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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1998年02月13日

 残念ながら白馬からは11日夜に戻ってしまいました。
 回転のアミエが今季は不調だったので、フランスのアルペン・チームは今回も金無しだと思っていたら、クレティエがやりましたねー。そうです、グルノーブルのキリー以来です。ただ、キリーのあのときの滑降の勝利は、けっこう物議をかもした勝利でもあったんですけど、今回は完全な優勝でしたね。
 男子滑降は8日に予定されていて、その日は双眼鏡を持って八方の兎平まで行って来たのだけど、その日は残念ながら順延。ガスが発生するのがもう30分遅ければ、なんとか開催できたんでしょうが。その後、11日に順延されて、なんとか観れるかな、なんて思ったのだけど、再度の順延で結局あかんかった。結局、8日に前走の3人が滑るのを見ただけでした。
 滑降コースに使われている八方尾根のチャンピオン・コースは、白馬ではいちばん難しいコースで、あんなところをよくダウンヒル用に使ったな、と思ったもんです。コース最後の部分は、かつてはキロメータランセのコースに使われた急斜面で、三浦雄一郎が当時の世界記録を達成したとこじゃなかったかな。
 8日は兎平で雪温マイナス6.5、今日はおなじ場所でマイナス3.5だというから、だいぶ重い雪だったんじゃないでしょうかね。ヘルマン・マイヤーさえも転倒してましたが、コースが荒れて板がひっかかりやすかったんじゃなかろーか。
 白馬にいたのは 8〜11日の四日間だったのだけど、とにかく人がいないのにビックリしましたね。11日はジャンプのノーマルヒルがあったために、会場はどえらく混雑していたものの、ゲレンデの方はガラガラ、クワッドに一人乗り状態でした。とくに11日のゲレンデ・コンディションは最高中の最高で、ついつい滑りすぎて膝がガクガクになり、帰りの運転がたいへんでした。
 いやしかし、かつて半ば住んでいた場所で開催されるオリンピックというのは、やっぱ感慨深い。それに、連日のコース整備に駆り出された自衛隊員は、本当にご苦労さまといったところです。


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