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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1998年02月11日

 アルペンのメッカ八方尾根でジャンプ競技というのも、ちょっと違和感を感じないでもない。まあ、昔も雪印の30メーター級の台があって、地元の中学生がときどき飛んではいたけれど。
 リーゼン・クワッドのリフト乗り場の下に、じつはジャンプの無料観戦場所があった。立入禁止のロープが張ってあったものの、競技前日からすでに観戦場までのルートができている状態。まあ、「行くな」って方が無理だと思うぞ。
 この写真ではわかりづらいだろうけど、画面ほぼ中央が踏切台のところ。この写真は開始セレモニーの場面で、各選手団の旗を持ったスキーヤーが、踏切台直下で待機している場面。
 この日はノーマルヒルで、結果はご存じのとおり、船木が銀で原田は五位。じつはトライアルで原田は95.5メートルという大ジャンプをやっている。その次の記録が葛西の92メートルだから、原田の飛距離は群を抜いていたわけだ。そして本番一本目も92.5メートル。さすがに二度も続けて大ジャンプをしちゃったら、三度目、つまり本番二本目に失敗しても仕方ないんじゃないのかな。  ソイニネンが船木を抜いて、期待は原田に集まる。あの声援はすごかった。ジャンプ会場がまるで一つの生き物になったような、そして声が物理的な形を持った「もの」のように感じられた。それにも増してすごかったのが、原田の二本目が不発に終わったときの溜息である。皮肉でもなんでもなく、この「溜息」だけはその場に立ち会った者でなければ感じられない波動だと思う。

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