叫です。ソルボンヌのテキストにかような特訓用例文が揃っているそうです。
コミュニケーションの先生によりますと、東洋人は唇の動きが少なすぎるとのこと。確かに唇を積極的に使うと-inや-anの区別は案外スムーズに出来るみたいな気がします。鼻母音なのに唇を気を付ける、というのは盲点かもしれませんね。また、腹式呼吸を意識して積極的に息を利用することで、発音が楽になるようです。こうなると、「健康のためのフランス語」ですね。
ついでながら、「こりゃ見事!」「やった!」の口語的表現としては、
Ca, c'est ingenieux!
がよく使われます。ですから、冒頭の部分は口語的表現では、
Tu vois ce que je veux dire? Ca, c'est ingeniuex!
というような感じになります。 C'est marrant?
「江戸っ子」はフランス語で何と表現するか? 今日のFIGAROのスポーツ面に、
..., qui devrait attirer des milliers de Tokyoites ...
-
なんぞと出ておりました(出所:FIGARO大学版13頁)。
同じ質問をThomasにしたところ、彼は笑ながら「Tokais」と答えた。むろん、これは同音語「toque:頭のおかしい」に引っ掛けたジョークであります。この手の引っ掛けで有名なものには英語の「kinky:((英俗))変な」がございます。かつて私のアメリカ人同僚がTVの天気予報で初めて「近畿地方」と耳にしたとき、思わず大爆笑してしまったそうです。「近畿*本ツーリスト」も同様だったそうですが、この会社、ロンドン支社などでもやっぱり「Kinki...」なのだらうか。
Communication ecrite の教師曰く、「comprendreは左脳、entendreは右脳」だとか。本当だろうか? 実は私も「entendre」とは聞いて理解、という程度に思っておりました。
実例としてどういう差が生じるか? 昨日たまたまCOINTOT に指摘された例でなかなか興味深いものがあったので、やや古いネタではありあすがアップします。
ある料理を前にして。
.
(1)Je ne sais pas cette cuisine.
(2)Je ne connais pas cette cuisine.
.
(1)だと「この料理の作り方を知らない」という意味になる由。単に料理の名前を知らないのであれば、(2)の表現となる。だから、(1)の表現の背後には「Je n'ai pas encore appris...」というニュアンスがあるのだ、と。
Marie-Pは現在日本語の勉強をしておりまして、私が「日本語には女言葉といふのがあって、丁寧な表現として男女共通で使うこともできるけど、男が使うと場合によってはヲカマだと思われることがある。」と言ったら、「フランス語でもそうよ。」とのことでした。機会があったら具体例を聞いてみましょう。
やはり今日のMarie-Pierreとの会話で生じたOui-Non関連現象。
Massa : ..., c'est pas suffisant!
Marie : Oui, c'est insuffisant.
一瞬、意表をつかれた感じがしてしまいました。
今回は完璧に「をたくバージョン」となってしまいました。技術的にもサービス分野でもかなり専門的な領域まで含まれています。フランス語に対応させている内容は日英ごっちゃです。このレベルになると英語をそのまま日本語化させている例が多いので、なるべく併記するようにしました。
続きを読む "Lexique de telematique" »
なるものに行ってきました。主催はInternational Businesse Communications Council というところ、他に日本大使館、朝日新聞、フランス教育省等が後援しています。内容は、1:日本語スピーチ、2:日本に関する作文、3:日本をテーマにしたスピーチの3部です。2は高校生、3はグランゼコールの学生が行い、1のみが日本語、2、3はフランス語で行われました。 第1部のスピーチのテーマは次の通り(順序は発言順)。
第2部は最終選考で選ばれた上位3人の発表でした。予めテーマが3つ与えられ、各テーマのトップによるコンテストという形でした。テーマは日本社会、日本経済、日本語・日本文学です。まあ、私はこう思う、というのではなく、こういう事実がある、ということをまとめたという内容でした。 第3部は日本の企業行動を勉強したり、日本での企業研修経験のあるGE学生によるスピーチで、ここにはそれなりの主張がありました。ただ、個人的にはそれほど目新しい視点は感じられず、皆それなりの視点でそれなりに主張しているなという感想を持ちました。 テーマは次の通りです(発表順)。括弧内は私のコメントです。
|
Lexique d'Informatiqueの番外編です。因みに、Ethernetは「えてるねっと」と発音されるので、なんだかすぐに情報が蒸発してしまいそうな錯覚に陥ってしまいます。
続きを読む "Lexique de telematique" »
元旦といへば、横浜の実家の近くにある洲崎神社で初詣というのが毎年の恒例であった。場所は横浜駅から京浜急行の各駅停車で一駅川崎寄りに進み、そこから宮前商店街を下ったところである。因みにこの商店街通りは旧東海道。駅の近くにある寺は、明治維新当時にフランス領事館のあったところでもある。反対側の台町の坂を昇った所は広重の東海道五十三次にも描かれた神奈川の宿で、浮世絵の左隅に描かれていた田中屋といふ旅館は今も営業している。という話とは全く関係なく、情報処理用語「E-F」をお届けします。
続きを読む "Lexique d'Informatique E-F" »
京子食品で買った年越しそばを食してから、Marie-Pierre宅にて新年を迎えることとなった。
年が変わると同時にシャンペンを明け、まず乾杯である。「Bonne annee 」とか「Meilleurs voeux pour la nouvelle annee」等と月並みの音頭に混じって、「新年おめでたう」とか「新年好」も唱和。外ではクラクションを鳴らしまくる車、クラッカーを鳴らす通行者、そしてベランダから「Bonne annee!」と絶叫するおっさん達など様々であった。
年末年始にかけて、TF1で「クレイジーホース」の生中継があった。M-P.らと共にしばしTVでライブショーの観賞である。クレイジーホースのライブと言へば、当然スッポンポン。あそこの毛までTVに映してしまうおおらかさにしばし感動してしまった。
で、新年早々宿題を一つやって参りました。
(1)..., qui se voit par la fenetre.
(2)..., qui se voit de la fenetre.
(3)..., qu'on voit par la fenetre.
まず、3つの表現ともに全くおかしくはなく、ごく普通の表現として使えるのではないかとのことです。ただ、「par la fenetre」というとかなり積極的な行動を想起してしまう由で、「voir」程度であれば、むしろ「de la fenetre 」の方がより自然であろう、窓から身を乗り出して見るのなら兎も角、開いている窓から眺める程度なら、といふわけです。
また、再帰代名詞で表現するか、人を主語に立てるかは、前後の文章での文体に依存するとのことで、どちらも抵抗はない。ただし、一般に会話で使うなら、「on voit 」の方がより自然であろうとのことです。
総合的に判断すると、一般会話で一番自然と思われる表現は、
..., qu'on voit de la fenetre.
といふことでありました。再帰代名詞下での「par la fenetre」については、「se voir」=「etre vu」と自動的に解されるので、特におかしいといふ感覚はないさうです。すなわち、「qui se voit 」と表現される場合、「qui 」は感覚的に能動態の目的語として解されるらしいので、そのため視線移動の違和感がないのださうです。
以上、一フランス人の意見です。念のため。
anglais | francais |
---|---|
to damp | amortir |
data acquisition | saisie des donnees |
data bank | banque de donnees |
data carrier store | memoire a support amovible |
data entry | saisie |
data flow chart | organigramme des donnes |
data processing | traitement des donnes |
dead end | bout mort |
deadlock | situation bloquante |
debugging | mise au point |
decimal digit | chiffre decimal |
decimal point | signe decimal(virgule decimal) |
default | defaut |
default value | valeur implicite(par defaut) |
default option | option implicite |
delay | retard |
to delete | effacer, supprimer |
delimiter | separateur, repere |
delivery | remise |
to design | projeter, construire |
design review | examen de projet |
detail file | fichier mouvement |
device | dispositif, mecanisme |
dial | cadran |
die cast | coule sous pression |
digit pulse | impulsion d'information |
digitizer | convertisseur analogique-numerique |
directory | repertoire |
to disassemble | demonter |
disk array | unite de disques |
to display | afficher |
display terminal unit | terminal a ecran de visualisation |
docuent handler | lecteur de documents |
drawing | dessin, plan |
to drop out | retomber |
dummy instruction | instruction fictive |
to dump | vider, decharger |
dynamic access | acces mixte |
前に少し話題となった「イギリスではフランス語が公用語云々」ですが、よく見たらNSF3にそのエピソードが載っておりました。Unite 2. Lecon 1の中で、68頁に「La Francophone」と題する短い記事があります。その冒頭部分に15世紀までイギリスではラテン語とフランス語で法律が布告されたこと、それに対しフランスではラテン語が公用語として用いられていたこと等が解説されています。
以前、仕事の関係で三修社の前田社長に取材に伺ったことがあります。氏は「日本人が(英語以外の)外国語を学習するときは、英語を緒にするのが最も合理的なはずだ。」という信念をお持ちでした。ですから、三修社版の辞書は概ね英語がワンクッション入っていると考えて間違いないでせう。
私もデータディスクマンを買おうかどうか相当迷いました。今でもちと迷っているところです。コンセプト自体は気に入っているのですが、実物をいじったり、カタログを詳細に検討するうち、
・一充電当たりの操作可能時間が短すぎる。
・日←→仏、日←→英、仏←→英を全てダイレクトで検索できるソフトがない。
・表示画面があまりにも辞書イメージそのままで、あのサイズの液晶画面では見ずらい。
等の問題が気になりました。それが購入を躊躇させたのです。
操作時間について、私は学校に持ち込むイメージがありましたので、最低5時間は耐えてくれないと困る。これは半導体レーザを使うCDにはちと無理かもしれない。フラッシュメモリーに期待するしかないかも。
残りの2つはソフトの問題ですが、これはあくまで使う以前の懸念にすぎないので、既にご利用されている方は是非ともご意見を伺いたいところです。
思わずロベールを調べてしまった。
「se voir」については、受動的表現として「pouvoir etre vu」がございました。
「voir」そのものには確かに「目に映る」というニュアンスがございますので、再帰動詞形にすると「見えるようになる」となる可能性は否定できませぬ。これはちとあたくしには判断ききれませぬが、「se voir」が自然なような気がしてしまうのです。まあ、窓に目をやるとその建物が「目に映る」と考えればいいやうに思えますが、ううん...。
「se trouver」は確かに変な感じですね。ただ、「on trouve」でも実はちと抵抗を感じるのでございます。「trouver」だと「発見する」「見つける」というニュアンスがございますから、かえって「se voir」より積極的な意味になってしまいませぬか? 単に「regarder」でもいいやうな気もするけれど、これもちと抵抗を感じてしまうのでございまする。
またMarie-Pierreにヘルプせねば。
(1)「月」の変則
1月の「janvier 」から6月の「juin」まではローマ神話に出てくる神様の名前です。1月はJanus :ヤーヌス(門戸の神)、3月はMars:マルス(軍神)、6月はJuno:ユノー(ギ名ヘラかな?)だと思ったけれど、後はいまいち不明。
7月はユリウス・カエサル、8月はアウグストゥス(オクタビアヌス)が割り込んだため、以降数字が2つズレてしまいました。だから、Sept(7)が9月、Octa(8)が10月、Nona(9)が11月、Deca(10)が12月を表す。
歴史の本によりますと、7月をカエサルの月に決めたのは紀元前44年のこと。当時、ローマ共和国ではユリウス暦を用いていたので、一年は365 日で4年に1度の閏年まで定められておりました。ユリウス暦が定められたのが紀元前45年、これが現在のグレゴリー暦となったのが1582年です。
(2)comprendsとcompris
「je comprens」と「j'ai compris.」は同じニュアンスだと思うのですが。複合過去は基本的に過去の事象が現在まで影響を継続させているニュアンスがありますから、「j'ai compris」は「理解した。今も理解している。」となるのでせう。普段は「j'ai compris」をよく使う。
なお、相手の言うことに同意を示す意であれば「je suis d'accord」、だから「みんなオレの言うこと分かるだろ(同意してくれるよな)?」という場合は極めて日常的に「On est d'accord?」といいます。
(3)voudraisとveux
英語の「would like」と全く同様です。vouloir はそのままだと「したい!」ですから、表現としては幼い印象を与えるそうです。
「j'aimerais ...」という表現もしばしば用います。「知りたい」「買いたい」なんて表現はだから「j'aimerais savoir...」「j'aimerais acheter...」もしばしば用いられる。
「当たりくじ」なら「je veux 」でもええんでないですか?ただ、「願望」のニュアンスがあるときは「souhaiter 」の方がよく用いられているような気がします。細かい違いは分かりませんが。ビジネスレターで「おめにかかりたい」と表現するときは「je souhaiter... 」だそうです。
ところで、「宝くじ」=「多空くじ」、「LOTO」=「徒労」...。
なお、英語の-erがフランス語の-reになったのではなく、フランス語の単語が英語に導入された際、-reが-erになったらしい。同様な現象は-oir(e) で終わる名詞が-oryに、-iteが-ityに、-eurが-orに化けるところでも見られる。
たまたま今日の「Communication ecrite」の授業で出てきたテーマです。
「Les 6 regles de George Orwell」なるものがありましたので、その概略をご紹介いたします。
.
R1:N'employez jamais un mot long!
R2:Rayer un mot, si possible!
R3:N'employez jamais la voix passive!
R4:N'utilisez jamais un cliche, une image, une expression!
R5:N'utilisez jamais un mot etranger, savant, ou de jargon!
R6:Brizez les "regles" dans d'interet du lecteur!
.
いずれも、「可能ならば」のただし書きつきですからね。
ちなみに、単語の数やら音節の数などにいろいろな係数を掛けて、何やら「読み易さ」指数なるものを計算する方法も載っていました。他の言語にもあるのでせうか?
「NRJ」というのもあるそうです。他にもいくつかあるかもしれないということなので、判明次第アップします。
NRJ=energie
久々の情報処理用語講座です。最近はストが多発しているため、関連授業から3週間もご無沙汰してしまっています。そのためここにご紹介するネタは全て以前明かしたタネ本から拾ったものばかりとなってしまいました。順序は英→仏です。
続きを読む "Lexique Anglais-Francais B-C" »
データベース論の授業にて...
今日のテーマはオブジェクト指向(Objet Oriente)データベースでした。
エジプト人留学生Karimが特に意味もなく黒板に、"Maitriser son objet", c'est "Maitriser sa femme".と書きました。この場合の"son objet" とは当然ナニのことであります。
教授がそれを見て次の様に修正。
"Maitriser son objet", c'est "Maitriser ses femmes".
さらにThomasが曰く、
"Maitriser son objet", c'est "Maitriser les femmes".
けっこう冠詞に絡んだ文法的ジョークでありました。
日本ではくしゃみをすると、「誰かが噂している...」などと呟いたり、呟かれたりします。フランス語でも実は似たような応酬がある。そのパターンは以下の通り。
誰か:くしょん!
隣人:Tes amours!
誰か:Les tiennes!
どこかで愛人たちが...なんてところがいかにもフランス的のような感じがしました。因みに名詞「amour」は単数形は男性名詞ですが、複数にすると女性名詞になります。だから、「les tiennes」となるのに注意!
昨日、恋多き女性Christineがくしゃみをすると、すかさずThomasが「Tesamours!」、即座に私が「Christine, t'as trop d'amours...」とつぶやくと、一瞬にして爆笑が生じてしまった。
秋学期のコミュニケーションの授業では、「文書の書き方」がテーマになっています。今日の授業ではビジネス文書についての書き方が課題に挙がっておりましたゆえ、成果をいくつか報告致します。
1 QQOQC et PC
これは英語の5W1Hと同じ。TPOを踏まえねばならないのはどの言語でも当然。文書を整理して書くときの基本です。5W1Hのフランス語式表現は、
Q:Qui suis-je? a qui?
Q:Quoi? Je veux dire quoi?
O:Ou?
Q:Quand? Ca se passe quand?
Q:Comment?
PC:Pourqoui j'ai ecrit? Pour faire quoi? et Combien?。
2 F.O.R
これは文書を書く時明確にすべき態度、立場を表すキーワードです。
F:les faitsなのか?
O:les opinionsなのか?
R:les recommandationsなのか?。
3.e.S.P.R.I.t
日本語の「起承転結」に相当すると思われる心得です。一まとまりの文書を構成するときの順序とでも言うべきものです。
e:entree en matiere 気のきいたタイトルを
S:Situation (poser la situation)
P:Probleme (une foie poser la situation, poser le probleme)
R:Resolution de principe (on ira detailler.) 手短に
I:Informations completes. それなりに長く
t:terminaison (conclusion)
最初のeと最後のtはとってつけたようなものだそうです。
4.その他
一つの文章の語数は標準的教育レベルの人を対象とするなら15から20くらいが限度、相当教育レベルの高い人でも25が限度だそうです。それ以上は長すぎるので、ポワンで切るようにすべきだとのことです。
「;」や「:」の原則も習いましたので、それはまたいずれ。
avenue、rue、boulevard、route等の違いについて。
「avenue」は「大きな並木道」という雰囲気で、感じとしては大体4車線以上の通りでしょう。ですから、東京の大きな道には大抵並木があるので、ほとんど「Ave.」になるのではないでせうか。
「boulevard」は「avenue」と同じようなニュアンスですが、「boulevard」とあれば昔そこに城壁があった所なので、日本では該当する通りはまずないと思います。
「rue 」というとまさしく「路」ですから、それほど大きくない通りならすべからく「rue」。また、大きな道でも並木がなければ「rue」。実際、ルーブルの沿いの「Rue de Rivoli」なんて大きな通りです。
「route」となると「街道」、都市と都市を結ぶ道ならみな「route」です。ですから、「Hongo-dori ave.」とあればあるカルチエの中の並木路、「route 246」とあれば複数の都市を結ぶ幹線というイメージになりますね。フランスでも「国道」という表現は「route nationale」です。
その他、川沿いの道だと「quai」という表現も使います。パリなら「quai d'Orsay」「quai des Tuilerie」などがあります。皆セーヌ川沿いです。
これらの道を総称するときは「voie」、また、漠然と「道」というイメージや「順路」を意味するとき、山道や田舎道などをイメージするときは「Chemin」です。
.
(蛇足1)
駅のプラットホームは「quai」、そして各プラットホームの車線が「voie」です。従って、大きな駅だと「quai A」の「voie 1」なんて表示になります。日本だと「voie」しか存在しないので、ちょっと注意が必要でしょう。
(蛇足2)
工事中の場所で日本で「歩行者用通路」なんて標識が出るような例では、単に「Pietons:歩行者」と表示されます。車用であれば「chaussee:車道」。
(蛇足3)
Parisの道路図としてはPolice Nationale発効の「Paris : ArrondissementSens Uniques」が最も詳しく、住民の必携になっています。これにはパリ市内の全通りが記載されており(例え10mしかなくても)、通り名の索引もついています。
情報処理用語講座の落ち穂拾いです。今回からは某メーカーの資料を元に、今まで出てこなかった用語をAから順々にご紹介致します。今回はスタートなので「A」ですが、これまでと違って、動詞や形容詞などがかなり含まれておりますのでご注意!(あれ?今回はなかったかな?)形式は「英>仏」です。
|
確かに英語を用いる例が多いですね。 ただ、我々外国人が頭を抱えてしまうのが、単語は英語でも発音はフランス語風なので、かえってわかりずらいということです。 さすがに「だぁたぁばーず」はすぐ分かりましたが、「てぞぉりゅ」なんて考えこんじゃいました。 今回は少ないですけれどAI関連用語をご紹介します。
前回ご指摘の「photostyle : light pen」ですが、原本のミスプリかもしれません。機会を見て確認してみます。 |
フランスの語学学校でも、日本と同様第3巻がNIVEAU SUPERIEURです(テキストはEspace、でもNSFでも同様)。ちなみにそれより上のレベルはというと、例えばアリアンスの場合は通訳の養成や、外国人のフランス語教師養成コースとなっています。ですから、フランス語で直接食っていく人以外なら、取敢ずDELF A6が最高峰と考えても宜しいのではないでせうか?
大学で要求しているレベルも実際はNIVEAU 3みたいです。DALFがあればどうのという建前はありますが、最低レベルがNIVEAU 2とされており、現実に2巻修了レベルで留学しちゃっている人もいます。勿論入学後は物凄いハンディを負います。
フランス語力は政府などが要求する建前と、現場の対応が大幅に異なります。特にGEは入学後に語学力をつければいいとする所が増えています。何しろ彼らは日本人留学生がほしいので、今は有利な時期ですね。私も実は英語での面接をただ一度受けただけでした。
しかし、Kさんのレポートを見ると、私が受けても絶対に合格できなさそうで、少し青くなってしまいました。これ本音。自分の語学力など、単に場数と専門用語に支えられているのだと痛感させられました。
Iさんがよだれどころか鼻血を出しそうなパンフレットが見つかりました。題して
"Glossaire des Termes Officiels de l'Informatique"(Delegation Generale a la Langue Francaise) 発効しているのはオカミであります。1989年の第二版が手に入りました。今まで掲載しなかった用語52を一挙にお知らせします。全て仏>>英です。ちと長いので、興味のない方は読み飛ばしあれ。
(*)「informatique」はフランス独特の用語ですが、名詞ではEDP。 他に、Bull編集の「Lexique Anglais-Francais de l'Informatique」なんていうのもありまして、これで#984(きのしたさん)ご指摘の用語を調べると、以下のような対応になります。なお、ワークステーションはいずれのパンフにも載っていません(本来これはゼロックス用語ではなかったかな?以前、 Path → chemin String →suite, enchainement Magnetic tape → bande magnetique bit → element, chiffre, position binaire ただし、単位「bit」は前掲のようにフランス語でも「bit」です。 決定版を出してしまったので、次回以降は人工知能関連用語ほか、落ち穂拾いを細々と続けてみたいと思います。 |
「50 Million de Consommateurs」という雑誌をご存じでしょうか? これはInstitut Nationale de la Consommasionが発効している雑誌で、いろいろな消費財、サービスの比較レポートが月刊誌として販売されています。節税の方法や技術的な解説記事まであり、中々面白い雑誌だと思います。
月刊誌以外にNumero Pratiqueという別冊も出版されているのですが、92年9月号が「160 Lettres pour regler vos litiges」という特集で、保険会社へのクレームとか、税金延納の依頼文など、フランスでの日常生活で消費者が企業に送る手紙の書式が160通り収録されています。
この雑誌は日本でも入手できるので、興味のある方は丸善とか紀伊国屋などに問い合わせてみて下さい。別冊は1部40Fです。
幸いにしてまだネタは尽きませんでした。今日の授業で出てきた用語を中心にご報告致します。
*E.A.O : Enseignement Assiste par Ordinateur C.A.O : Conception -- C.F.A.O : Conception et Fabrication -- なお、「directory」を意味する用語が「catalogue」以外にもあったと思いますが、ちと失念してしまいました。また、ノンストップ・コンピュータは確かタンデムの宣伝文句であり、一般的には「フォールト・トレラント・コンピュータ」であったと思います。フランス語はそれを単純に直訳しただけです。 |
ついでながら、若い連中の会話だと、後に続く動詞によっては「je」が限りなく「シュ」や「ジ」に近づきつつあるようです。元々「e」音は弱い音ですから、はっきり「ジュ」とやるよりも、極力ソフトに表現したほうがよいようです。例えば、「s」や「f」が続く次のような例が当て嵌まります。
ただし、これはあくまで若い連中の言葉使いですから。
je sais pas. 「(ジ)セパ」
je fais rien. 「(シュ)フェリアン」
je suis alle ...「(ジ)スイアレ...」「(ズ)スイアレ...」
あと便利な表現を一つ。「こういうやつ」ってな感じの表現を身振りを交えてするとき「comme ca」を使いますが、「un truc comme ca」何て言い方もよくします。「truc」には「要領」とか「あれ」なんて意味が辞書に載っておりますが、これが実に便利な名詞で、「あれをこうしてさぁ」なんて会話にはぴったりくる名詞であります。
挨拶などで実際に、といろいろ書いたわけですが、いささか反省していることがあります。
教科書に載っている表現は最も基本的な形であり、私が「あまり使わない、実際はこうだ」というのは、フランス、特にパリにおいて極めて日常的な生活場面を想定してのことです。ですから、現実に全く使われていない表現ばかりを教科書は教えているのだ、と思ってしまった人がいたとしたら、これは私の不十分な表現による誤解です。
実際、サン・フロンチエールをはじめ、フランス語の教科書はかなりよく練られていると思います。少なくとも旅行など趣味の範囲で接する限り、教科書の表現がスタンダードであることは間違いありません。例えて言えば、教科書には「おはようございます」と書いてあっても、日常生活場面では「おはよ!」しか使わない、ということであるわけです。でも、旅行者であればやはり「おはようございます」を使うほうが賢明ですよね?表現の基礎としても「おはようございます」でしょう。
サン・フロンチエールの1巻、2巻のディアログは極めて実用的であり、それらの表現を覚えていれば、少なくとも日常生活に不自由は感じないといえるでしょう。
まだネタが尽きなかったので、その2をお届け致します。なお、和英ないし仏英はほとんど同じ内容なので、今回は英を省略しました。
さて、前回のお問い合わせに対するお応えと一部訂正があります。 >byteとoctet octetは8bitsの意味であり、厳密には「byte」の代わりに「octet」を用いているわけではありません。結果として、フランスでは「byte」という言葉を(公式には)取り入れていないということです。(1byte=8bitsというのはANSIで決められていませんでした?) >fichierとdossier これは私の一方的勘違いで、「dossier」を「ファイル」の意味で用いることは情報処理の世界ではありません。従って、次のように訂正いたします。 fichier(仏) file(英) ファイル(日) Datasetというのはあまりに*BM的でしたね。 ちなみに、MacOSではフォルダーのことを「dossier」としています。 なお、このシリーズ(?)で示している単語の情報源は私が受けている授業であり、大本は工学系GEの教授です。 |
>Bonjour. Bon soir. Bon apres-midi.
日が出ているうちはBonjour. だから6月だとほとんど1日Bonjour. で終わってしまう。Bon soir. との区分けは晩メシ時か否かを基準にするのがいいみたいです。なお、Bon soir. は「さよなら」としても良く使われます。Bon apres-midi.は完全に「さよなら」の意味です。週末前ならBon week-end.、課題がたくさんだされた週などは、「Bon week-end et bon travail!」何て言ったりします。
>Bonne journee. Bonne soiree.
「さよなら」の意味を明確にする時は女性形を使います。買い物などをした時、きさくな店員が帰り際によく「Bonne journee, Madame!」とか言います。
>Au revoir. A bientot.
Au revoir.って、文字通りだと「再び会いましょう」ですけれど、ニュアンスとしては「それでは失礼します」というのが一番近いような気がします。フォーマルな場とか友人以外との電話などではやはり圧倒的に「Au revoir!」です。店の店員も「Au revoir.」が一般的です。先生に対してもAu revoir. あるいはせいぜいBonne soiree/journee.です。
A bientot. になるともう少し親しい関係でしょうか。つまり何度も会う機会がある人と。その日再び会う場合は「A bientot, tout a l'heure.」です。
>Salut! Ca va? Comment allez-vous?
前にも書いたように、友人間だと会うときもさよならの時も「Salut!」が圧倒的。そして、会うときは「Salut! (prenom) Ca va?」と言って握手というのが通常の「儀式」でしょうか。挨拶として使うときは、「Ca va?」はPrenomを伴って言う、逆にPrenomで呼び合うような関係なら「Ca va?」を使うと覚えておけばいかがでしょう?「Comment allez-vous?」は「vous」ですから、それなりに丁寧な言い方になります。
「et toi?」と聞き返すよりも、両方がほぼ同時に「Ca va?」と言い合うケースが多いようです。無論、「et toi?」と聞き返すことに何ら問題はありません。
>Vous avez l'heure?
時間を聞かれるときはほとんどこれですから、この表現が一般化しているのでしょうね。私が習ったときも「Quelle heure est-il ?」でした。
MARIE-PIERREはまず会話を習ってから漢字も覚えようという予定だそうで(この順序は私が勧めた)、日本語をある程度マスターしたら、その次は中国語にもトライしたいと言っています。ですから、日本語についてはかなり本格的に取り込もうとしております。ただ、それはあくまでビジネスや趣味での範囲であって、日本や日本語の専門家になろうというわけではありません。そんなわけですから、基礎をみっちり勉強できるような教材が良いのではないかと思います。INALCOにも通うみたいですね。
教材は英語でも構わない由です。また、日本で一般に入手可能な教材であれば、八重洲ブックセンターのオンライン・ショッピングは海外居住者でもサービスを受けられますので、書名、出版社、著者、価格等が分かれば入手できます。なお、MARIE-PIERRE以外にも、同級生最年長のPATRICK(彼はフランス陸軍の現役将校です)も日本語の勉強を始めたようです。
さよならは「Au revoir」というのは基礎中の基礎ですが、学生の間ではほとんど使われていないようです。代わりによく使われているのは圧倒的に「Salut!」です。この言葉、会う時も分かれる時も使えるので、一度慣れるとかなり便利です。会う時も「Salut, Massa! Ca va?」、分かれる時も「Salut, Massa! A demain!」です。電話でも同様です。あと、ヨーロッパ共通(?)の「ちゃお!」も好まれています。
先生に対してはさすがにそうはいきませんが、「Au revoir」というケースは少ないようです。たいてい「Bonne journee/soiree」「Bon apres-midi」などです。
週開けにレポートを提出しなければならない時は、「Bon trarail au week-end!」なんてのもあります。
魚屋の前を通るとき、軒先に牡蛎が並べられていました。やつらをしみじみ眺めてみるに、確かに「牡蛎のツラ」は悪態になるなぁと深く納得した次第です。ちなみにCakeはフランス語だと干し葡萄をのせたケーキをさしますから、やっぱり相当グチャグチャしているのでしょうね。
今日もまたThomasがいろいろ「指導」してくれました。何でも「verlan」なるものがあるそうで、高校生や大学生が好んで使うそうです。要するにverserされたLangue、逆さ言葉のことで、ニッポンのギョーカイジンがコーヒーを「ひいこう」と言うのと同じです。
何だかどこの国のやつらも同じやうなことをしていますね。
Thomasは近々悪態リストを作ってくれるそうです。
ちなみに私がよく行く日本レストランは6区Notre-Dame des champs近くにここは観光客よりもパリに住んでいる日本人に常連が多く、個人的見解として、ヨーロッパで一番コストパフォーマンスの良い日本レストランだと思います。
今日も新しい車内アナウンスを聞いてしまいました。メトロ7番、シャトレ駅で電車がなかなか発車しなかった時のことです。
Encore quelques secondes de patience, SVP, merci.
これは「発車まで少々お待ちください。」ってところですかね。
動詞「enregistrer」はまさしく英語の動詞「record」そのもので、記録するとか録音するの意味で使われます。同時に、名詞「enregistrement」も英語の名詞「record」にほぼそのまま対応します。大型コンピュータでは通常データは一行単位(物理的にはカード一枚)で入力され、これのことを1レコードと言っていたではありませんか? RDBでも同様ですよね? そんなわけで、行単位で入力されるデータのことをrecord、すなわちenregistrementと表現しています。donneeという場合は一般的なデータそのもののことで、特に行単位で入力されるというイメージはありません。逆に、FORTRANやCOBOL等を対象とするシステムで見られるような、フォーマット化されたシーケンシャル・データに対してはenregistrementが好んで使われます。この場合はwritingとかrecordingという動詞的イメージはありません。
秋学期ではデータベース論だの情報システム論だのの授業を取りました。フランス人の英米語排除はコンピュータの世界でも徹底しており、オリジナルが英語でもしつこくフランスの用語を作っています。授業では一応英語でも触れてくれますが、やはりでてくるわでてくるわ。 で、ちょっと面白そうなので、仏(英)日の対象表を作ってみます。ネタが尽きなければその2以降も続けてみたいと思います。中国人留学生もおりますので、機会があれば仏英中もトライしてみます。
*1:日米では「ディスケット」はIBMの登録商標では? *2:主に大型システムの場合 *3:主にPCの場合 |
同級生で一番世話になっているMarie-Pierreという女性が、とうとう日本語の勉強を始めました。現在私の作った表をもとに、必死にひらがなとカタカナを覚えているところです。つきましては、日本語の自習用教材(テキスト、練習帳、カセット付きの本など)で何か適当なものはないでしょうか?もし何か情報をお持ちの方は、会議室かメールで教えて頂けると助かります。
彼女は元フランステレコムに勤務していたため、通信ヲタクになる素養が十分ありそうです。まだCalvaComの存在は知らないようですが、もしその世界に入り込んだりすると、またまたいとうさんが忙しくなってしまうだらうなぁ。
私も専ら「Exactement!」や「Tout a fait」を使います。フランス語の話せる日本人だと「C'est ca.」も多いようです。フランス人だとかなり「Voila!」が好きですね。まあ、これは質問に対する応えというより、同意を求められた時の反応ですが。あと、多少もってまわった言い方では「Je suis tout a fait d'accord avec toi, mais...」なんてのも好まれています。
実はフランス人の中でも日本式の反応を示す人がたまにいるんですよ。これ本当。だって、彼らは日本語の知識は殆どないから、私にあわせたはずがない。もしかすると、否定疑問文はもともと応えずらい構造なのかもしれない。ただ、明確に否定疑問を否定するときはほぼ例外なしに「Si!」です。
一般論としては、確かに「Oui」「Non」を単純に使うより、バリエーションをもって反応したほうが表現に幅ができるでしょうね。
私のよくやる失敗は、電話をかけて相手に「Ne quittez pas.」と言われた際、思わず「Oui」と反応してしまうことです。ある時など、思いきり「Si!」と応えて慌てて「Ah...non」とやって笑われた事がありました。最近は警戒して「ん」で済すようにしています。
牡蛎のケツも何とか級友に聞こうと思っていたのですが、実はどうやって聞けばよいのかとっかかりがつかめなくて困っていました。「cul d'huitre」ですか、この線で攻めてみやう。これでまた明日学校に行くのが楽しみになってきた。
今日はとうとう猥談に成功するという大成果(!)を挙げました。内容を明かすと鴨瀬さんに削除されてしまうので内緒です。でも、フランス語やイタリア語で猥談するというはイメージ的に納得できるけど、ドイツ語で猥談というと何かイメージにそぐわない。これも偏見の内に入るのだろうか?
私はカミュの「異邦人」を読んだ時、その内容もさることながら、格調高い文章にえらく感激しました。「Quand la sonnerie est encore retenti...」何て一節はどれほど興奮したか知れません。この一冊の感動がフランス語の泥沼に誘いこんだと言って良いでしょう。
日本語でも格調高い文章は当然あるのでしょうが、私はむしろ古文のあいまいな表現の方により多くのエクスタシーを感じてしまうのです。まあ、古事記まで遡ると「ん?」ですが、源氏物語や徒然草などに接した時は、やはり文章の品格に感動しました。
日本語そのものがあいまいなわけではないし(日本語自体があいまいであれば、日本語で数学の論文は書けません)、日本ではなかなかはっきり言う時と場所がないというのもその通りだと思います。それに加えて、何か日本語にはあいまいにすることで格調高さが生じる要素がある、というのは少々手前勝手な感想でしょうか? 無論、あいまいな表現が全て格調高い訳でないのは言うまでもありません。フランス語の場合は、歯切れの良さとリズム、構造など、音にしたときの美しさが格調の源泉ではないかと勝手に想像しています。
SNCFだと、「お忘れものにお気をつけ下さい」なんてのもありますね。これはメトロの終着駅でもごくたまにアナウンスしてますが。
Assurez-vous que vous n'avez rien oublie.
一般的なことなのかどうか知らないが、私の級友は単語を簡略化するのが好きである。まあ、baccalaureatがbacとか、immobilierがimmoとかに化けるのだから、結構一般的に見られる現象と見てよかろう。
しかし、級友と話していて一つだけ困ることがある。statistiqueがstatになるのはいい。professeurがprofになるもの構わない。しかし、faculteがfacになるのはちと困りものである。発音はまさしく「フ*ック」である。周りには結構米国人留学生がいるのだが、彼らは全く無頓着に
「あそこのファ*クは...」とか「ファッ*の頃に...」とのたまう。おまけに、FAC IMMOというかなり大きな不動産チェーンがあるから困りものである。学部長が私のアパート探しにアドバイスしてくれたとき、やにわに「そうだ!*ァックがあった!」と叫んだとき、何も知らなかった私は思わず吹っ飛びそうになった。
ううむ、そういえば、イタリア語で乾杯は確か「チ*、*ン」、一昨日の昼食で私の正面に座っていたやつがコップを持って「*ン、チ*!」と言うものだから、私は即座に日本語の意味するところを教えてあげた。彼は喜ぶことしきりであった。また、その隣のやつが「プロスト!」(これは確かオーストリアでしたっけ)と叫ぶので、私は「セナ!」と応酬することを忘れなかった(このネタはF1を見ていない人には分からないか )。
コミュニケーションの授業で感じたことの一つに、我々日本人の発音の問題があります。
一般に発音の問題と言うと、どうしても「r」と「l」とか、「in」や「an」の区別が指摘されがちです。しかし、コミュニケーションの先生が指摘してくれたのは、口の動きが少ないということでした。これは日本人に限らず東洋人全般に当てはまる事だそうです。
確かに強く意識している時は積極的に口を動かしますが、普段はあまり大きな動きがないのも事実です。自分の話している姿をビデオで見せられ、分析されると一目瞭然でした。そうなると、子音や鼻母音に注意するよりも、むしろ一つ一つの母音を意識的に口を動かすことの方が重要なように思われます。無論、全てに注意を払う必要があるわけですから、あくまで相対的なことですが。練習方法としては、詩の朗読を勧められました。
私の姉の友人が8年前からベルンに住んでおりまして、やはり日夜スイス・フレンチやスイス・ジャーマンと格闘しているそうです。何でもスイス・フレンチはまだフランス語の原形をとどめていても、スイス・ジャーマンはドイツ語とは全くの別もの、しかも只の方言なので目で標準語を読み耳で別の言語を聞くという凄まじい日常になるそうです。
それはさておき、ベルギーでは70は「セプタン」だそうですね。夏の語学学校でも、プエルト・リコ女性がフランス語の数字は不合理すぎると絶叫しておりました。まあ、我々東洋人の感覚からすれば、英語の数字だって十分不合理だと思いましたが。
さて、Anglicismeを嫌うフランスの権威筋たち、次の言葉のもともとの英語は果たして何でしょうか?既にご存じのもおありでしょうが、皆さんも試しに辞書無しで考えて見てください。
--
un disque optique compact(こりゃ明らかだ )
etat-major
faiseur de prix
faiseur d'or
大学の教養でフランス語はとったものの、専門に入った途端ばったし。会社に入って3年後、3ヶ月ほど昔の練習問題集を復習したあとアテネ・フランセに通いました。一応、本科であるサン・フロンチエール(SF)を選択し、そのまま上級まで続けました。
個人的な感想としては、とにかく体で覚えさせるのが重要だと思いました。ですから、SFの1、2は暗唱できるほど繰り返し読む、書く、聴くを繰り返しました。今でもそれが役に立っています。そして、ある程度慣れたと思ったら、なるべく多くの本や雑誌に接するよう心掛けました。私は自動車レースが好きでしたので、フランスの車の雑誌は結構楽しめました。
Fさんのフランス法講座のおかげで、今日の法学の授業は実に快適でした。教授のジョークに対し、周りと同じタイミングで笑えるというのは実にホッとします。それにしても、意味が何となく想像できるというのと、日本語で明確な用語を把握しているというのは大分違うと感じました。やはり我々にとって、漢字の持つ直感性は絶大なものがあるのですね。
さて、明日、明後日とSession d'eteの最終試験があるのですが、この試験のこと、QUIZって言うんです(発音はまさしく「くいず」)。級友にQUIZとEXAMENはどう違うのか尋ねたら、全く同じものだとあっけなく応えられてしまいました。でも、我々日本人にはやはり変な響きのある言葉ですよね?
フランス語の場合はNomを全て大文字で書くという原則が最優先されますので、これに従う限りNomは先に書いても後に書いても大きな問題はありません。確かに通常は「Haruki MURAKAMI」とするのが普通です。ただし、役所や銀行、フランス電力、フランステレコム等から来る書類や請求書の宛名は全てNomが先になっています。ビジネス・レターでもNomを先に書く場合が多く、その場合「MURAKAMI Haruki」となります。私の印象としては、informationとして名前を示すときはNomを先にするのが普通みたいです。契約書でもNomを先に書きます。
ところで、最近はMonsieurを「M.」ではなくて、見かけ上は英語と同様に「Mr」と略す例が多いようです(ピリオドなし)。役所や銀行、EDF、FT等の宛名もみなそうです。因みにMadameは「Md」のようです(Mademoiselleは不明)。
フランス語圏以外の人名や地名は、その国でのローマ字表記にするのが原則でしょう。というか、よお知らんところまで、いちいちフランス語風表記をする努力を連中はしとらんという所でしょうか。手帳などでは例えば東京は「Tokio」だったりしますが、反面名古屋は「Nagoya」(このままでは「なごわぃあ」)のままです。
名前についてはパスポート表記を用います。実際、アフリカ系留学生など教授でも名前を呼べない例もあるのですが、公的な表示が既にパスポート上でなされている以上仕方ないことです。プライベートにはフランス風にしたりしますが。例えば私の名前「Masayuki」はそのままだと「まざゆき」になってしまいます。ですから、私的の場では「Massayuki」としています。
まあ、いずれにせよ、あえてフランス語風にする義務はありません。
おかげさまで、疑問の大部分は氷解しました。
「マネージメント」に相当する言葉が「gestion」っていうのは知っていたのですが、法律で「gestion des affaires」が何なのかはチンプンカンプンでした。授業で例として提示されていたのが銀行員のおせっかいとかだったので、Oさんの説明で何とか要領を得ました。「la Repetition de l'indu」でも例として銀行のATMから要求金額以上の金が出てきたときとあったので、Mちゃん、Oさんの説明で完璧に納得いたしました。ちなみに、かようなケースではフランスの民法の場合、銀行から要求された場合には弁済せにゃならんそうですね(これはquasi-contratと言われる状況の一つだそうです)。
Force majeurが不可抗力ですか...。ようやく授業の際に教授が言ったジョークの意味が分かった。「delictuel」って、私の辞書だと「delictueux:違法の、犯罪の」としか載っていないのですが、同じ意味なのでしょうかね? 余談ながら、契約などで様式が不完全で無効となるようなものを、慣用的に「vis cache」と形容しておりました。「vis」は本来の「ねじ」以外に、「ちゃんとはまる」=「完備されている」という意味でよく用いるのだと級友は言っておりました。
chiffre d'affaireが「総売上高」だと最近知った私です。
現在法学の授業を取っているのですが、辞書に載っていない専門用語が多く、結構難渋しています。そこで、法律に携わっている方に次の用語は日本語で何と言うのか教えて頂きたいのです。一応クラスメイトにも聞いたのですが、何分にもこれらはキーワードゆえ、いまいち納得しきれないのです。分野としては契約、つまりObligation des Contratsです。
--
Obligations delictuelles
Liceite
Gestion d'affaires
Force majeur
Repetition de l'indu
「試験に出る日本語」がもしあるとすれば、日経新聞を読めるレベルが一つの目安になるのではないかと勝手に想像しています。要するに社会や経済現象を理解する上でのキーワードということになりましょうか。
キーワードの例としては、aveu(自白)なんてのはともかく、corporel(肉体の:ただし経済用語では「有形」:immobilisation corporelle:有形固定資産)、creance(債権)、mandataire(代表者)、partimoine(遺産)とか。あと、bilanなんて「総括」としか覚えていませんでしたが、経済用語としては「決算書」という意味を知らないと悲惨です。動詞では、emprunter、entrainer、constaterなどは日常的に使います。これらは中級のテキストに出てますが。
実際、会社での経験がなければ授業にはまったくついて行けないと思います。私程度の語学力では全く未知の内容をフォローすることは不可能でしょう。正直言ってダイレクトに分かるのは60%程度で(これでも大分進歩したんですよ!)、後は経験から想像し、後で同級生に質問するということの繰り返しです。ただ、語彙は確実に増えているし、ヒアリングの方もかなり改善されているのは事実でしょう。それでもキーワードの欠如はまだ解消されていません。
ちなみに、アリアンスの方は8月でおしまいです。;-)
まあ、2ヵ月半の間、覚えた単語はやたら所帯じみた単語(やっとこ:pier debicheとかテーブルクロス:tapis de tableとか)か、妙に専門的な単語のどちらかのようですね。
夏授業が始まって1週間経ちましたが、やはり語彙力の不足を痛感します。特に内容が専門的なもの(会計とか法律とか)が多いため、抽象語や専門用語の知識不足が露呈されています。その時ふと思い出したのが、入試の時にやっかいになった「試験に出る英単語」でした。
これは本当に役に立つ単語集でした。いわゆるビジネス英語で必要な語彙は、あくまで私の経験でしかありませんが、かなりの量はこの単語集でカバーされていたように思われます。会社に入って何度これを見直したことか(その都度、記憶力の衰えを痛感させられましたが)。そのフランス語版があればどれほど楽だろうと思う此頃です。無論、フランス語でも基本単語集などはありますが、大学や大学院の授業で必要な語彙とはややズレているような気がするのです。かと言って、時事フランスなどは余りにも専門的で領域が狭すぎるし、結局帯に短し、ってことでしょうか。
受験英語と言うと否定的な見方をされる事が多いですけれど、有効に活用しようと思えばかなりできる部分があるような気がします。その点、フランス語は入試の洗礼を受けていないだけに、単語を覚えるにしても本当に手探りという感じです。
フランス語のクラスでは、完全にtutoyerでした。生徒同士、教師が生徒を呼ぶとき、また、時には生徒が教師を呼ぶときもtutoyerでした。他のクラスでも概ね似た様な状況でしたが。ただ、先生が言うには、年長者をtuで呼ぶときは、本当なら一言断って許可を求めるのがエチケットだそうです。という話しがでた途端、最年長のスペイン人が「誰も許可を求めなかった」と笑っておりましたが。
今日から始まったGEのコースでも、生徒間はいきなりtutoyerでした。尤も、私を含めた外国人数人だけはvousvoyerからスタートしましたが。ただ、教授に対してはさすがにvousvoyerでした。
会社でtutoyerはさすがに特殊な例みたいですね。特に親しい関係がある場合にのみtutoyerだということです。この「親しい関係」には同じGE出身というのも含まれます。従って、秘書がtutoyerするなんてのは、よっぽど気さくなボスと長年一緒に仕事をしていたベテラン秘書、なんて間柄ぐらいでしょうね。
フランス人はそれぞれの個性が強いからパリジェンヌはこうだ、とはなかなか言えませんが、一般論としては「つん」と、とりすましたところがあると言われています。郊外や地方の女の子の方が遥かにサンパチックだという声はしばしば耳にしますね。あと、概して彼女達の立居振舞は粗忽の感を禁じ得ませんが、ヨーロッパ社会ではごく自然なことが多いようです。無論、いわゆる良家の子女は例外でしょうが。
まあ、小ばかにしたように見えるのは、多分にコミュニケーション文化の違いだと思います。もともと皮肉っぽく喋るのが好きな国民性のようですから。その点、イタリアの女の子は気さくで可愛いという意見が多い。;-)
聞き取りは永遠の課題ですね。私は初級から中級の際、とにかくテキストを読む、書く、聴くを何10回も繰り返し、テキストの文章を暗唱できるようにし、かつ、テープと同じ早さで話せるよう練習しました。結果的に、聞き取りには一番効果的であったように思われます。この方法はとある同時通訳の方に教えてもらったものです。それと、Sans Frontier 1とか2はテキストやディアログに実際日常良く使う表現が多いので、聞き取りだけでなく日常会話にも役に立ちます。あたしは今でも旧Sans Frontier 2のテキストとテープを持参しております。ただし、上級のテキストになるとやたら長いので、この方法は意味がなくなります。上級のテキストはむしろ大意要約が主眼のようです。
今日、クラスで教えてもらったことなのですが、Grande Ecoles卒業生は連帯感が極めて強く、歳がどれほど離れていようと、また、どれほど社会的地位が違おうと、会話でも手紙でもtutoyerなんだそうです。例えば、diplome取り立ての若憎が大OBの社長宛に履歴書を送るときなども、「Camarade, tu trouveras ci-joint...」なんて書くらしい。まあ、Camaradeという呼び方が実に親しげで面白い。
一般論で言うと、最近はtutoyerが極めて優勢だそうです。特に、ポスト68世代は会社でも平気でtutoyerだそうですから、何やら「近頃の若者は...」というぼやきがいずこからか聞こえて来そうですね。店などでもきちんとしたブティックを除けば、結構「Tu」優勢です。また、外国人に話しかけるときは、親しさを示すときに好んで「Tu」を用いるそうです。
あたしはドイツ語は無知ですが、クラスのドイツ人美女によれば、南部はtutoyer優勢だそうです。彼女が研修で北部の会社に行った際、同年代の女性からvousvoyerされて目が点になったと。そしたら、北部出身の猛女が「17才以降はvousvoyerが普通よ」とうそぶいておりました。あたしは当然南部を支持しますが。;-)
会話では圧倒的に「la」が多いですね。電話で「Christineいます?」って時も「Christine est la?」、応えて曰く「おりません」=「Elle n'est pas la.」です。また、「そこ!そこ!」も「La! La!」です。ただ、自分の方向を指して「こっちさこいや」ってときは「Venez (Viens) ici!」です。「こっちだよ、こっち!」も「Ici! Ici!」です。レストランやカフェで自分の手元の席に招く際はまさに「Venez ici!」で、離れた所を指示する際は「la」です。従って、「私」の近傍であることを強調するときは「ici」、それ以外は「la」ではないかと想像しています。会話で「そっち(あっち)」を特に明示する場合は「la」と言いながら指差したり顎をしゃくったりします。
サイト内検索 |
---|