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過去の日記一覧


この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
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1995年10月17日

 スキー板でシェア世界一は Rossignol ですね、たしか。ヨナキウグイスのくせに、板のトップにはフランスのシンボルにわとりが描かれてる(笑)。
 Rossignol は日本市場で成功したフランス企業の代表ですね。ラジオなんかでもここの社長や役員は、年中インタビューに引っ張りだされています。ビンディングやスキー靴でおなじみの Salomon も、やはりおなじです。
 ぼくが愛用しているのはユーゴ製のELANですけど、ユーゴの板がいいというより、旧ユーゴの国営企業 ELAN が一部ミーハーには人気があったのですね。一部ミーハーというより、ステンマルク信者といったほうがいいかもしれない。ぼくがスキーに夢中になっていたころ、このスウェーデン人スラローマーはほんとに超人でした。スキーW杯リーゼン・スラロームで、不滅の15連勝の記録を樹立した。15連勝目がインスブルックの五輪だったと思うけど。このステンマルクが子供時代から愛用していたのが ELAN で、ワタシにはとてもまぶしいブランド・マークだった。もちろんこの板の感じがすごく好きだってこともあるけど。
 ちなみにかのジャン=クロード・キリーの愛用した DYNAMIC ブランドが復活したとき、やはりさっさとコンペモデルを買いました。やっぱりただのミーハーなのかもしれん(笑)。


1995年03月21日

 きのうはこのアレジ&ゴクミをたしかめるために、ミニテルの Marlboro Racing Serviceを探しまくってしまいましたがな。でもさすがにシーズン・イン寸前とあって、ゴシップ関係の情報はなかったけど。
 アレジのうわさなら、L'Equipeの一面にだって載りかねない。でも英語の苦手なアレジちゃんは、どうやってゴクミを口説いたんでしょうね。まさか同時通訳同伴のおつきあいってこたねーよな。でも、ブラジルにいるったら、F1開幕戦ってことだよな。てことは、やっぱまじなのかな。


1994年11月21日

 テニスの試合のなかでは、マッケンロー対ボルグが一番鮮烈なイメージが残っています。これこそ超対照的という感じがしました。ウィンブルドンの死闘は大学の学生会館で放送を見てました。
 当時のプロ・スポーツには、スウェーデン人の「帝王」が二人いました。テニスのボルグ、そしてスキーのステンマルクです。20代のひとだと、ステンマルクはほとんどご存じないかもしれない。アルベールビル五輪のスラロームで、二本目のラップタイムを取った老雄ぐらいの記憶かも。
 彼は 78〜79 年ワールド・カップで、大回転十五連勝というとんでもない記録を作っています。百分の一秒を競うスキーレースで、二位との差が一秒開くこともあったり、尻餅をつきながら優勝しちゃったりとかで、その速さは群を抜いていました。「ステンマルクの出るレースで、二位は優勝と同じ」とまでいわれたものです。
 彼は回転・大回転のスペシャリストで、滑降には出場しませんでした。でも、この二競技で勝ちまくっていたので、楽々総合優勝できたのですね。当時アルペン界のコミッションを支配していたフランスやイタリアは、これがえらく不満だったらしい。結局、強引にルールを変更し、滑降に出場しなければ極端に不利となるよう、ポイントの計算方式を変えてしまった。で、その翌シーズンはわずか一勝しかしなかったアンドレア・ウェンツェルンが総合優勝しました。
 誰かがダントツになるとルールを変えて優勝できなくさせる——これはF1にも見られた現象で、極めてヨーロッパ的なのかもしれません。で、ステンマルクも80年シーズンには、総合優勝を奪還するため、たった一レースだけ滑降に出場します。ところが、このシーズンではアメリカ人のフィル・メイヤーが強かった。彼が三部門でコンスタントに勝利を重ね、ステンマルクを破ったのですね。
 この年、テニスのウィンブルドンではボルグがマッケンローに破れた。「スウェーデンの英雄ふたりが、アメリカ人に引導を渡された」などと、ちょっと話題になったものであります。


1994年11月16日

 ワタシは生粋ジャイアンツ・ファンでありますが、タイガースも気に入っております。タイガース時代の江夏が好きやったあ。ほんまに敵ながらあっぱれなやつであった。全盛時代のONを向こうにして、対巨人戦 31イニング1/3自責点なしという大記録を立てたのも江夏であります。
 わたしメが初めて生で見たプロ野球も、巨人・阪神戦でありました。あれはいまから28年前になるのだな。後楽園がまだ電光掲示板になる前であった。セカンドが須藤、ライトが国松だったはず。
 フランスではサッカー世界選手権用のスタジアムができたようだけど、なんとなく東京ドームみたいな感じもしたなー。


1994年05月02日

 きょう、五月一日は、元首相・ベレゴボワの一周忌だった。
 テレビのニュースでは、氏の往年の演説模様などが繰り返し放送されていた。

 が、午後7時のニュースから、ベレゴボワのニュースはトップ扱いから後退した。
 アイルトン・セナの死が、あらゆるテレビ、あらゆるラジオ放送のトップ・ニュースで繰り返し伝えられた。
 トリプル世界チャンピオン、F1史上、最も偉大なレーサー、ブラジルの英雄——死者にはあらゆる賛辞が捧げられていた。
 いま、耳元で始まったラジオ・ニュースも、
 La mort d'Ayrton Senna, ...から始まった。
 きょう一日で、Senna est mort.という放送を何度聞いただろうか。
 サン・マリノGPの悲劇的事故は、TF1生放送のちょうどCMのあいだにおこなわれた。
 CMからイモラに戻った画面が捉えたのは、無惨な姿をさらしたフォーミュラ・カーだった。
 Rothement の文字が見えた瞬間、セナにただならぬ事故がおこったとわかった。アナウンサーの悲痛な声が、セナの大事故を伝えた。
 二十分後、セナがヘリコプターに運ばれた。セナが横たわっていた場所には、おびただしい出血の痕が残っていた。
 その直後、ぼくは FMOTOR4にアクセスした。セナのこの大事故は、まだ伝えられていなかった。日本時間の21:40、ぼくはこの大事故をサン・マリノGP会議室にアップした。
 テレビ放送が終わってから、ラジオのニュースをつけっぱなしにした。
 欧州中央時間の18:05、ボローニュの病院から公式発表があった。
 イタリア語の発表に、フランス語の同時通訳が重なる。ボリュームを上げて、一語一語を聞き取ろうとした。
 extremement grave ということばがくっきりと聞き取れた。一瞬、まだ重体なのだと思ったが、すぐあとに、sa mort ということばが続いた。
 このあまりにも大きなニュースを、ぼくは伝える勇気がわかなかった。日本時間の1:10、ぼくは FMOTOR4に「深刻な状態」と伝えた。
 それから15分の間に、ラジオは Senna est mort.というニュースを三度繰り返した。
 再び FMOTOR4にアクセスしようとした。
 しかし、アクセスが殺到したこのフォーラムに、なかなかアクセスできなかった。
 六度目のトライでようやくはいれたと思ったら、すでにセナの死が伝えられていた。RTの1チャンネルには、このとき 125人の会員が参加していた。


1994年01月10日

 今回もまた、パリダカのスタートをみそこねてしまった。早朝のスタートだから、知っていても行けなかったと思うけど。時折テレビのニュースでもやっているようですが、いまのところ京都1200年号の姿ならびに噂に接したことはありません。ラジオでもまだ聴いた記憶はないですねえ。耳に入るのはもっぱらシトロエンとミツビシばかりです。


1993年05月13日

 伝え聞くところによると、日本のスポーツ新聞は最近Jリーグ一色だとか。そのあおりかどうか、F1の人気が急落しているという話も聞きました。野球の方は例の調子でしょうし、相撲も相変らずなのでせうか。
 フランスだと、スポーツといえば圧倒的にフットボールでございます。昨日はサン・エチエンヌ対マルセイユのゲームがございまして、クラスでも教授まで巻き込んで大トトカルチョが行われました。レキップでもフットボールの扱いが一番大きいようですね。確かにヨーロッパのゲームは本当に格闘技という感があって、サッカーにあまり詳しくない私が見ていても面白いと思う。そのせかどうか分かりませんが、アニメ「キャプテン翼(通称「C翼」)はフランスでもなかなかの人気だそうです。私の世代ですと、サッカー漫画と言えば、「赤き血のイレブン」なのですが。



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