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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1998年03月14日

 日本語には渇望しましたね。読むだけでなく、書くことの方も。昔の留学生、それも横浜から船でマルセイユに来た人たちが、文藝春秋を隅から隅まで、それこそ広告まで舐めるようにして読んでいた、という気持ちが理解できたような気がします。
 ぼくもホテル滞在中は、とにかく手紙を書きまくりました。もともと書くことは習慣のようなものでしたので、ついつい枚数が増えてしまう。毎日5人分ぐらい、それも一人につき十枚ずつぐらい書いたんじゃないのかな。郵便局から送るときも、最低重量料金にはなりませんでしたね(笑)。
 ホテルから短期貸しステュディオに移ってからは、なんとかモデムを使えるようになったため、ふたたび NIFTYにアクセスできるようになったので、膨大な手紙は会議室発言に切り替わりました。当時は 70円/分の TYMPAS しか使えなかったので、月間の海外接続料金がだいたい 15,000円でした。それでもログの量が一日10KBぐらいかな。いまはもう毎日 600KBぐらいですけどね(笑)。


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