過去の日記一覧
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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
朧月夜となった金曜夜、勇んで行ってはみたものの、結果は…… 0, Avenue d'Italie (DEPART 22h00) → Avenue d'Italie → Place d'Italie → Avenue de Choisy → Boulevard Massena → Avenue d'Ivry → Rue de Tolbiac → Rue d'Alesia → Place Victor Basch → Avenue du Maine → Rue du Depart → Place du 18 Juin 1940 → Boulevard du Montparnasse → Place Leon Paul Fargue → Boulevard des Invalides → Rue de Grenelle → Place des Invalides → Avenue du Marechal Gallieni → Quai d'Orsay でダウン(笑)。あえなく途中リタイヤとなってしまいました。 時間にして23時半ごろ、行程の半分ぐらいってところですかね。もうひと息頑張ろうとも思いかけたのだけど、足の踏ん張りがぜんぜん効かなくなってしまった。 Alexandre III橋のところで靴を脱いだ次第です。それよりも先に行っちゃうと、家からもどんどん離れてしまうし。 で、帰りはAssemble Nationaleの前あたりでタクシーを拾って帰宅。階段を あがるのもしんどかったから、やっぱリタイヤは正解だった。中国系のタクシーの運転手からは、「スケートかい?」と聞かれました。自宅に着くまでいろいろ話してきたんだけど、なんでもバカンスあけの9月が参加者のピークで、天気のいい日には5000人以上集まるそうな。そういうときは、タクシーの仕事もあがったりだそうです。そりゃそうだなわな。 この日の参加者は推計 500人といったところ。いやー、思ったよりもペースが速いんだ。のんびり滑っていたらどんどん列の後ろにやられてしまう。けっこう必死に滑りました。 車道をスケートで滑ったことのある人ならご存じのとおり、路面の凹凸があるんでかなり脚力がいるんですよね。おまけにRue de TolbiacとRue d'Alesiaが延々と昇りだったので、これで一気に息があがってしまった。 途中、Place とか大きな交差点では行進列を縮めるために小休止が入るのだけど、Place Victor Baschでは完全にバテバテ。まあ、その先はモンパルナスまで下り坂だったからなんとか息を整えられたけど、モンパルナス・タワー近辺の売店で水を買っているうちに列の最後尾になってしまった。一応、水は用意したのだけど、25CLボトル一本だったのが敗因でした。 最後尾になると、スタッフとCRSローラー隊のプレッシャーをもろに受けてしまう。なにしろすぐ横で拡声器を使って「Allez vite !」と煽られちゃう。まあ、小休止の場所でさりげなく先頭近辺に移動すれば、次の小休止までローペースでもついていけたのだけど、Place des Invalidesでは踏ん張りがきかずに転んだこともあって、ああ、もう潮時かなと思った次第です。 いやしかし、街並みを楽しむゆとりはほとんどなかったけど、車道を堂々と滑れるのは気持ちがいい。路面状態からすれば歩道の方が楽なんだけど、なにせパリの歩道ったら犬のクソがそこいらじゅうにありますから(笑)。毎週日曜午後2時バスティーユ集合・解散の parcours の方がペースは遅いそうです。当分そっちで足慣らしをするかな。 |
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