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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1997年10月28日

 そういや一時期、高校の数学過程で群がありましたね。あれはほんまに群の定義を教えるだけで、「だからなんなの?」で終わるえらく中途半端なものでした。
 群の定義自体はガロアではなくコーシーがおこなったものです。今日、置換群と呼ばれるものをいわば気分転換のパズルのようにこしらえたようです。これ、日本風にいえばアミダくじです。
 フェルマーの定理は結果的に谷山・ヴェイユ予想の証明に帰着しましたが、ここに登場するヴェイユはフランスの高名な女性政治家シモーヌ・ヴェイユの兄で、レヴィ・ストロースの構造主義人類学に啓示を与えたことでも知られております。
 日本やヨーロッパでは整数論というと代数学の一ジャンルと見なされる傾向が強いのですが、これは高木貞治とかアルティンという大数学者が開拓した代数的整数論という下地があったからです。その一方、アメリカではむしろ解析的整数論が整数論の中心で、その流れをリードしていたのがプリンストン大学の岩澤謙吉教授です。故・谷山もフェルマーの定理を証明したワイルスも岩澤先生の弟子にあたりますね、たしか。


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