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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1996年03月20日

 日本滞在中の最大の用件である VISA申請が、よーやっと先週の金曜にできました。でも本当は木曜にすませるつもりだったのだけど、道が大渋滞で領事部に着いたのが12時5分前、記入すべき書類がぜんぶで18通、出直しを命ぜられたのであった。
 去年は 3月11日に春が始まったから、今年も巴里はすでに芽ぶいているころでしょう。うちの近辺では Arago通りが真っ先に緑色になり、St.Marcel が次、最後が Port Royal という順番でした。これから6月にかけてが、巴里のベスト・シーズンです。わくわくしちゃうけど、再上陸は fete de la musique 前後になりそうだ。
 その後領事館から一度電話があって、「申請書類を読んでみたが、記載されている活動内容は journaliste independant ではなく、chercheur independant ではないか」とのことでした。journaliste indep. という statut は昨秋の帰国直前に知ったのだけど、chercheur にもそんなのがあるというのは初めて知った。まるで「流しの研究員」ですね(笑)。たぶん日本でいう科学ジャーナリストやサイエンス系評論家に近い立場なんだと思うのだけど。
 揃えた申請書類は、滞在理由書(膨大な annex 付き C.V.も添えた)、派遣証明書、銀行残高証明、戸籍抄本、パスポート・コピーでした。派遣証明書は取引のある出版社に依頼したのですが、文面はこちらで作成し、サインだけもらう形にしました。領事部は英文または仏文といってたけど、どうせ滞在許可申請で仏文が必要になるに決まっている。
 この派遣証明書の用意に時間がかかって、文面の作成は通訳をやっている知人に全面協力してもらい、のべ一週間ぐらいかけて仕上げました。それをレター・ヘッド付き用紙にプリントしないといけないので、まずはお願いがてら用紙をもらったり、その場でコピーさせてもらったり。一番タイトな日で、5社ぐらいハシゴしたことがある。
 ただまあ、フランスの場合だと書類は多ければ多いほどいいので、こういう部分はあまりはしょらないほうがいいんですよね。あー、でもこれだけ申請に苦労して却下とかなったらかなり悲しい。


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