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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1998年05月06日

 カルカソンヌを一泊で後にし、高速に乗ってペルピニャンで地中海沿いに抜け、そのまま高速でスペインとの国境を越える。風がえらく強かったが、これがたぶん「ピレネーおろし」か。フランスから地中海沿いに陸路でスペインにすすむと、カタルーニャ地方に入ることになるのだが、カタラン語という言葉はスペイン語とフランス語を微妙にミックスさせた感じだ。出口はフランス語が「sortie」、スペイン語が「salida」、カタラン語だと「sortida」である。
 途中、「地球の歩き方」に乗っていない街に立ち寄った。穴場探し、という狙いがあったのだけど、結局そこはただの新興住宅地で、見ておもしろそうなものは皆無。きょうび、これだけガイドブックが発達すると、本当の穴場などないのかもしれない。
 バルセロナに着いてからすぐにホテルを探す。Informationではフランス語が通じるので楽だ。市街地の便利なところに見つかった。しかし、そこには高校生の団体が止まっていて、夜中までうるさいこと。
 バルセロナでは二泊した。ひととおりの観光地を見てまわったが、とにかくパエリアがうまく、三食つづけて食べてしまった。
 このあとはマドリッドに行く予定だったのだが、高速道路情報によると、相当ひどい渋滞が出前に待ちかまえている。きゅうきょ目的地をトレドに変更した。これが大正解で、宿は城壁のすぐ外にこぎれいなところが見つかったし、旧市街地もノスタルジックな雰囲気がたっぷりである。城をとりまく周回道路から眺めた街並みは、本当に小さなおもちゃのようであった。
 トレドでは都合二泊した。小さな街なので、二泊だけでもすみずみまで歩くことができた。ヨーロッパを旅するなら、大きな街も魅力的ではあるけれど、やっぱり田舎の歴史ある小さな街のほうが楽しめると再認識。

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