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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1996年03月23日

 ワタシのヨーロッパ初体験は仕事上の出張で、しかも予算が潤沢な時期でしたので、正規運賃でした。当時はまだ運賃格差がでかかったので、ヨーロッパとアメリカを束ねたいわゆる「世界一周チケット」は98万円もしたんですよね。でもまあ会社のカネだから(笑)。
 成田からアンカレ経由のルフトハンザ便でまずはフランクフルトに入り、フランクフルト〜デュッセルドルフ間をルフト専用電車で移動し(これも「フライト」なので、乗車には航空券が必要)、デュッセルからロンドンがルフト、ロンドンから巴里がBA、巴里から紐育がエアフラ、紐育・DC間がイースタン、DC・デンバーがコンチネンタル、デンバー・桑港間がユナイテッド、そして桑港・成田が日航……というわけで、別にねらったわけではないけど、よりどりみどりの組合せでした。
 こういう場合、発券そのものはルフトがおこなって、あとはルフトがエンドースメントするという形式になるんですね。デンバーの次は当初ロスに出てそこからSQ便で帰国する予定だったんですが、同行した上司の「桑港で骨休めするか」との方針転換により土壇場の変更となりました。
 でも各ラインの雰囲気の違いがかなりあって、おもしろかったですよ。ルフトはクルーの立ち居振る舞いがけっこう乱暴でした。BAは比較的ベテランのアテンダントが多かった。サービスはまあまあ。エアフラはパイロットも含めてドライでせっかちな感じ。コンチは忘れた。ユナイテッドはすげー美人クルーの記憶のみが鮮烈です(笑)。
 ルフトは後の出張でも粗雑な立ち居振る舞いが目立ち、以来、あまりいい印象を持っていません。エアフラはドライさに馴れるとけっこう気軽でいいかなあ、なんて思っています。


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