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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
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■ 1996年08月 アーカイブ |
友人にかつて「常備薬」のことを聞いたとき、「風邪のとき? ラムを飲めばいいんだよ」という答えが返ってきました。うちでもそうしているんだけど、ラムに絞ったレモン果汁をまぜ、砂糖を少々、場合によってはバターを少々、これを暖めて飲むと、ぐっすり眠れるしけっこう効くんですよね。頭痛がひどいときはビタミンC配合のアスピリン(Asprine vitamine)を飲んでます。あ、これは水に溶かして飲むやつね。
ルノーの F1撤退は 98年です。来シーズンまでは参戦します。エルフもおなじだっけかな。ルノーには「6年連続でチャンピオン・エンジン」「F1で通算 100勝」という目標があるみたいです。6年連続というのは、こりゃもうホンダへの対抗意識ですね。これまでの最長連覇記録がホンダの V6(86-87:Williams Honda, 88-91:McLaren Honda)でしたから。ルノーはいま通算 87勝ぐらいだっけかな。これはフォード(というかフォード・コスワース)、フェラーリに次ぐ記録ですね。ホンダが 73勝だったと思いますから、まずはこれは抜けたわけです。
ホンダが 98年に F1に復帰するといわれてますが、ルノーの撤退で微妙な戦略転換があるんじゃないか、とささやかれています。ルノーは F1にはじめてターボ・エンジンを持ち込んだのですが、結局ターボではポルシェがすぐに巻き返し、最後はホンダが席巻したわけですね。そのためかどうか、ホンダにはやたら対抗心があるようで。
朝一に税務署に直行する。うちの地区担当は9階のはずだが、念のために受付で確認をする。「11階ですよ」だと。前回は9階だったというと、所得申告はすべて11階なんだとか。
困ったなー。これじゃ前回とは違う担当者になっちゃう。また「振り出しに戻る」ってことになりゃせんか。心配してもしょうがないので、エレベータで11階に向かう。エレベーターを降りて右に向かうと、でかでかと「13区民の所得申告はこちら」という看板が出ていた。やっぱりここか。
待合所は無人。タッチ・アンド・ゴーである。申告事務室に入る。
見覚えのあるにーちゃんが座っていた。3年前に「あんたは納税台帳登録ができない」証明書を書いてくれた担当官であった。向こうもわしのことを覚えていた。所得申告をしたいのだが、と言うと、すぐに「あなたはたしか学生で、台帳登録ができないはずだが」と来たもんだ。ほーら、さっそくおいでなすった。先週、9階でもらった申告用紙を見せる。さらに、あんたの同僚とその上司の意見によれば、滞在身分に関係なく所得が発生すれば申告の義務があるとのこと、と説明した。
まあ、税務署の方も税金を徴収するのが商売だから、払うという人間をそうそうは拒まないのだろう。彼はすぐに納得したようだ。しかしまあ、税金が払えてほっとするというのも、なんか妙な気分である。
が、手続きがあまりにもあっけなかった。せっかく用意した支払い調書の法定翻訳を見ようともしない。申告用紙にさっと眺めて「C'est bon.」と一言。あとはカバーのところにスタンプを押して、サインしただけ。
「J'ai des questions.」「Oui, je vous ecoute.」
ここからはひたすら粘るというか、書類をひとつずつ見せて確認した。わしゃ AGESSA に登録せんとあかん。でないと滞在許可が申請できない。まずは adresse fiscaleの証明が必要なの。彼は何もいわずにもう一通の申告用紙にスタンプを押し、サインをして、こちらに渡した。「Voila.」だと。
あんちゃん、voila って、これが証明書になるんかいな?「Oui.」ときた。自信満々である。こりゃ粘ってもあかんわ。この間、約10分。そのうちの8分はこちらからの書類確認であった。手続きは実質的に2分でおわり。30分は覚悟してたのに。あまりにあっさり終わるとかえって不安である。幸い時間はまだ11時前。いまから AGESSA に行っても午前中の受付時間に間に合う。なにはともあれ、こんな安直な書類でいいのかどうか確認してこよう。(つづく)
たぶんたいていのレストランは、menu のなかの plat だけでも注文できます。a la carte メニューのなかに記入されていると思います。一応の約束事として、レストランではかならず人数分の plat を最低限注文すること。逆に entree は3人で一つ、なんてのでも可です。もちろんデザートなしでカフェだけ、あるいはデザートもカフェもなし、というのも問題ありません。量のおおいギリ飯屋あたりで人数分の entree を頼んだら、まず胃薬が必要になるでしょう。
ブラスリーでは、座る席によって飲み物だけでいいところ、最低限 entree だけでも人数分注文しなければいけないところが混在してます。食事の時間帯になると、ギャルソンが食うのか飲むのかを尋ねてくる場合あり。
カフェは人数分の飲み物を頼めば○です。外からサンドウィッチを買ってきて、カフェで飲み物だけ注文し、その場で食っちゃうなんてことも黙認されているみたい(何度かやったことあり。一応、ギャルソンに確認してみましたが)。
resto-rapide は emporter にすると manger ici より15パーセント安くなるんですが、外のテラスでちゃっかり食う……という方法もあります。が、店によっては追い立てられます。
日本から支払い調書のオリジナルが届く。東京を水曜に発送されて、土曜に到着だから、4日で届いたことになる。さすがに首都間は早い。これが速達だともう1日余分にかかるのだが。
これで declaration sur la revenue の書類が完全にそろう。コピーと翻訳だけだといまいち不安だが、オリジナルがあればなんとかなるだろう。なんとかなると信じたい。なんとかなってほしいのである。
月曜の午前中が第一関門である。想定問答シミュレーションをあれやこれや始めるのであった。(つづく)
日本から FedExで自著が届く。見本刷りなのに、国際宅配便で発送されたので、しっかり税金を取られてしまった。くそー。
とりあえずこれで見本提出用のコピーが取れる。近くの写真ラボに行って、パスポートやら電話の請求書やら、銀行の Relve de Compute や Avis d'execution の束と一緒にコピーを取る。写真ラボには先客が二人。そのうち一人はコピーを取りにきたようだが、店主と雑談をずーっとしてたらしく、まだ一枚もやってなかった。わしがコピーを取りたいというと、やおら作業を開始する。これがまたずいぶんと枚数が多い。おめー、雑談はやることやってから熱中しろよ、と心のなかで舌打ちする。
店の carte de visite が出てきたけど、店名は「マハラジャ」なんかではなかった。
Shah Jahan
4, rue Gauthey, 75017 Paris
tel 42.63.44.06
Metro : Brochant, Bus : 74,54,34,66
ちゃんと salle climatisee と明示されているところがなんとも。
日本時間の朝9時。まずはM社に電話する。が、出社時間は9時半とのこと。編集さん、いまだ来たらず。いきなり出鼻をくじかれる。
日本時間朝9時半、こんどは電話がかかってきた。M社の編集さんであった。ファックスを読んだとのこと。さっそく手配してくれる。でも経理部門はほかの事務所じゃなかったかな、という不安が頭をよぎる。
日本時間朝10時。古巣に電話する。祈った。ほんまに祈ったぞ、このときは。作業を依頼したバイトさんがすぐ電話口にでてくれる。「届きましたよ」の一言に、心臓が一回おおきく鳴ったような気がした。さっそくコピーを取ってファックスで送ってもらうことにする。5分後、ベルがなる。すぐにモデムでマニュアル受信。ファックス・データをビュアーで確認する。
よっしゃ……と思ったら、年度が抜けていた。こりゃまずい。古巣に電話する。「すまん、年度を記入してからまたファックスしてくれんか?」と依頼。5分後、ベルがなる。またマニュアル受信。こんどはカンペキだった。
再び古巣に電話する。オリジナルの方は、航空便で送ってもらうように依頼する。「まちがってもEMSや速達にはしないでね」と念を押す。普通航空便がじつはいちばん速いのだ。しかも古巣の隣は東京国際郵便局である。これなら東京・パリは4日で着く。
ひとまずほっとしていたら、電話が鳴った。M社の編集さんからだった。伝票が届いたので、すぐにファックスを送るとのこと。おなじ事務所内に経理課があったようだ。
3分後、ファックスが届く。カンペキだぜ。5分後、受信したファックス・データを、レーザ・プリンタに出力する。これでなんとかパリで法定翻訳に出せる。
約4時間ほど仮眠。朝一でアラン・ゴメス氏に電話する。が、しかし。ゴメス氏は不在だった。留守番の女性曰く、「Il n'est pas la pour le moment.」だと。困るがな。いつ戻ってくるかわからんだと。午後2時半、ゴメス氏に電話する。「電話をくれ」という伝言は残しておいてもらったが、こういう場合、かなりの確率で電話はかかってこないのだ。
ゴメス氏が出る。まずはファックスで原稿を送ってくれ、とのこと。昼のあいだに原稿の内容をエディタで箇条書きし、ローマ字の読みもタイプアップしておいた。だからやっぱり法定翻訳じゃなくて、法定清書なんじゃないのかなあ……という愚痴はとりあえずさておき。
1時間後、ゴメス氏のオフィスの最寄り駅に着く。ひと駅先は知る人ぞ知るパリの新大久保というかパリの黄金町(横浜である)なのだが、事務所のあるあたりはそれほど妙な雰囲気はなかった。オフィスのなかには、大相撲パリ場所のポスターがはってあった。書棚のなかに『小学5年生 自由自在』があった。
まだ終わってない、とか。きっとこれから始めるのだろう。蕎麦屋の出前は万国共通なのだ。
約一時間後、法定翻訳が揃った。(つづく)
白い恋人たち——原題は「Treize jours en France」ですね。サントラのなかには「キリーのテーマ」という曲も収録されています。
グルノーブル・オリンピックでキリーはアルペン三冠王になったのだけど、たしか「疑惑の三冠王」とか「ホームタウン・デシジョン三冠王」といわれていたと思います。回転か大回転でタイムは二位だったけど、トップの選手が旗門不通過かなにかで失格になったんじゃなかったかな。判定はかなり微妙だったらしいけど、「トミー・ザイラー以来」「地元フランスの選手」ということで、キリーに有利な結果が出た、なんて話しがあります。
滑降のスペシャリスト化が進んだいまは、アルペンで3冠以上というのはほとんど不可能になりましたね。レイクプラシッドでリヒテンシュタインのハンニ・ウェンツェルが2冠プラス銀という結果を残したけど、これが最後のオールラウンドかも。
冬期オリンピックではこれまで「主催国はかならず金メダルを取っている」というジンクスが続いているのだけど、長野でもこれは踏襲されるでしょうか。スケートがあるからなんとかなるかな。
なにかの実験によると、インターネット・メールの途中欠損率は6パーセントだそうです。実際はそんなに欠けているとは思えないんだけど。もともとインターネットでは、メールが最後まで届く保証がいっさいありません。そういう前提で使うもの、ということですね。
いまのコード体系だと、欧文特殊文字と日本語の2バイト文字を共存させる方法はありません。もちろん文字ごとにフォントを変えれば別だけど。
日本時間17時、フランス時間朝10時、コールバックで古巣に電話する。
「まだどこらからも届いてませんよ」
早くも次の対策を迫られる。どうしたもんかいな、と考えていたところ、ニッポンの実家から電話が入る。「本、送っておいたぞ」とのこと。実物見本として見せる自著の郵送を、国際宅急便で依頼していたのである。火曜の発送なら、木曜には届くだろう。
が、しかし。「M社から郵便物が届いていたので、それもついでに入れといたぞ」だと。あかんがな。M社は古巣にではなく、実家の方に送ってしまったのであった。
段取りをまたやりなおさなくてはいけなくなった。二社分の支払い調書がそろわないと、二年分の所得申告ができなくなる。二社分ないと、まったく意味がないのだ。いずれにしても、原票はもう間に合いそうにない。法定翻訳をコピーでやってもらって、税務署に提示する際に原票を一緒に見せるか。それとも日本で法定翻訳を依頼するか。どちらかしかない。コピーの翻訳は、通用する場合もあればだめなときもあるという。ゴメス氏の話によれば、「交渉次第」だそうだ。税務関係なら、大丈夫な可能性は高いと思うが、とも付け加えていたが。
いろいろと考えた結果、方針を決めた。日本時間の水曜朝一番にM社に電話し、事情を説明して再度支払い調書を発行してもらう。念のために用件を今日中にファックスで送ることにする。そして、発行できたらM社からファックスで原票を送ってもらう。それをモデムで受信しレーザープリンタで出力すれば、法定翻訳の原稿として使えるぐらいの精度にはなる。ほんとはスキャナで読み取ってもらい、ファイルをメールで送れてもらえばベストなのだが、そこまでは要求できない。
そうなると、問題はG社の方である。万が一、G社からの郵便物が水曜にも届かなかったら。パリ市内の郵便は24時間以内に届く。東京もおなじだろうな、と思っていた。だから月曜中に発送までしてもらっていたら、古巣には火曜の夕方には届くはず……だった。
配送作業が送れているだけ? それともG社の発送が遅れている? いずれにせよ、翻訳に出すタイムリミットは水曜まで。万が一、水曜の昼にG社からの調書が届かなかったら、そのときは日本で法定翻訳に出すしかない。
祈るような気持ちの二段構え対策であった。(続く)
キリーの使っていた板は Dynamic VR17 です。これは「名機」といわれてましたが、時代が時代ですから。たしかコンペなら 2メーター30ぐらいあったはずですね。 この Dynamic は一度倒産し、VR17 というモデルだけは Michelle VR17 という名前でしばらく生産されたと思います。ただ、それも70年代の後半で打ち止めになりました。ぼくがバイトをやってた八方のペンション・オーナーはこの Michelle VR17 を持っていて、乾燥室でそれを見つけたとき、「マスターは VR17 を持っていたんですかー!」と言ったら、「『あの』VR17、って言ってくれよな」と言い返されました。
その数年後、Dynamic が突然復活したんですよね。自宅近くのスキー用具店になにげなく入ったら、白地のやけにきれいな板がある。ブランドを見たら「Dynamic VR27」となっていました。
Michelle VR17 は黒地の渋い板でした。でも復活 VR27 はさすがにスキー板の技術が進歩したあとのものなので、性能的には勝負にならんでしょう。こっちはウッド・コアにオメガ構造のグラスファイバー補強でしたから。で、ミーハーなワタシはすぐに買ってしまいました。
ロシュとかK2になるとメジャーすぎちゃいますが、わりとマイナーなブランドだと「誰それの板」ってイメージがけっこうできちゃいますね。キリーが Dynamic ならステンマルクが ELAN とか。年代によってスキー・ヒーローの違いがはっきりしてますね。30代後半だとステンマルク、40代前半だとグスタボ・トエニ、40代後半がキリーって。逆に30代前半がピルミン・ツルブリッゲン、それより若い世代はアルベルト・トンバって感じで。
個人的にはクスタボ・トエニの攻撃的なスラロームと、ステンマルクの腰高フォームが印象的です。とくにあのステンマルクの膝のやわらかさは、人間業じゃねーよ、と思いました。あれなら尻餅ついてもw杯で勝てるわけだわな、って感じですね。
いつだったか、加山雄三とエキシビジョン・レースをやってましたね。もちろんたっぷりハンデをつけて、だけど。アルベール五輪ではプロ解禁で出場資格を得たステンマルクが、回転2本目のラップを取ったでしょ? あのときは胸があつくなりました。だからこそ、優勝したトンバの「ステンマルクなんて過去の人さ」というコメントはシャクにさわり、以来、トンバ嫌いになってしまいました。
日本時間の 9時半を狙って、電話をかけまくる。この事態にそなえ、コールバック・サービスの暗証番号を業者に再送信してもらう。しかしまあ、パリから東京に電話するのに、アメリカ経由だと6割も安くなるというのは、やっぱ不条理だよなあ、とは思うけど、安けりゃべつにどんなルートだって関係ない。
まず古巣に電話し、在職時代から務めているバイトさんと交渉する。「もしもし、わし」「あら、いまどこですか?」という月並みな会話のあと、用件を伝える。
出版社から支払い調書が送られてくること。コピーを取ってすぐにこちらまでファックスを送ってほしいこと。原票はすぐに FedEx の24時間サービスで送ってほしいこと。
次いで出版社Mに電話する。以前の担当編集さんが出る。用件を伝える。
次いで出版社Gに電話する。担当の編集さんが不在なので、経理に電話をまわしてもらう。じつはここ、支払い調書の発行は面倒なので、どうしても必要なのかどうか、確認を求められていた。
担当者が出る。状況を説明したところ、支払い調書をすぐに再発行してもらえることになった。じつはややこしい話しがあって、先方はまだわしの調書を作成してないと思っていたらしい。それで「面倒な手続きが必要」だと思われたようだ。が、実際すでに昨年末一度発行してもらったことを告げてからは、すぐに引き受けてもらえることになった。
一眠りして、11時ごろ起床。法定翻訳官のアラン・ゴメス氏に電話。翻訳料金と段取りについて交渉する。支払い調書の翻訳は1枚 500 FTTC といわれる。げげ。ちなみに前野氏は 360 FHT、日本人会なら 250 FTTC である。が、2枚目は半額でいいといわれる。前野さんはディスカウントなしといってたから、2枚依頼するならゴメス氏の方が安い。
手配は終わった。あとは支払い調書が届くのを待つのみ。(続く)
アトランタ五輪が閉幕しましたね。フランスは柔道や自転車で金メダルを量産し、こんなにスポーツが強かったんかいな、と驚いてしまいましたがな。
フランスでの放送を見るかぎり、アスリート競技が始まってからは、Marie-Jose Perec がすっかりとヒロインになってました。200 と 400 の二冠は見事だったし、あのスタイルだから、人気も出るでしょうね。200 での表彰式では、メダルの授与をしたのが、あの Jean-Claude Killy でした。スキーの英雄がアメリカの夏のオリンピックでプレゼンテイターというのもちょっと奇妙な感じはあるけど、Killy ったらフランスの英雄ですから、テレビのアナウンサーはかなり興奮してました。
法定翻訳との闘いが始まった。戸籍(etat-civil)関係や免許なら日本大使館に頼めば3日でできる。だけど大使館は基本的に「法定翻訳」ではなく、厳密には原票をもとに仏文の証明書を「発行」する仕組みなので、支払い調書など分掌外の「翻訳」はやってくれない。通常は在仏日本人会で依頼すればいいのだが、いまは担当翻訳官がバカンス中で、一週間かかってしまう。いまから書類を日本から取り寄せても、翻訳に出せるのが早くて12日(月)、仕上がりは20日(火)になってしまう。これじゃトラブったら最後である。
前日、日本大使館にパリ在住の法定翻訳官の連絡先を教えてもらった。一人は日本人で前野氏、もう一人はフランス人で Alain GOMEZ氏。ところが前野氏は 3日から19日までバカンス、GOMEZ氏は 9日(木)からバカンスだという。困った。選択肢は二つしかない。日本で作成してもらった書類を日本で法定翻訳にかける。月曜中に書類を作成してもらい、それを都内の誰か宛に送り、そこから国際宅急便の24時間サービスでパリに転送してもらう。さすがに発行元に「FedEx で送ってくれ」とは頼みづらい。
まずは日本で法定翻訳をやってくれるところを探す必要あり。必死にお助けメールを送るのであった。ニッポンに秘書がほしいと切実に思うようになった。(続く)
13区の税務署(Centre des Impots)に行く。場所は Pantheon-Sorbonne大学本部庁舎の向かい。うちからなら83番のバスで直行である。税務署には久々に訪れたので、何階にいけばいいのか忘れた。受付で住所を告げ、担当階を教えてもらう。9階であった。エレベーターを降りてすぐ右に受付がある。待合所の椅子にけっこう人が多い。受付で用件と住所を話す。整理券を渡される。白札の9番。
奥から係官が一人やってきて、受付にいま終わった人の札を返している。次の順番の人を呼ぶ。
「青札5番の方!」
"Bleu"がほとんど "Blanc"に聞こえた。現に白札5番の人が自分の番だと勘違いしてたから、おれの聞き取り能力が悪いわけではない。あんちゃんがなまっとったんや。
50分ほど待って、ようやく自分の順番がやってくる。なかなか話のわかりそうな雰囲気の男性係官である。部屋に案内され、椅子をすすめられる。ちょっと待ってねと言って、彼は一度部屋を出ていった。1分ほどで戻ってくる。
「で?」
想定説明文を頭に思い描き、一気にしゃべりきる。先方は「ん」と相槌をうつだけ。話し終わると、「そういう職種だと、専門の担当官がいるので、そちらで相談してみてくれないかな?」ときた。反対側の区画に導かれ、とある事務所に促される。彼とはそこでバイバイであった。
部屋の主はけっこう几帳面そうな中年の女性であった。過去の経験によると、もっとも杓子定規で手強そうな雰囲気が漂っている。こういう人は、いきなり突っぱねるか、とことん面倒をみてくれるかのどっちかだ。
「印税収入の申告をしたいのです」
ちなみに「印税」が droit d'auteur というのは、先日 AGESSA でもらった資料で初めて知った。申請のたびにいろいろと単語を覚える。胃壁に一つひとつ、単語が刻まれているのである。
最初の反応は予想通りであった。過去の滞在が学生身分であれば、その間に正規の労働許可はおりない。よってその期間中に収入はあり得ないはずである。ならば所得申告は必要ないし、そもそもできないはずである、と。
「だって奨学金で生活していたんでしょ?」
という質問のところで、切り返してみた。奨学金はもらっとらん。フランスにいて日本の出版社相手に本を書いていた。所得も日本で発生していた。AGESSAにそう説明したら、フランスでの所得として申告できるといった。だからほれ、こんな書類をくれたんですよ、と。
ここで彼女の自信が揺らいだようだ。結果的に、これがラッキーだった。税金を払えるようになって運がいい、というのは変だが。彼女は隣室の上司のところに相談に行った。間のドアが開けっ放しなので、やりとりは筒抜けだった。上司はひどいマルセイユ訛りだった。
「彼は学生だったのだから、申告はできないはずでしょ?」
「そんなことはない。現滞在許可証を持ってフランスに滞在していて、理由はなんであれ報酬を得たのであれば、それは課税対象となる」
外国相手に仕事をして外国で報酬が発生するというのは、たぶん法律の想定外のことなんだろう。彼女が戻ってきた。ここから先は、「強い見方」となった。
必要書類を一つずつ提示する。書き方を細かく教えてくれた。
「円をフラン換算するレートはどうするんですか?」
おお、とかいいながら、書棚からなにやらマニュアルを引っぱり出してきた。年間の平均レートを用いるらしい。94年分の収入については、1円あたり 0.0536フラン、95年が 0.0485フラン。こういう数字をみるたびに、はよ円もデノミしてくれんかな、と思ってしまう。
所得の証明書類は必要ないのか、と尋ねたら、日本の源泉徴収表に法定翻訳を添えてくれ、といわれた。15分ほどで、ひととおり話は終わった。一気に申告まではできなかったが、どうせそんなうまく事が進むわけはないと思っていたので、この日は上々の成果だと思った。
双六で一こまようやく進んだ気分がした。
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