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過去の日記一覧
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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
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■ 1996年05月 アーカイブ |
RATP は毎年定期値上げしています。パリに住み始めたときは、carnet がまだ 34 Frs だった。でもあのときは 1 Fr = 25 JPY っていう円安だったんで、円ベースでは上がったり下がったりなんですけどね。
よみがえれ! 1年前の円高! あんときゃ 100 JPY = 5.85 Frs って両替屋もあったぞ。
モナコGPは4年ぶりにニッポンのテレビ中継でみました。でもチェッカーがわずか4台というのは、はじめて見る苛酷なサバイバル・レースです。
レース結果は「初めて」とか「久々」づくしですね。パニスの勝利はもちろん初めてだし、無限ホンダ・エンジンも初勝利。フランス人のモナコ優勝は88年のプロスト以来、フランスのチームがF1で優勝したのは、いったいいつ以来だ。だいたいTF1でさえ、リジェなんてほとんど注目せずに、ウィリアムズばっか贔屓にしてた。
じつは「幻の横浜グランプリ計画」というのがかつてあった。14年前ぐらいかな。横浜の青年会議所が誘致に乗り出し、FOCAもかなり乗り気だったそうです。コースは根岸か磯子の港近辺の公道を使うというもので、フィージビリティまでやったのだとか。だけど開催費で交渉が難航したうえ、F1レースをやると轟音が10キロ先まで届くというので警察がダメといい、それに平行して進められていた鈴鹿が契約しちゃったので、具体化寸前までいきながら幻に終わってしまったのですね。
日本からはモナコ、スパ、シルバーストーンあたりが人気ツアーになってます。あ、そういえばベネトン・チームのパドックで、ゴクミがアレジを激励しているシーンがテレビに映っていたぞ。まだ続いてたのね。
しかしまあシューマッハはだらしないよな。弟の方がすぐに追い抜くような気がしてきた。ラルフ・シューマッハは26日に富士スピードウェイでフォーミュラ・ニッポン第三戦です。
安いレストランで注文する手順はこんな感じです。
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東洋人を蔑視するフランス人もいれば、尊敬するフランス人もおります。より正確には、東洋人の何人かを軽蔑するフランス人もいれば、東洋人の何人かを尊敬するフランス人もいる、というだけですね。人種に対する感覚なんて個人のイデオロギーですから、普遍化して語ること自体がナンセンスだと思います。
ぼくは3年半フランスに滞在して、蔑視を感じる仕打ちを受けた経験がありません。単に鈍いだけかもしれないけど。もちろんこれは一個人の体験にすぎないわけですけどね。ただまあ、強いていうのなら、平均的日本人のほうが平均的フランス人よりも、よほど人種差別意識は強いんじゃないか、と最近は感じております。
街路樹であればchemin よりも avenue と呼んだほうが気分が出ます。
ぼくは勝手に巴里の Champs-Elysees、紐育の 5th Avenue、東京の銀座通りを「世界三大 avenue」と呼んでいます。もうちっと広ければ銀座通りが最高だと思うんですけどね。わずか4車線というのが残念。こじんまりとした雰囲気という点では、コリドー街のほうがいいかもしれない。
しゃれた街にはしゃれた通りとしゃれたカフェは必須アイテムだと思います。ヨコハマだと山下公園通りがいい。とくに銀杏の落ち葉がじゅうたんのようになる12月上旬ね。夏のしんしんとした雰囲気もいいですが。唯一残念なのが、Hotel New Grand がむやみにでかくなったこと。むかしのようにこじんまりとしていたときのほうがよかったのに。
巴里のほうでは、アパート前の Boulevard de Port Royal もいいんだけど、その一本裏の Avenue d'Arago のほうが街路樹はきれいです。4〜6月はときおりキツネの嫁入りがあるんですが、そんなときは、水滴をたたえた街路樹が本当にきらきら光る感じがして。だから巴里からは足抜けできません。
滞在許可はいろいろと複雑で、titre de sejour のカテゴリーそのものはetudiant、employe、visiteur の三つしかない。ところが、visiteur にはサブ・カテゴリーともいえる statut があって、その多くが個別判断になってしまいます。
比較的手続きが確定している statut は、artiste、chercheur invite の二つです。前者は絵画、写真、音楽、舞踏などで実際の活動歴を証明すれば、VISA も滞在許可も比較的スムーズにおりるようです。chercheur invite は受け入れ先の書類がそろえばこれも手続きは定式化しておりますね。家族VISAも visiteur に属するのですが、これは配偶者が滞在許可を取れば連動してます。
VISA は発効されないけど statut として手続きが定型化しているのが、自由職業者(profession liberale:P.L)です。フランス国内で翻訳や通訳をやっている学生以外の正規滞在者は、ほとんど P.L でしょう。現在では、学生身分から合法的に労働ができるもっとも簡単な道が P.L への切り替えです。
で、ほんとに最近になってわかったのは、それ以外の statut もかなりありそうだ、と。昨秋の出国寸前にわかった journaliste independant もそうですが、今回判明した chercheur independant も、ですね。ただし、これらは VISA を発給する省が警察とは別組織ですから、滞在許可申請で「なんだそれ?」という対応をされる危険性があります。
流しの研究者(笑)には昨日フランス大使館から連絡があって、なんとかVISAはおりたのである。でも正直いって、あっけないくらい簡単におりてしもたので、滞在許可がいまから心配。また口八丁手八丁やらないとあかんのか。