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この日記について
この日記は、他のリソースから転載したものが大半です。 2005年3月以降の日記は、mixiに掲載した日記を転載した内容が中心です。一部は実験的に作成したblogに書いた内容を移植させています。 2001年の内容の一部は、勤務先のweb日記に記載したものです。 1996年〜2000年の内容の多くは、旧サイトに掲載したphoto日記を転載したものです。 1992年6月〜99年9月の日記の大部分は、パソコン通信NIFTY-Serveの「外国語フォーラム・フランス語会議室」に書き散らしていたものを再編集したものです。ただし、タイトルは若干変更したものがありますし、オリジナルの文面から個人名を削除するなど、webサイトへの収録にあたって最低限の編集を加えてあります。当時の電子会議室では、備忘録的に書いた事柄もあれば、質問に対する回答もあります。「問いかけ」のような語りになっている部分は、その時点での電子会議室利用者向けの「会話」であるとお考えください。 |
ガロアがいた時代の数学の重点領域は、方程式論と楕円関数論、それと非ユークリッド幾何学でしょう。方程式論では、18世紀中にガウスが複素数は代数的に閉じているという定理を学位論文で証明しました。これ、「代数学の基本定理」とか「ガウスの定理」と呼ばれていたのだけど、フランスの数学会から「ダランベールがガウス以前に証明していた」というクレームが付いたらしく、最近は「ガウス=ダランベールの定理」と呼ぶようです。
その後は一般五次方程式の解法に関心が向かい、ご存じの通り、ノルウェーの若き天才数学者アーベルが証明するも、ガウスには論文を見てもらえないわ、審査を依頼したフランスのコーシーに論文を紛失されるわで、結局この業績が陽を見たのは、かなり後になってからのことです。アーベルは後日フランスに旅行した折、コーシーやルジャンドルなどと面談するのだけど、慇懃無礼な対応をされ、以来、フランスへの心証をえらく悪化させたそうです。
アーベルといえば五次方程式が代数的に不可解であることの証明があまりに有名だけど、数学上の実績としては、楕円関数論の方が知られています。とくにフランスのルジャンドルが頓挫していた研究領域をブレークさせたのがアーベルで、この二人の関係、サリエリとモーツァルトに似ているかも。
エルミートの業績は「青銅よりも不朽」とか「後世の数学者は50年は多忙でいられる」とまで称賛されたのですが、その多くは楕円関数論だったと思う。その意味では、ガロアよりもアーベルの仕事に近かったのですね。
で、ある日エルミートは、「一般五次方程式の解法について」という論文を発表しました。その内容は、楕円モジュラー関数によって一般五次方程式が解けるというもので、見方によっては、アーベル、ガロアの業績がここで一つの到達点を見た、という感じです。
ちなみにコーシーといえば、アーベルのみならずガロアの論文まで紛失するという“汚点”があるんだけど、この人、当時はポリテクの主任数学教授で、数学史上でも「最も多産な数学者」として知られています。ただ、フェルマーの定理を二度にわたって証明したと勘違いするなど、チョンボの方が有名なんですよね。熱心なカトリック信者で、数学の議論よりも布教に励んでいたという話もある。エルミートもコーシーの熱烈な勧めによって、カトリック信者になったそうな。
ガロア理論が再発見されたのは、没後30年も経てからで、クロネッカーによるものです。そのあたりの状況を、かの高木貞治は、時代を超越するにも程がある、“ゲッチンゲンの爺さん”は、同時代人には到底理解できそうにないものは、賢明にも公表しなかった、と評したものです。統計で有名なポアソンなど、ガロアの論文をまったく理解できず、「字が汚くて読めない」という理由で却下したくらいですからね。
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