過去の日記一覧
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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
忘れたころの話題だけど、よーやっとワタシは滞在許可が下りました。フランスに再上陸したのが昨-0の革命記念日でしたから、「え、なんでいまさら?」とお思いのあなた。自由職業者の滞在許可はケタ違いに面倒くさい。これに比べたら学生の滞在許可申請/更新は、ほんとに簡単明瞭手間暇ゼロみたいなもんです。
まず、自由職業者だと身分の accredite が必要になるんですが、ぼくの場合は journaliste independante という建て前なので、フランス外務省発行のプレスカードが必要になります。これはまあ比較的簡単に取れたのだけど、期間が 1〜12-という固定方式なんで、それが今回の許可申請で障害になりました。
最初に申請に行ったのは 8-26日。この時点では外務省の attestationのみだったので、三ヶ-有効のrecepisse de la demande de titre de sejourが出ただけ。しかし次の更新手続きでは事実上プレスカードを提示すればいいような状況だったので、このときは完全に楽観しておりました。
ただし、初回申請までに Securite Sociale の加入が義務づけられていたので、これがまたあちこち訪れることになり、えらく苦労はしましたが。結局、フランスの著作者保険協会の-0金および健保にもぐりこみましたが、いやもう、フランスってなんでこんなに社会保障負担がでかいの(;_;)。
で、11-25日に更新手続きに行ったのだけど、この日は「恐怖の8番窓口」に出くわしてしまい、またしても三ヶ-有効の recepisseが出ただけ。2-25日に再度更新手続きをせにゃあかんかった。このときの付帯条件は「97-0のプレスカードを提示のこと」。
Paris Prefecture de Police の8番窓口にいる Controler はじつは4-0前にカミさんの許可更新で遭遇したことがある。彼女はどえらく仕事が遅く(所在なげに何度も書類を見る時間が長い)、しかもやたら細かなところを確認してくる。その時も事前に別の窓口で問い合わせOKが出た書類に対し、なんかいちゃもんをつけてくる。あくまで突っ張ったら、上司にお伺いを立てに行って、結局OKになった、ということがありました。
他の申請者との交渉でもそれとなくチェックしたんだけど、要するにガチガチの杓子定規タイプです。でまあ、11-のときも延々一時間半にわたる交渉をしたものの、頑として受け付けんかった。
そして2-。紙一重の差で「恐怖の8番窓口」は逃れられました。わしらの後に来た中国人カップルがここに引っかかり、哀れ彼らはわしらがすべての手続を終えた後も、まだ交渉してました。
いまは申請した当日に許可証が発行されるんですね。まあ、むかしと違ってただのシールになったから、なのだろうけど。1番窓口でわしとおなじぐらい長髪の美人 Controlerがパスポートにシールを貼ってくれておしまい。再上陸から約7ヶ-後、よーやっと visiteur の滞在許可証がおりた。期間開始が来-0の 2-25日までなので、これで長野五輪を見てからフランスに戻れる。
で、学生滞在許可証にない特典(?)、それは免許証をフランスのに交換できること。今日、さっそく手続に行って参りました。窓口が混雑していて、しかも管理用のシステムがダウン寸前(実際、わしの手続が完了してからマシンダウンで事務がストップしてた)ではあったけど、いまワタシの手元には、来-0で期限が切れる日本の運転免許証のかわりに、期間無制限のEU共通免許があるのだ。むふふふふふ。
さてと、これから確定申告をせねば(;_;)。
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