この月のエントリー
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

過去の日記一覧

月別アーカイブス



この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1996年06月22日

 藤田さんの訳書『死刑執行』(新潮社)をざっと読んだのですが、最後の処刑の場面はすさまじいですね。もちろん首を切られている場面は描写されていないけど、刑場のある刑務所に向かうところから、庭で水をかけるところ(血を流していたのだと思う)までが、非現実的なドラマという感じで流れている。ついつい「ノンフィクションはフィクションである」という箴言を思い出してしまう。
 この本で描かれた刑場はラ・サンテ刑務所にあるというのだけど、ここはパリの我が家から徒歩10分ほどなんですよね。郵便局に荷物を取りに行って、帰りにちょっと逆方向に向かえばすぐに刑務所の壁に突き当たる。で、ギロチンはその中庭にぽつんと置かれていたらしい。正直なところ、ちょっとぞっとしました。

 藤田さんに貸してもらった『赤いセーターは知っていた』によると、ギロチン処刑は20世紀初頭まで公開されていたそうですね。死刑を公開にすれば犯罪抑止力が増すという主張もあるんだけど、当時はそんな効果があったのだろうか?


Copyright (C) Masayuki ESHITA