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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。
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■ 1996年11月 アーカイブ

1996年11月26日

 ポトフというのはごく一般的な鍋料理みたいなもので、一般家庭でもなじみ深いもの。スーパーにいけばポトフ・セットが売っているくらいです。感覚としてはスキヤキセットみたいなもんだけど、スキヤキよりもなじみ深いものだと思います。
 材料はニンジン、タマネギ、ポロネギ、ジャガイモ、カブ、そして豚肉(骨付きのまんま)です。これをコンソメスープでひたすら煮込む。香辛料のなんたら(ド忘れした)をタマネギにぶっさして香りをつけます。庶民的なレストランだと、秋・冬にランチメニューでポトフを出すところがおおいですね。


1996年11月18日

 シラク大統領の訪日に関連して、現在、パリ日本文化館の館長をつとめている元NHKの磯村さんのインタビューがありました。インタビュアーは TF1 の名物女性キャスターだから、テレビでも放送されるのかな。ぼくは BFMで聴いたのだけど、たぶん、France Inter でも流していたと思う。あまりの流暢さに、最初はフランス人どうしが議論しているのかと思ってしまいました。
 France 3 でも日本への envoye speciale たちのルポを放送してましたが、ここでは柿沢代議士が登場しておりました。カタカナ・フランス語ではあったけど、インタビューに応えただけでも偉いと思う。


1996年11月06日

 秋の巴里の天気は、要するに「雪の降らない日本海側」である。  ひたすら曇る。さっさと雨が降ってくれたほうが、よほどすっきりする。一気に降って、それから晴れてくれ。さけびたくなるぞ。
 ところが、降りそうでぜんぜん降らない。ようやっと降るときも、ちょっとしつこめの霧雨程度なので、傘が必要かどうか、微妙なところだ。たいていなしですませてしまうんだが、長時間歩いていると、けっこうぐっしょりと濡れてしまう。
 11月6日はどえらくいい天気だった。空の感じは6月のようだった。天気がいい日はモンマルトル……というのがお約束事である。完全に観光化されたところであるが、それでも絵になるとは思う。サクレクール寺院の前庭には、一部で「鳥オジさん」と呼ばれる名物おやじもいる。あわよくばその写真が撮れれば、と思った。
 前庭のいちばん下には、まだメリーゴーランドが稼働していた。子どもを二人連れた家族が乗っていただけ。ベンチにはサンドウィッチを食っていたアベックが、むらがってくる鳩をうるさそうに追い払っていた。
 この日、鳥オジさんはいなかった。いつもなら階段をほとんどのぼりきったあたりで、浮動の姿勢で手のひらにパンくずを乗せている。それに雀が群がっているのだが、オジさんは若いころ、パレロワイヤル広場で彫像のパフォーマンスでもやってたんだろうか。
 サクレクール寺院(写真左)から先は、いつものおきまりコースを歩いた。テルトル広場からキャバレー・ラパンアジル(写真中央)に向かう。途中の葡萄畑はすでに収穫されたあと。角のところでは、日本人の撮影グループがモデルを立たせて写真を撮っていた。
 葡萄畑のすぐ上の通りが、モンマルトルの丘でもいちばんノスタルジックな雰囲気がある。豪奢な民家が二軒ならび、そのとなりがモンマルトル美術館(写真右)である。オフだからは、ほとんど人はいなかった。

1996年11月05日

 11月に入ってから、街路樹の葉っぱがいっきに落っこちた。栗はまだしぶとくぶらさがっておる。歩道のうえは落ち葉の絨毯状態になった。
 アパートからながめているぶんにはキレイでいいのだが、雨上がりはやっかいである。濡れた葉っぱはすべる。しかも踏まれていくうちにヘドロ化してしまう。夏の残雪とおなじで、こういうのは当事者になったらあかん。
 翌日、清掃局の人間がスコップを持ち出して葉っぱを必死に処理していた。

1996年11月04日

 小説家の高斎正さんから、時間があったらルノーのショウルームで確認してほしいことがある、という依頼があった。1902年におこなわれたパリ〜ウィーン間のレースで優勝した自動車の排気量が、手元の資料のデータがどうも信じられないとのこと。
 たまたま航空機の予約をしに出かける用があったので、さっそく行ってみた。場所はシャンゼリゼにあるルノーのショウルーム。2階が小さな博物館になっている。
 エスカレータをのぼってすぐ左に、「それらしき」車があった。壁のところにはモータースポーツの歴史があれこれと説明してある。1902年のレースの件についても、ごく簡単にふれられていた。
 展示されていた車は、あいにくと目的のものではなかった。エンジンはド・ディオン・ブートン製。モータースポーツの開拓者ド・ディオン伯爵の話しは、その小説家さんが以前書かれた本で知った。

1996年11月03日

 人によってはMとRがおなじってパターンもあります。日本で習う筆記体とフランス人の筆記体は、かなり違いますね。わりとありがちなのは、「t」と「r」がほとんどおなじだったり、「q」は日本で習う数字の「9」のように書いたり、とかですね。馴れるとそれなりに認識できるようになるから、そっちの方がこわい。
 日本で習う筆記体だと、丁寧に書けば書くほどフランスでは通用しないと思います。かといってきたなく書けばいいってわけでもないんだけど。無難なのはブロック体ですね。


1996年11月01日

 Dutroux 事件で思ったことは、ひょっとしたら『オルレアンのブティック』は都市伝説じゃなくて、本当の話しなんじゃないか、ということ。変な言い方だけど、たしかにオウム事件のほうが現代的ではあるけど、Dutroux 事件は逆に「病根」を見せつけられたような感じです。



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