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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
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■ 1997年09月 アーカイブ |
先月末にベルギーGPを観戦した。場所はスパ・フランコルシャン・サーキット、勝利したのはフェラーリのシューマッハである。
チケットを入手してくれたのは、在ベルギー日本大使館で客員研究員として研修中の知人である。前日に家族でブリュッセルに宿泊し、レース当日は知人とつるんでリエージュに移動。カミさんと子どもはそこで時間をつぶすことに。わたしは知人の車に乗ってスパに移動した。
チケットはブロンズ・ゾーンのものだが、要するに、土手の好きな場所で見なさいというもの。そうはいっても、広大なサーキットなので、入場したゲートの近くで観戦する場所を探した。結局、monte de l'eau rougeの先にある、ほぼ直線のコースを見下ろす土手に陣取った。コースはわずか30メートルぐらい先である。
天気は快晴だったが、ベルギーGPで雨が降らないとは考えられなかったので、プロスト・プジョー・チームのショップでレース開始前にパラソル兼用の傘を買っておいた。これが結果的に正解だった。
レースはシューマッハの独走となったが、デイモン・ヒルと片山右京のドッグファイトが見物だった。先行する右京がヒルを頑として抜かせなかったため、数周にわたり、テイル・ツー・ノーズの激しいバトルが展開されていたのである。
じつはベルギー行きの前日、すがやみつるさんとパリで夕食をともにした。すがやさんもベルギーGP観戦が目的で、パリで一泊後にベルギーに移動する予定だったのである。ただし、こちらは土手で見物なのに対し、すがやさんはパドック・パスをもらったとのことで、おそらくはメインスタンドで観戦なさっていたはずだ。
出発は予定よりも一時間遅れたけど、到着は30分遅れただけでした。うー、東への移動は時差ボケがつらい(;_;)。しかし今朝の成田はやたら税関が混雑してて、抜けるのにはかなり時間がかかりました。
Quincy はけっして普通の甘口ってわけじゃないんですよ。舌触りはどちらかというと甘口に近いけど、のどごしはややドライな感じ。このコントラストがたまりませぬ。
日本みやげの意外な穴場は La Fayette の食料品売場ですね、たしかに。ここで売っている Dijonのカラシは器がしゃれているのでなかなかオススメです。
イギリスのゴシップはタブロイド誌、フランスの場合は Voici、Gala、Paris Match などの大衆誌なんだそうです。世界に名を馳せたパパラッツォ Mario Brenna の例の写真(キスシーンね)に対し、Paris Match は 1.2M Frs を提示したとのこと。独占掲載した Daily Mirror は当然もっと高いカネを払ったのだけど、その後も掲載希望誌が多かったので、最終的には 10〜30M Frs になったのではないか、っつーことです。
今年の9月は例年よりもやたら晴天日数が多いっすね。天気が安定しすぎているせいか、スモッグ警報が出っぱなしだけど。こういう季節は10月のなかばぐらいからスコーンと寒くなるような気がしております。
先日は近所の Cave で Quincy を三本買ったのだけど、いずれも国内消費用なので、土産用にあらたに二本買い足してきました。あとはスーパーでオイルサーディンとサラミを一本。じつはスーパーで適当にそろえた土産がいちばん好評であることが判明したんです。前回はアンチョビを買いだめしたっけな。なにせ 1缶が 4 Frs なんで安いもんです。
Quincy はワタシの白ワイン観をでんぐり返したワインです。4年前に近所のレストラン Intermed に入ったとき、とある白ワインを頼もうとしたら、そこのマダムから「今日は Quincy が入っている。これがあるときは他のを頼んじゃダメ」と教育的指導をされたのです。
で、これがめちゃくちゃうまかった。と同時に、危険なワインでもある。下戸のわしでもグラス3杯は軽く呑めてしまう。fruiteでこれほど舌に快適で官能的なワインは初めてっす。
その二週間後、近所の cave に行ったらこの Quincy が入っていた。すぐに買いましたねー。その翌週買い足しに行ったときはすでに売り切れてました。
先日は Junku堂からの帰り、たまたまそこの前を通ったら Quincy という銘が入った空箱があったので、もしやと思って店のオヤジに聞いたら、たっぷり入荷されてるとのこと。即買っちゃいました。昨日1本を開けたけど、期待にたがわぬ官能でしたね。これがたったの 40 Frs なんだから、こたえられないっす。
鰻といえばいつかここで野田岩の話題が出たけれども、あそこは確かにうまい。値段もけっこう手頃だし。味噌ラーメン二杯分の値段で鰻丼が食えると思えば十分に許せる(笑)。
パパラッチ・ネタはわしもさんざん質問されました。定期購読している雑誌を読みながらレポートしたけれども、なんかもう、調べてみるとこの業界もすごいっすよ。ジャン・ポール2が南仏のプールを歩いている姿の盗撮写真は 12M Frsの値がついたそうな。戦地で命がけのルポ写真を撮っているフォトジャーナリストのギャラがせいぜい 300K Frs だそうで、これじゃあパパラッチが増えると思った。
Le Pointかなにかに「相場」が出ていたけど、最高値はやはり英国王室で、モナコ王室はその半分、スウェーデン王室はカネにならないんだと。
秋の始まりの日曜日の巴里の公園で、pispisとせがむムスメを茂みに連れていって「しーしー」させていたのはワタシです。
栗はイガイガごと落ちまくりますよ。Arago通りがいま真っ盛りです。公園なんかでは子どもが箱いっぱいに栗を拾っておりますね。
このところの黄昏どきは空が澄んでいるせいもあって、なかなか綺麗っすね。うちの前からだとモンパルナス“遠くから見ても風情がない”タワーのシルエットがけっこう印象的でっせ。95年10月の帰国のとき、ひょっとしたらその光景を二度と見られなくなると思ったら、たまらなく悲しくなってしまったものです。
紅葉は場所や通りによって進行がぜんぜん違いますね。樹木の種類が違うから、なのだろうけど。比較的紅葉(というか枯葉)が早いのは、うちの近辺では Arago通り、Luxembourg公園の北西側(Sorbonne方面)です。Tuilerie あたりはやや奥手の方でしょう。
Maron chaud!のあんちゃんたちは、昨年あたりから急激に数が減ってますよ。なにしろ警察が片っ端から取り締まっていたから。メトロの駅構内にいた pistache 売りはほぼ壊滅しましたね。まあ、ジョスパン政権になって移民政策がほんの少しは緩和されたから、ちっとは状況も変わるかもしれないけど。
Pont des Arts のあの形は「京都の旧三条大橋」ってところでしょう。広重の浮世絵に登場する三条大橋は、百歩ぐらい譲れば Pont des Arts に似てないこともないから、そのミニチュアを京都にこさえても、場所によってはけっこう風情が出るかも。
しかしまあ、キンキラのアレクサンドル三世橋、片側だけ改装のすんだ新橋、三条大橋もどきといい、個性的な橋が多いっすよねえ。17〜19日は突然蒸し暑くなったけど、今日あたりからまた先週とおなじ秋の気候に戻りましたから、セーヌ河沿いの小径を橋から橋へと散策する人の数も、さすがに激減するでしょう。いよいよ本格的に秋ってわけで。
昨日は友人と「consommation pour consommation」についてチクと議論しました。まあ、おもしろいと思うのは、こういう現象が発生している社会は世界中でもアメリカと日本の一部だけなのに、消費社会論ではボードリヤールとかブルデューなど、フランスの社会学者が圧倒的にリードしている点なんすよね。ブルデューは College de France で公開講座を開いているので、いつか行ってみたいと思っております。
Pont des Arts は名前がいいので許します。
でもあれも妙ちきりんな橋っすよね。ポンピドーもそうだけど、「年中、建設中」って感じっすね。パチンコ屋みたいに花輪でもかざっときゃいいのに(^_^;;)。
しかし、由緒ある都市にはかならず中心に川があるけど、東京は隅田川が文化の中心からそれて以来、この原則からはずれてしまいましたわな。まあNYも中心じゃなくて両側ではあるけど。真ん中に川があるというのは、それはそれで情緒があっていいと思うんですけどねえ。
フランスでは、itineris と市場を二分している SFR の加入者数(GSM およびアナログ)が97年7月31日現在で 1,401,187人です。その時点での携帯電話普及率は 6.54パーセント(対人口比)と見積もられているそうで、アメリカや日本よりも少ないんじゃないのかな。ニッポンは PHSとの合計ですでに10パーセントを越えているでしょ?
アメリカはそれ以上のはずだし。
まあ、ヨーロッパというのは「周回遅れのトップランナー」ですから。
6月末のときは、イギリスの出国管理はなんもありませんでしたよ。Waterloo駅の改札をすませ、車内に乗り……それで終わりです。フランスの入国審査もなかったから、イギリスの場合は「入国にはうるさいけど、出ていくやつにはなんもいわない」ってな方針なんですかね。まあ、スイスも似たようなもんだと思うけど。
ベルギーからフランスに戻るとき、高速の検問所でパスポート提示を求められてちょっとびっくり。たまには仕事をしているってポーズを示すため、ですかねえ。
ロンパリの時差といえば、2ヶ月前に遊路★で往復したとき、行きは2時間なのになんで帰りは4時間もかかるんだろう、イギリスって、よっぽど出国管理が厳しいのかいな、なんて思ってしまいました。
携帯電話といえば、うちの SFRはベルギーとの国境を越えたとき、液晶に「BEL 10」なんて表示が出ましたね。どこに国にいるのかがその都度出るってことなのかな。契約オプションで trans europe にはしてないので表示されるだけですが。
ええっと、Pont Neuf だったかどうかは忘れたけど、ラッピングされた橋はありますね。たしかポンピドーにそのときの写真が展示してあったと思う。このラッピング好きのおっさんの名前、なんだったかな。どうもすぐに忘れてしまう。ポンピドーの常設展示場に、たしかラッピングしたピアノが展示してあったと思います。
あと、たしかどこかの崖に巨大なスクリーンを張る計画もしてたような。そのときの計画図がどこかで展示されていたと思うのだけど、それもポンピドーか、NYのメトロポリタンのどちらかだったと思う。
パリは昨日から急に寒くなりましたよ。最低気温が10度を切りました。うちの近くは栗がころころおっこってます。
大学のセンセーなんかもすごくよく働いてますよね。いつだったか、アポを取ろうと思ったら、「金曜の夜8時過ぎか、土曜の朝7時ごろなら空いている」と言われて、のけぞってしまったことがあります。さすがに日曜はみんな休んでるけどね。
わしも実感としては、スイスの中立というのは、みんなからのけ者にされること、だと思います。ニッポンもスイスへの道を歩んでいるのか?
サラリーマン時代は、有休20日、有休とは別枠の制度で連続休暇 2週間、これまた有休とは別枠に夏休み 3日分と年末年始休暇が 5日分ありました。計算したら高校生よりも休みは多かった(ただし土曜は登校日として計算)。
さすがにこれを完全消化する人はマレでしたが、ワタシはそのマレなうちの一人でしたので、年に最低三回は 2週間休暇を取っていました。だからフランス人の平均バカンス取得日数を聞いたとき、「案外とみんな休んでいないものね」と思いましたね。
でもこっちは平日は12〜15時間労働があたりまえだったので、年間の総労働時間はフランス人平均よりも5割多かったけど。
産経新聞の Webを見ていたら、「いじめ厳罰 仏で新法案」なんて記事が掲載されたいた。加害者には加害者には禁固六月と罰金五万フランが課せられるんだそうです。
ぼちぼち街中では顔面をペイントして、青いポリ袋をかぶった新入生が登場する季節だけど、80年代からは高校での陰湿なイジメや、グランゼコールの女子新入学生への性的いやがらせが顕著になっているそうな。そういやホントかどうかしらないけど、bizutageのなかには、「闇鍋」ならぬ「闇フェラチオ」みたいなのもあった、なんて話を聞いたことがある。
でまあ、「性犯罪の予防と未成年の保護」を目的とした法案のなかに、こうしたイジメを防止する目的の法案が提案されたんだそうです。
この記事は産経新聞の山口昌子記者の署名記事だけど、この山口さんてパリ駐在員(だと思う)、以前からフランス関係では精力的に記事を送っている人なので、フランスのニュースに興味のある人は追いかけてみる価値があると思いまっせ。日本人会には産経新聞が置いてないから、Web で見るしかないんすよねえ。
うちのムスメも二歳半ですが、先月、よーやっとオムツが取れました。一時は当分ダメかと思いましたが、取れるときはあっと言う間ですね。
で、この秋から garderie にやることにしました。下旬に三度 adaptationがあります。まあ、幼稚園に通わせるのは、来年にしようかな、なんて思っています。年末年始はまた2ヶ月ほど日本に行くつもりなので。
二歳以上になると、garderie や幼稚園にやらないと、公園に行っても遊び友だちがいなくなりますからねえ。
France 2 でスター・ウォーズの『帝国の逆襲』と『ジェダイの復讐』を連続放送していたので、ついつい見てしまいました。で、いくつか表現を拾ってみました。
■暗黒面のフォース(force of darkside)
pouvoir de cote obscure, puissance de cote obscure
『ジェダイの復讐』の最後の方で、皇帝が「これが暗黒面のパワーじゃ」という場面があります(オリジナルでは「This is the power of darkside.」だったと思う)。このところだけは、puissance de cote obscure でした。
■デス・スター(death star)
l'etoile de la mort です。これは直訳ですね。
■修行(lesson)
formation です。ええ、ルークがはじめてヨーダに会ったとき、「修行ならしました」っていう場面がありますが、オリジナル版では「lesson」という単語を使っていて、なんか軽いなあ、なんて思ったもんです。フランス語版では formation だから、ちょっと重みがありますね。
■ジェダイの騎士 → chevalier de jedi
■ジェダイマスターのヨーダ(jedi master Yoda)→ Maitre de jedi Yoda
■「ベイダー卿」(my load)→ mon seigneur
■「愛しているわ」「わかっているさ」→ "Je t'aime." "Je sais."
『帝国の逆襲』最大の名場面のこのセリフ、単純に直訳そのもので、ちょっと拍子抜け……って、これはほかに訳しようがありませんわな。
そういや「Star Wars」はなんだったかいな。
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