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この日記について

この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。
2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。
2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。
1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。
1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。

1999年03月20日

 ルイ・ルグランにポリテクが絡むとガロアを連想しちゃいます。受験の口頭試問で対数の定義を聞かれ、それをあえて算術級数と幾何級数の対応関係で説明しようとしたら、試問官からいろいろと揚げ足を取られて腹を立て、最後に黒板拭きを投げつけて「これがぼくの回答だ!」と言い捨てて去る——けっこう嫌なやつだよな(笑)。
 エバリスト・ガロア本人の名前が付いた建物や地名は知りませんが、12区にある「ガロア通り(Rue de Gallois)」は、エバリストの父親の名前が由来になっていたと思います。Quai de Bercy に直行する小さな通りですが。
 ルイ・ルグラン時代のガロアの恩師リシャールは、ガロアの受験失敗と非業の死が痛恨だったようで、後にエルミートが数学オタクと化しつつあるのを押し止め、一年間、ポリテクの受験勉強に専念させたそうです。で、エルミートは無事にポリテクに受かり、19世紀のフランスを代表する数学者へと歩んだ、と。
 ガロアの伝記の副題は「神々の愛でし人」だけど、E.T.ベルの『数学をつくった人々』で記述されているガロア伝には、「天才と狂気」という題がついています。こちらの方がガロアには合っているような気がしてしまう。
 話は逸れますが、フランス滞在中に活躍した日本人数学者に、故・岡潔がおりますね。現在、「岡の原理」として知られる他変数巻数論の論文は、たしかフランスの数学雑誌に発表されたんじゃなかったのかな。日本語訳が出たのはかなり後になってからだと思いますが。


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